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2-6


 私は、目の前の光景が信じられなかった。


 なんだ……これは。


 そこにいるのは、何百もの怪物。


 岩の皮膚を持つ巨人。その大口を開けたワーム。数十メートとるの体躯を持つ竜……そんな、桁違いの異形が森の一角に集っていた。


 それを、私は樹の陰から見ていた。


 なるほど、と得心がいく。私が何にも出会わなかったのは……その全てがここに集っていたからなのだ。


 そして、信じられないのは、その軍勢ではない。


 私が目を見張ったのは……その軍勢に、たった一人の人間が相対していることだ。


 年頃は私と同じ程度に見える少女。


 白銀の、私より長い髪を一括りにまとめ上げ、黒に銀の装飾がなされた外套を肩にかけた彼女は、身を屈め、瞳を閉じたまま、その腰の左に差した鞘に収められた刀に手をあてている。


 まさか、彼女はこの量を相手に立ち向かうとでも言うつもりなのか?


 ……一体一体なら、私もあれらに負けはしない。


 だが、これほどの量……。


 無理だ。


 彼女にはこの威圧感が感じられないのか?



「――……」



 逃げろ、と。


 そう叫ぼうとした。


 瞬間。


 彼女の双眸がゆっくりと開かれる。


 色は……深い紅。


 確信する。


 死んだ、と。


 ――他でもない。


 彼女に相対する生物の全てが死んだ、と。私はそう確信した。


 気付いてしまったのだ。


 この威圧感は……あの軍勢のものではない。


 この威圧感の正体。それは……彼女だ。



「――――天地悉く―――――」



 透き通った声。


 けれどそれは、割れたガラスの煌めき。


 音もなく、彼女の刀が抜き放たれた。刀身は銀。魔導水銀だと即座に理解した。


 一拍子遅れて、キィン、という音がして。



「――――斬り裂け―――――」



 世界が、断えた。


 軍勢に並ぶ怪物たちの胴が真ん中で切断される。それだけにとどまらず、軍勢の背後にあった大樹が視界の果てまで切断され尽くす。


 なにが起きたのか、理解できない。


 まさか――彼女がこの現象を引き起こしたとでも言うのだろうか?


 あの、たった一振りで?



 崩れ落ちた斬撃の残骸が地面に落ちて、大地が大きく振動した。


 血の池が生まれる。


 その中で彼女は静かに息を吐きだすと、ゆっくりと構えをといて、刀を鞘にしまう。



「……まだまだ、ね」



 は……。


 今、彼女はなんて言った?


 まだまだ?

 この威力をもって、まだ足りないとでも言うのか。


 恐ろしい、と感じた。


 視線の先にいる一人の人間がどこまでも恐ろしくて、身体が震えだす。



「これじゃあ……まだあの人に届かない」



 悔しげに彼女は身を翻す。


 そして――私と視線が会った。



「……」

「……」



 沈黙。


 痛い静寂が場に落ちる。


 それに先に耐えられなくなったのは――私。



「こ、こんにちは……」



 私の馬鹿――!


 え、普通に挨拶!?


 状況を鑑みろぉおおおおおおおお!



「……」



 彼女は一度小さく首を傾げると、ゆっくりと私に歩み寄って、そして手を伸ばし、私の頬に触れた。



「ひぇッ……!?」

「こんにちは」



 挨拶返された!


 でも、この頬に添えられた手は何なんでしょうか。



「私はリリシア。リリシア=メデイア=アルケイン。よろしくね」



 小さな微笑み。


 綺麗……。


 自分でも知らないうちに、その微笑みに見入っていた。



「貴方の名前、聞いてもいいかしら?」

「あ――あの、麻述佳耶ですっ! 十六歳ですっ!」



 って、なんで年齢まで行ってるんだ私。


 頭が混乱していた。



「あら。同い年なのね。よろしく、佳耶」



 いきなり呼び捨てだった。



「は、はいっ、リリーさん!」



 名前を呼ばれて、なんでか知らないけれど顔が赤くなった。



「さん、はいらないわ。リリーって呼んで」

「う、えっ? そ、それは、その……」

「リリー、よ」



 つぅ、と。彼女の細い指が私の頬を撫でる。


 まるで痺れたかのような感触。



「……リ、リー」

「ええ。よくできたわね」



 ちゅっ。


 ……。


 ……………………。


 …………………………………………ちゅっ?


 リリーの顔が、目の前にあった。


 唇は……私の頬に。




 ――!!?




 キスされたぁあああああああああああああああああああああ!?



「あ、あきゃわぁあああああああああ!」



 自分でもよくわからない声をあげて、リリーを突き飛ばす。



「な……ななな、な……」

「驚かせてしまったかしら?」



 ぐい、と。


 驚く暇もなく、私は身体を引っ張られた。


 否。


 抱き寄せられた。



「ごめんなさい。つい、かわいらしかったものだから」



 ごめんなさいと言うなら抱きしめないで欲しい!


 顔に彼女の胸が押しつけられた。


 顔が熱い。


 目が回る。


 ちょ――あれ。なんでこんなことになってんの――!?



「あ、うぁ、リリー?」

「なに?」

「も、もしかして……レズ?」



 こんな質問するなんて失礼だけれど、今の私にはそれを失礼だと思考するだけの余裕はなかった。


 ただ思ったことを口にする。



「ふふ。おかしなことを言うのね、佳耶。私は、レズビアンではないわ」



 よ、よかった!


 なんか過剰なスキンシップだけど、レズじゃないならまだ安全ゾーンだ。



「私はね……バイセクシャルよ」



 アウトォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 アウトアウトアウトアウト!


 全然アウトゾーンだった。



「わ、私はノーマル、よ?」

「そう」



 遠回しの拒絶をあっさりと受け流される。



「知っている、佳耶」

「なに、を?」

「愛というのは、ただひたすらに捧げるものなのよ」



 なんか言い出した!


 とりあえず私を抱きしめるリリーの腕を振り払う。



「あら、ただの人間にしては力が強いのね」

「……ただの?」



 その言い回しに違和感を覚えた。


 まるで、自分はそうじゃないような……。


 ふと、先ほどの光景が脳裡をかすめた。


 あの斬撃……明らかに普通ではなかった。



「リリーって、何者?」

「普段は秘密にしているのだけれど、佳耶が知りたいのなら、教えてあげる」



 リリーが人指し指を立てる。


 そして、その先に――炎が灯った。


 手品ではない。


 これは……、



「魔術……?」

「正解よ」

「じゃあ、リリーはマギの人なの……?」

「いいえ」



 え……?


 魔術を使う……つまり、魔術師なのに、マギの人じゃない?



「私は移民よ」



 移民。


 それは確か、アースでの戸籍を手に入れてマギから移り住んできた人の事だ。



「そして、SW。M・A社所属、第一位」



 な――!


 M・A社、第一位!?


 リリーが!?


 M・A社と言えば、SW関連企業では最大の会社であり、その特徴はマギ・アースという社名があらわす通りマギとアースの両方の技術を最大限に活かした製品。


 所属SWは会社規模と同じく、他の企業からは群を抜いている。R・M社と比べるなら、その人数は約三倍。


 その頂点に君臨するのが、彼女だというのだろうか。


 常識的に考えれば、ありえないと誰もが言うだろう。


 だが、私は心のどこかでそれに納得していた。


 あの斬撃。


 私ですら恐怖に脚が震えた。


 あの攻撃を放てる魔術師ならば、なるほど。M・A社の最高位に相応しいだろう。



「ついでに言うのであれば、M・A社の社長の娘ね」

「……」



 もう何をつっこめばいいのか分からない。


 えっと、うん。もういいや。



「じゃ、私もう帰るから」



 こんなときは逃走に限る。


 びしっ、と片手をあげて分かれを告げる。



「あら、そう? なら最後に一つだけ。どこの異界研に登録しているかだけ教えてもらえる?」

「……なんで?」

「駄目かしら?」



 ……まあ、そのくらいなら。



「第十二よ」

「そう。私は第十六。覚えておいて」

「……?」



 よく分からないけれど、とりあえず私は長居してまた抱き締められたりするのは御免だったので、さっさと逃げ出すことにした。



「さようなら、佳耶」

「うん。さよなら」



 脚の筋肉をゴーストで強化して、地面を蹴る。



「……また会いましょう」



 そんな不吉な台詞が、風の音で掻き消えた。



「……なんだったんだろう」



 ベッドに寝転んで、天井を見上げる。


 思い返すのは、リリーのこと。


 変な攻撃をしたり、いきなり頬にキスしてきたり、しかもバイとか言いきったり……。


 ……キス、かぁ。


 キスされた頬に触れる。もう熱は引いていた。



「あの時、いい匂い、したなあ」



 シャンプーだろうか。


 柑橘系の匂いがしたのを、よく覚えている。


 少し、熱が上がった。



「――はっ。な、なに言ってるんだ、私」



 頭をぶんぶん振る。


 危ない危ない。


 自分でもよく分からないけれど、これ以上リリーのことを考えていたらマズい気がする。


 寝返りをうつ。


 視界に大きな棚が飛び込んできた。そこには、様々な小物が置かれている。


 全て異次元世界のものだ。さらに、その大半がこれまで私が全力で相手をした生物たちの遺品。


 今日戦った狼の牙で作った首飾りも、棚の右上のあたりに置いてある。


 ……そだ。


 机に腰をおろして、パソコンの電源を点ける。


 温泉、調べなくちゃな。


 起動までの僅かな時間を使って、私は雷砂鉄が治まった瓶を取り出した。


 佑子と春花にあげる前に、少し見栄えをよくしておこう。


 机の上に少しだけ雷砂鉄を零し、小瓶を二つ並べる。


 現状では、砂が九十五パーセントくらいで、雷砂鉄が五パーセントくらい。これを五割ずつにしておこう。


 ゴーストの赤い霧が指先から出てくる。


 ……本当はいけないんだけど、まあ自分の部屋だし、誰も見てないから。


 そう言い訳して、ゴーストを雷砂鉄に向ける。


 ゴーストは霧の状態では大した力を持たないが、砂粒くらいならなんとか持ち上げることが出来る。


 そして、砂粒一粒一粒を選定して、小瓶に素早く雷砂鉄を移していく。一緒に普通の砂を移すのも忘れない。


 作業はあっというまに終わった。


 五割の割合で雷砂鉄を含んだ小瓶の中身は、ほんのりと金色に輝いている。


 ま、こんなもんかな。


 ゴーストを戻す。


 小瓶の蓋を閉めて、あまった雷砂鉄を元の瓶に戻す。そして小瓶を学校の鞄の中に。大本の瓶は机の下にしまった。


 っと、じゃあ温泉、調べようかな。


 インターネットを繋げて、検索。


 温泉宿、温泉宿……と。


 ふうむ……ふむふむ。


 父さんの仕事は……この時期が一番暇が多いわよね。ここなら好き放題休暇を満喫できるだろう。


 母さんについては、専業主婦だから特に問題はないでしょ。


 あ、それと部屋にもちゃんと専用の温泉がついてる感じのがいいよね。折角の夫婦水入らずなのに温泉は別々に入るなんてもったいないし。


 条件を絞っていって、その候補を眺めていく。


 ん。これでいい、かな?


 選んで、よくそこの情報を見つめる。


 ……うん。問題ない、かな。


 あとは父さんと母さんに休める日程を聞けば完璧。


 ブックマークにそのページを登録しておく。


 とりあえず父さんはまだ帰ってきてないから、母さんにだけは先に聞いておこうかな。


 部屋を出て、リビングに向かう。



「母さーん?」



 母さんはテーブルでクロスワードパズルの雑誌と向き合っていた。パズルを解くのが母さんの趣味らしい。


 以前にルービクキューブを一分も待たないうちに完成させられたときはさすがに驚いた。


 なお、誠に残念なことに母さんのそういう理論的な知識は私にはあまり継承されてないらしい。



「どうかしたの?」

「んー。ちょっとね」



 言うのはもう少し先にしておこう。


 母さんに予定を聞いてみると、私が予定している時期には特に用事という用事はないようだ。よかった。


 いきなり予定なんて聞いてきた私に首を傾げる母さんをなんとか誤魔化し、自室に戻る。



「ねえ、佳耶?」



 その直前、母さんに呼びとめられた。



「今日は帰ってくるのが早かったのね?」

「……いつもごめんね。帰りが遅くて」



 私が家に帰ってくるのは、平均しても八時か九時。熱中すると深夜になる時だってある。


 父さんが帰ってくるのが大体九時で、家族がご飯を食べる時間はそれに合わせてあるのだけれど、もしそれまでに私が帰ってこなかったら先に食べてもらうように言ってある。



「それはいいのよ。別に責めているわけではないの」



 ただね、と。母さんが言葉を続ける。



「楽しい?」



 私はその問いかけに、迷わずに頷いた。



「うん。楽しいよ」

「それなら、いいの。怪我はしないでね?」

「大丈夫。私は殺されても死なないから」

「……随分と強かになってしまったわねえ」



リリーのイメージは某エトワール様。

ここまで言えば……分かってくれるよね?

佳耶編は――そういうことなのですよ。ええ。



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