7-37
虹色の空白を、どれほど翔け昇ったか。
どうして俺、こんなところにいるんだっけ。
そんな思いがあった。
……なんだったか。
思い出せない。
止まろうか?
そんなことを考えて……でも、俺の内にある何かが囁いた。
もっと……。
もっと翔けろ。
その声に従って、俺はさらに加速した。
止まれない。
止まるわけにはいかないのだ。
とにかくその想いだけを手放さないように握り締める。
何故か、耳の奥が酷く痛んだ。
吐き気がしてきて……それを抑え込んむ。
まだか。
まだ、どこにも辿りつけないのか。
「……け」
声が、聞こえない。
自分の声なのに。
「つ……け」
果てしなく続く虹色。
じわり、と。
滲んでくる感情がある。
それは……、
「つら……け」
それは……、
「つら、ぬけぇええええええええええええええええええええええええええええ!」
憤怒。
いつまでも続く虹色。
果ての見えない飛翔。
いい加減にしろ。
いつまで俺にこんなことをさせるつもりだ。
魔力を集める。
魔力は虹色を歪め、色を奪う。
黒く、空間が染められていく。
次の瞬間。
なにかが起きた。
俺が黒の魔術を放とうとした、その直前。
激しい震動。
黒が、白に反転する。
ぐるりと視界が回った。
ありとあらゆる感覚が麻痺する。
次の瞬間。
虹色が白く裂ける。
そしてその裂け目に、俺の身体が吸い込まれた。
†
突如振り出した赤い血のような雨。
まだ、なにか起きると言うの……!?
刀を構え……、
そして……思考が止まった。
「苦戦してるみたいだねー」
肩を叩かれる。
私の肩を叩いその人物は……彼女は……どこまでも自然な動きで私の脇を歩きすぎると、三匹の巨人を見上げた。
腕を組んで、小さな頷き。
「めんどくさいから握り潰そう」
彼女の手が突き出される。
すると、辺りの赤い液体が――有機液体金属が、ぞわりと蠢き……そして幾千幾万の珠となって、巨人に向かって飛ぶ。
それらが、あっというまに三匹の巨人を包み込んだ。
彼女の虚空に突き出した拳が……握り締められる。
同時。
ぐしゃり、と。
そんな音が聞こえて……三匹の巨人を包み込んだ有機液体金属が、小さくなる。
その内側にいた巨人達がどうなったのか……考えるまでもない。
有機液体金属が、濃密な赤い霧に姿を変える。
と、緑色の血と肉を掻き混ぜた気味の悪い物体が、地面に落ちる。
赤い霧はそのまま、アイのいる方向へ移ろう。
そして霧がミノタウロス達を包み……霧の中から、ミノタウロスの身体の一部だったらしい白い破片が吐き出される。
霧が晴れると、その向こうには、なにもなかった。
さらに、イェスを囲む人馬に、霧の手が伸びた。
霧は人馬に巻き付くと、一本の長大な鎖にその姿を変えた。
一本の鎖に縛り付けられた人馬達がもがく。
それをまるで知らない様子で、鎖はそのまま徐々に締まり……締まり……。
人馬の身体が軋む。
その腕が折れ、胴が折れ、腰が折れ、脚が折れ、首が折れ、全身が折れ……さらに加えられる圧力によって、身体を締め千切られた。
……これは、なに?
広がる凄惨な光景に、未だ思考が立ち直らない。
と、物陰から彼女が取り逃がしたらしい人馬が一匹、飛び出してきた。
その槍が高速で彼女に突き出される。
それを、あろうことか彼女は……素手で、穂先を握るように受け止めた。
普通ならば、あんな槍に触れたら肉が削げる。
なのに、彼女の手には傷一つない。
彼女の手が触れている部分から、赤い液体が滲みだして、槍を……そして人馬をその液体が侵していく。
べきり。
人馬の関節が、全て曲がる筈のない方向に折り曲げられる。
そのまま人馬は崩れ落ちた。
彼女はそれを見て、どうでもよさげに肩を竦めた。
「我ながら、ひどいなあ」
その口元に浮かぶのは口元。
「いやあ、物量って、偉大だよね?」
そうして、苦笑から微笑に彼女の表情が代わり、その瞳が、私を向く。
視線が交わった。
「やほ、リリー。いつ戻ってきてたの……って、私が寝てる間に決まってるか」
間違いない。
目尻に、自分でも知らないうちに涙が浮かんでいた。
佳耶……。
佳耶が、目の前にいた。
†
「佳耶!」
リリーが飛びついてきた。
「おっ、とと!」
それを受け止める。
「よかった……目を覚ましたのね」
「なにそれ。それじゃあまるで、私が目を覚まさない心配をしてたように聞こえるよ?」
馬鹿だなあ。
私が、あのくらいでどうこうなるわけ、ないでしょ。
「にしても……リリー、もしかして満身創痍?」
もしかしなくても、かな。
だってほら……リリーの脇腹から、血、出てるし。
すっごい服に染みだしてる。
「これは、マギの戦争で負った怪我が開いただけよ」
「だけ、ってレベルじゃないから、それ」
とりあえず応急処置として、ゴーストで作った疑似的にリリーの傷口にかさぶたみたいなのを張りつけておく。
よし。これで失血死、なんてことにはならない。
あとは、あれだね。
辺りに倒れてる人達の怪我にも同じ処置をしておく。
んー、皆見とかシオンとか、なんかすごいことになってるなあ……。
あと、あっちほうで潰れてる葬列車。
あれ高かったのに……あんなに潰れて、修理費いくらくらいかかっちゃうのかなあ。
なんて考えながら、ゴーストで葬列車の中を探る。
うん、能村姉弟はちゃんと生きてるね。怪我もそう深くはない。多分、葬列車を破壊された時の攻撃の衝撃で気絶したんだろう。
よしよし、死者ゼロ。いいことだ。
「ねえ、佳耶」
「ん?」
「これは、どういうことなの?」
リリーの問いかけ。
これ、ってのは……まあこの大量のゴーストのことだよね。
「R・M社からついさっき届いたんだ。ゴーストって生産停止にはなってるけど、量産技術は実はもう確立してるんだよね。だから急いで出来るだけの量のゴーストを生産して、こっちに送ってくれたんだ。タンクローリ五十台分くらい」
「タンクローリ、五十台分……」
呆然とした様子で、リリーが私の言葉を反芻する。
いやあ、これだけのゴースト操作できるか不安だったけど、案外なんとかなるもんなんだね。
ぶっちゃけ今の私って最強の部類だと思うんだ。うん、これは真面目に。
だって、タンクローリ五十台分のゴーストって……凄いよ?
さっきやったみたいに、大きいものを包み込んで潰したり出来るし。
辺りに霧状にして散布すれば周囲の状況とか地形とかおおよそ把握できるし。
本当に戦闘の幅が半端なく広がる。
難点と言えば、ちょっと力加減が難しいことかな。
さっき、ここに来る途中で雑魚な異生物倒す時に、間違って一緒に民家数軒吹き飛ばしちゃったし。
あれは、びびったなあ。
後で訴えられたりしないよね?
閑話休題。
「ま、とりあえずさ」
リリーの脇腹にそっと触れる。
「いくら塞いだとはいえ、浅くない怪我なんだから、リリーは安静にしててね」
「え……佳耶?」
リリーが何を言い出すのか、という目で私を見る。
「私はほら、ちょっと……面倒そうなの叩き潰すから」
そこに、私目がけて気持ち悪い異形の異生物が突っ込んできた。
真っ黒な左腕は嫌な予感しかしないので、そこ以外をゴーストの鎖で拘束する。
異形の動きが止まり……けれど次の瞬間、鎖が弾け飛んだ。
ありゃ。
かなり頑丈に作ったんだけど……なるほど。
厄介な相手なんだ。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
リリーにそう告げて、佳耶が地面を蹴った。
と同時、彼女の背中に、巨大な紅蓮の翼が形成される。
羽ばたき、風が唸り、佳耶の身体が加速した。
†
「佳耶、気を付けろ! その黒い腕や現象はありとあらゆるものを消滅させる!」
巨大な翼を生やして舞い上がってきた佳耶に叫ぶ。
「りょーかい!」
応えてから、佳耶が両腕を空に向かって掲げる。
すると……異形よりも一回りほど大きな赤い杭が、空に現れた。
異形が黒い砲撃を放つが……一部が抉れるだけで、赤い杭は僅か足りとも揺らがない。
そのまま、杭が異形に落ちる。
異形は左腕を突き出すが、その左腕以外に、赤い杭の重量が圧し掛かる。
地面が砕けた。
異形の身体が潰され……赤い杭は落下の衝撃で砕け、そして霧に姿を変えて辺りに広がる。
大きく窪んだ地面の中心に、異形はまだ形を保って存在していた。
ただしその身体は、取り返しがつかないほどに損壊している。
なぜそれほどの被害を受けながら動いていられるのか。妾は全く理解できなかった。
とにかく『そういうもの』なのだ、と思うしかない。
つまり、あれを倒すには原型も残らぬほどに滅却しなくてはならない、ということか。
ああ……だが、なんというか……。
不敵な笑みを浮かべる佳耶を見ていると、不安な気持ちなど欠片も沸いて来ない。
本当にチートです。ありがとうございました。