7-33
黒の魔術が、やっと異形の肩の鎌を全て破壊する。
まずは厄介なものを一つ、処理できたのう。
異形が腕を振り上げ、それを足元の根に叩きつける。
と、魔力の衝撃波が辺りに撒き散らされた。
それを避けるワシに、異形は黒の砲撃を放ってくる。
空中で姿勢を変えて、その砲撃を紙一重で回避して、ワシは黒の魔術をお返しに放った。
狙いは無論、あの尻尾。
ワシの砲撃は……しかし尻尾に届く直前に、異形の左手に受け止められる。
これで何度目じゃ、こうして防がれるのは。
異形は、もう自分の左腕を犠牲にすることにためらいはないらしい。
既に何発もの黒の魔術を受けた左腕は、手甲でもつけていたかのような強固な輪郭を失い、緑色の血を大量に吹き出させている。その指はもう、親指と中指に薬指しか残っていない。
――と。
頬を何かが流れる感触。
む……。
そっと指で触れてみる。そして指先についたのは……。
これは……血?
ワシの眼が充血し、それどころか血が流れ出しているのだと気付く。
ふむ……頭が限界に近いということか。
血管が千切れ始めたのかのう。
これは、もう余裕もない。
そろそろ決めなくては、ならない。
……覚悟を決める。
もう、他のことなど考えている暇などない。
既にこうしてワシの身体は限界を迎えている。
ならば、ここで生き残ったところでこの後の戦いでワシが役に立つことはない。
……故に。
この異形を倒すことに、全身全霊を、生命の最後の一滴までをも使う覚悟で。
「行くぞ!」
宙に舞い上がる。
黒の魔術を放つ。
それに合わせて、異形が黒の砲撃を放ってくる。
二つの黒が交わり、消滅。
消滅した黒の向こう側。
異形は既に、黒の砲撃の二射目を放っていた。
……奇遇じゃのう。
ワシもまた、二射目の黒の魔術を放っていた。
さらに……まだ終わりではない。
二射目と同時に、三射目の黒の魔術も発動させていた。
無茶な魔術行使に、頭の奥で何かが千切れる音が聞こえた。
知るものか……!
この老いぼれの身体一つ、世界の未来の為ならば惜しくなどない!
「撃ち滅ぼせ!」
第二射の黒の魔術と黒の砲撃が相殺し……その空白を、第三射の黒の魔術が駆け抜ける。
黒の魔術が、異形の後頭部にある尻尾に命中した。
やったか……などとは考えない。
黒の魔術が晴れて……現れるのは、多少の損傷を得ただけの尻尾。
一撃でとれぬことくらい、分かっていたわ!
ワシはそのまま……尻尾に向かって――異形に向かって飛んだ。
異形の右腕が振るわれる。
触れればワシなどただの肉片に成り下がるであろう一撃をどうにか避けて、異形に肉薄する。
至近から、黒の魔術を放ち、尻尾を撃つ。
尻尾から、緑色の血が溢れた。
あと数撃!
連続で、黒の魔術を発動させる。
思考が白濁する。
身体中の血管が弾け、血が飛び散る。
黒の魔術を放つ。
黒の魔術を放つ。
黒の魔術を放つ。
黒の魔術を――、
ぐしゃ、と。
その音がなんなのか、最初は理解できなかった。
だが、すぐに気付く。
それは……異形の左腕が、ワシの右腕を吹き飛ばした音なのだと。
先の失われた右肩から、血が滝のように吹き出した。
痛みは、ない。
そんなものを感じる神経など、とうに壊れていた。
身体のバランスが崩れる。
宙に投げ出される。
眼下には、遥か彼方にある地上。
こりゃ、流石に落ちたら死ぬかのう。
思った以上に冷静に、そんなことを考えた。
「じゃが……」
魔力の鎖を作り出し、それを異形に巻きつける。
同時に、黒の魔術を放った。
黒の魔術が、異形の後頭部から伸びる尻尾を……吹き飛ばした。
最後の最後で、どうにか……か。
まあ、よくやった方じゃろ。
異形に巻き付けた鎖を全力で引く。
それに合わせて、異形の立つ根を魔力刃で切断。
異形の巨体が、宙に放り出された。
ふ……。
まあ、残りは若い者に任せてしまうとするか。
なあに……ここまで老人が頑張ったのじゃ。
大丈夫じゃろう。
ワシの意識は……そこで途切れた。
†
「ああ、来たか」
その気配を感じて、立ち上がる。
見れば右側からは巨大な車とも列車とも見分けのつかない乗り物が、左側からは第八席とアイ、それに皆見の姿。
目の前で車が停止し、その中から第四席、リリシア、それと能村姉弟が現れた。
「ルミニア様……こちらに来て、大丈夫なのですか?」
リリシアが開口一番にそう尋ねて来た。
「問題ない。そんな心配はするな」
そこで、ふと気になる。
あの二人の姿が見えなかった。
「悠希と佳耶は……どうした?」
その問いかけに……雰囲気が暗くなった。
「……あの二人は……意識不明」
アイが小さく応えた。
「…………そうか」
あの二人が、な。
まあ、意識不明ということは死んではいないのだ。なら問題はあるまい。
気分を切り替える。
「さて……これからについてだが、悪いが勝手に決めさせてもらう。妾らは、他では対応できない強力な異生物の掃討を行う。反対意見のある者は?」
視線を巡らせる。
どうやら、反対する者はいないようだな。
それだけ、格違いの異生物の危険性を理解していると言うことだろう。
まあ、雑魚ならば一般のSWでも十分対応できる。
適材適所というやつだ。
「なら早速だが、行こう。町のそこかしこから強力な魔力の気配がする。それを辿れば、格違いの異生物はすぐに見つかるだろう。順番に潰して――」
いくぞ、と。
そう言おうとして、空から強大な気配が近づいてくるのを感じた。
他の魔術師でない者達ですら、それを感じて、空を見上げる。
轟音。
落ちて来た、巨大な影。
それは……なんだあれは?
思わず眉をひそめる。
異様に細い、先が地面につかず僅かに浮かんでいる関節のない脚。捻じれた不気味な胴。手甲でもつけたかのような重厚な右腕に、それとは対照的にボロ布で作られたかのような緑の血を溢れださせる貧相な左腕。頭にはいくつのも眼が輝き、後頭部からも血が流れている。
その全身から、黒い霧が漏れ出している。
異形、だな。
それにこの損傷……明らかに、誰かにやられたもの。
とはいえ、こんなことを出来るのは、爺か臣護くらい。
上空で何が起きているのだろう。
それは分からない。
ただ、一つだけ分かることはある。
それは……、
「まずはこいつから、倒さねばならんな」
目の前の圧倒的な存在を倒さなければ、どうしようもないということ。