7-47
醒める。
意識が飛んでいたのは、ほんの一瞬にも満たない間だけだろう。
視界は、緑色の光で塗り潰されている。
その光の奔流の中心。
恒星を思わせる強い輝きの石。
そこに伸ばされた俺の右腕は、ひどい有り様をさらしていた。
……まるでボロ雑巾だ。
苦笑し……目を瞑った。
夢を、はっきりと覚えている。
約束を、しちまったからな。
守らなくちゃならない。
その為に……やるんだ。
さあ――。
届け……っ!
全ての力を振り絞る。
裂傷は既に、身体中に出来ていた。
血を流し過ぎたのか、意識が徐々に薄らいでくる。
時間の感覚が狂って、一秒と百年を同じに感じた。
そんな時に脳裏をよぎったのは……天利の、笑顔だった。
もう一度、直接その顔を見たい。
あいつに、触れてみたい。
どうしてだか、そう渇望した。
その気持ちは……ああ。
そうか。
なんていうか……馬鹿だよなあ。
こんな場面でそんなの。
……なあ、天利。
ここにはいない、どこかにいる彼女への想い。
……帰ったら、伝えるよ。
全部、今まで自分でも知らなかったもの、全部。
今までありがとう、って言うよ。
それで……さ。
まあ、なんだ。
これからもよろしく、ってさ……言ってもいいよな?
刹那。
身体が、軽くなった。
そんな錯覚がして……。
手が……抵抗を感じることなく、石を掴んだ。
……あ。
掴んだ……?
そこで、身体の重みが戻ってきた。同時に、手の内に握り締めた石が、恐ろしいほどの灼熱を放つ。
「――ぐ、ぁ!?」
思わず石を手放しそうになって……けれど、俺はさらにそれを強く握りしめた。
ここまで来て、手離せるか!
腕に、力を込める。
そして、石を引っ張った。
石と大樹を繋ぐ幾本もの筋が、張り詰める。
そうして、一本、また一本と、筋が千切れていく。
まるで苦しむように石が点滅する。
俺の身体を引きはがそうと衝撃波が近距離から何度も叩きつけられる。
皮が裂け、肉が潰れ、血管が切れ、臓物が破裂する。
身体中、血が流れ出していない場所なんてどこにもなかった。
それでも、石を離したりはしない。
もう意識という意識も存在しない中で、俺は石を引っ張り、筋を千切っていく。
そうして……筋が、もう残り僅かになったその時。
最後の抵抗とばかりに、これまでとは比較にならないほどの衝撃波が放たれる。
それは周囲の樹の幹すら傷つけながら、俺の身体に叩きつけられる。
破壊され尽した身体を、幾千幾億の肉片にばらされたかのような感覚。
それでも俺は、石からは手を離さず……、
ブチッ――。
そんな音で、右手の内から抵抗が無くなって、そのまま身体は衝撃波にさらわれるように後ろへと吹き飛ばされた。
宙を舞いながら、手の中を見る。
そこには……緑色に輝く石があった。
ああ。
取れたのか。
……ゆっくりと、大樹を見る。
大樹には、何の変化も起きていなかった。
駄目、か……。
これだけやっても、駄目なのか……?
絶望感に打ちのめされそうになった……その瞬間。
温もりが、最早温もりなんて感じるだけの機能を遺している筈のない右手の内に感じた。
なんだ……?
手に視線を向けて、驚愕した。
石から、無数の筋が伸びている。
その筋は互いに絡まり合い、枝分かれし、そうしながら……俺の腕に、そこから身体中に巻き付いてくる。
なん……!?
状況を理解できない俺の目の前で、さらに意味の分からない現象が起きる。
筋に包まれた俺の身体が、右手の指の先から……おそろしい速度で再生していったのだ。
得体の知れない感覚。
再生は右腕から身体中へと……。
その再生の中で石は俺の右手の中へと埋まってしまった。
俺の身体は、ほんの瞬く間で。綺麗に健康時のそれへと戻っていた。
どういう、ことだ?
戸惑っている中、今度は右手……手の内側にあるであろう石に、熱が灯る。
それは先程までの、拒絶する灼熱ではなかった。
例えるのであれば……そう。
暖炉にともる炎の、人に温もりを与える為の優しげな熱。
見れば、右の指先から肘のあたりまで。
血管に沿うように、緑色の輝きが奔った。
直後。
信じられないような魔力が、右手の内側から溢れだした。
とても、認識できるような量の魔力ではない。
まるでそれは世界一つに満ち溢れる魔力をそのままここに持ってきたような、そんな出鱈目な量の魔力だった。
そして、それだけの魔力がこんな一ヶ所に集まったのだ。
それによって引き起こされた結果は……。
空間が、歪む。
黒が滲みだして、そして全てを染め上げていく。
――静寂。
視界が、黒で塗り潰された。
かと思った瞬間……全てが白くなった。
違う。
あれだけあった魔力が一瞬で嘘のように消え、空間が元通りになったのだ。
この白は……果てにある空の色だ。
視線を下ろせば、見えたのは深淵。
そう。
深淵だ。
俺のいた場所から先の地面が黒によって消滅したのだ。
それによって、俺のいる場所を境に、前方と左右の地平までの地の底に続く断崖絶壁が作り出されていた。
あるいはそれは、地の底よりも更に深い場所まで続いているのかもしれない。
そこでやっと、宙を舞っていた俺の身体が地面に落ちた。
ぼすり、と。砂の地面に転がる。
……あれ?
砂?
…………砂の地面のすぐ脇に、断崖絶壁が、あるんだよな?
ということは、つまり……。
ぐらり、と。
視界が傾いた。
断崖の縁から、地面が崩れ落ちているのだ。
俺はその砂流に呑みこまれていた。
まずい……!
慌てて立ち上がろうとするが、地面に手をつくことすらままならないせいで、身体を起こすことすら出来ない。
崩れ落ちる砂に呑みこまれながら……俺の視界に飛び込んでくる光景があった。
空の白い靄が、晴れていく。
見えたのは……膨大な年輪。
巨大な大樹の断面が、空に浮かんでいた。
え……どうして、空に……?
あれが、今消し飛んだ大樹の上部にあたるものであることは明白だった。
しかしどうして、上部だけで、地に根を張ることもなく浮かんでいるのか。
その答えは、すぐに出た。
さらに靄が晴れていく。
そうして……全貌が開かされる。
「な……!」
それは……根、だった。
そう。
根、なのだ。
俺が今の今まで大樹の幹だと思っていたのは……巨大な……あまりに巨大な樹の、その根の、ほんの先端でしかなかったのだ!
嘘だろ……。
呆然とするしかなかった。
そのまま俺の意識は、砂に呑みこまれた。