その程度の想いなら
「――――あのさ、俺達付き合わない?」
家までたった五分という短い帰り道、幼馴染の司が唐突にそんなことを口にした。
「付き合わなーーい」
間髪入れずにそう答えれば、司は物凄く分かりやすく顔を顰める。思わず笑い声を漏らせば、更に眉間に皺を寄せた。
「……何でだよ」
「うちらまだ十六だよ? 司がいくらモテるったって、女除けのために彼女作るには早すぎでしょ」
そう言って目を細めたら、不機嫌な顔が更に不機嫌になった。
(こういうところ、昔からちっとも変わらないなぁ)
気が強くて、負けず嫌いで。思ったことがすぐ顔に出ちゃう。
そんな性格なもんだから、司はものすごく人づきあいが苦手だった。
小学生ぐらいの子どもってのは、司みたいに分かりやすい性格の人間が大好物だ。やれ走り方が変わってるだの、すぐに怒るだの、泣き虫だの、ありとあらゆるものを揶揄いの材料にする。司をわざと怒らせて、笑いものにするのだ。けれど司はプライドが高いもんだから、そういうのを笑って流すことが出来なくて、後はもう無限ループ。ひたすらターゲットにされ続けていた。
だけど、中学に入った頃から環境ががらりと変わった。
『超絶美形の入学生がいる』って、上級生の間で司が話題になったからだ。
毎日毎日引っ切り無しに、女の子達が司のことを見に教室へとやって来る。黄色い声に羨望の眼差しが飛び交う中、女子の敵になってまで、司を揶揄おうっていう勇気のある人間はそう居ない。彼で遊んでいた男子たちは、手のひらを引っくり返したかの如く大人しくなった。
(だけど、人間の本質なんて中々変わんないよね)
周りが少しだけ大人になったとはいえ、当の本人はあの頃のまま。実直だけど融通の利かない、短気な性格をしている。
「――――女除けのために彼女を作る男なんているの?」
「いるよーー。多分だけど」
正直言ってこの辺は、少女漫画の知識なんかを引っ張って来ただけだから。そういう人がいるっぽいって感覚で喋ってるので、深堀はしないでほしい。
「良いじゃん。若いんだし、来るもの拒まず付き合ってみれば? 司なら、二股でも三股でも許されるんじゃない? っていうか、そういう子を選べば良いだけだし。良いよねぇ、イケメンは選び放題でさ」
高校生になって以降、司のモテ具合は加速の一途を辿っている。毎日引っ切り無しに女子から呼び出されているし、手紙やらプレゼントを貰うのも日常茶飯事だ。
(やせ我慢なんてせず、手当たり次第に試してみれば良いのに)
私達は十六歳。悟りを開くにはまだ早い。
女の子は誰も彼も可愛いし、一緒に居たら癒される。承認欲求だって良い感じに満たしてくれるはずだ。
そんなことを考えていたら、司は不機嫌に唇を尖らせた。
「俺、そんなことしねぇんだけど」
(……まぁ、そうだろうねぇ)
たとえキノコみたいにペタンコだった髪の毛が、ゆるふわにセットされるようになったとしても、遊び心のない私服が雑誌に掲載されるコーデみたいに変わったとしても、司の本質はなんにも変わっていない。
正義感が強くて、嘘やズルが嫌いで、馬鹿みたいに正直者。だけどプライドが高いから、肝心なことはあんまり言葉にしない。それが司だ。
「うーーん、じゃあ、そういうことに興味が出てきたとか?」
「そういうことって?」
「セッ――――」
「それも違う」
司は真っ赤な顔で、すぐさまそう否定した。割と本気で怒っているらしい。私のことを見つめつつ、眉を吊り上げている。
「美桜……おまえは昔からどうしてすぐそういうことを…………」
「何でって言われても、これが私の性格だし。司だって知ってるでしょ?」
相手は仮にも付き合おうって言った人間なんだし、性格位把握しておけって話だ。
司は悔し気に顔を歪ませつつ、徐に足を止める。あっという間の五分間。互いの家に着いてしまった。
「……なぁ、他に尋ねることないの?」
「別に、聞きたいことは聞いたし?」
門扉に手を掛けながら、私は小さく首を傾げる。
「あるだろ? もっと大事なことが」
「ないよ。だって、その程度の想いなんでしょ?」
んべ、と舌を出してそう口にすれば、司は小さく目を見開く。ガチャンと音を立てて扉が閉まった。
***
「美桜――――あんた、しばらくは夜道に気を付けた方が良いと思う」
「……えーー、何それ?」
翌日の昼休み。机に持ち寄ったおやつを広げ、女友達からそんなことを言われる。
「相手はあの司君よ⁉ もしも告白されたことが他の子にバレたら絶対ヤバいって!」
「結愛が黙ってたら誰にもバレないし、そもそもあれは告白じゃないって」
ケラケラとそう笑い飛ばせば、結愛は唐突に真顔になった。
「美桜、世間では『付き合おう』って言うだけで、告白は成立するもんだよ」
「世間ではねぇ」
だけど、私の中の常識は私が決める。だから、あれは断じて告白ではない。
「だってさぁ、男子って大して好きな子じゃなくても『好きです』って言われたら付き合うものなんでしょ?」
「え? いや……それはどうだろう? 聊か偏見が過ぎる……っていうか、それは男子に限らず女子もそうなんじゃない? 人に依るけど」
結愛はそう言って小首をかしげる。私はコクリと頷いた。
「そう、人に依るの。そんで、大人になったら今度は『キープ』だとか『セフレ』みたいな概念まで出てきて、いよいよ『付き合うって何?』な状況になってくるわけじゃない」
「――――――あんたのその歪んだ恋愛観は一体どこから……っていうか、うちらまだ高校生だし、そんなややこしく考えなくて良いんじゃない?」
結愛は呆れたようにそう口にし、小さくため息を吐いた。
「前から思ってたけど、司君のこと言えないぐらい、美桜も負けず嫌いだよね」
「………………そーですねーー」
決して自覚が無いわけじゃない。私は頑固で意地っ張りで、大の負けず嫌いだ。
だからこそ、同じ性質を持った司の気持ちが私にはよく分かる。司が傷ついている時は私が、私が傷ついている時は司が、慰めたり励まし合ってきたのである。
「美桜のそういうところ、わたしは好きなんだけどさぁ……損すると思うよ?」
「損?」
「だって、よく考えてみ? たった一回頷くだけで、皆の憧れ『司君』が彼氏になってくれるんでしょ? 付き合う理由とか、それこそどうでも良いっていうか……付き合った後で幾らでも言わせればじゃん」
「――――――――――――別に、私は付き合わなくて良いもん」
「沈黙が正解を物語ってますよ、美桜さん」
悔し紛れだと思ったのだろう。結愛は揶揄するように笑いながら、身を乗り出す。
「本当のことだもん。だって、付き合うって具体的に何をするわけ?」
「それは……朝夕とスマホで連絡取り合ったり、一緒に帰ったり、遊びに行ったり、とか?」
「それ、既にしてることだし」
言いながら自然と唇が尖る。何故だか胸がざわざわと騒ぎ、落ち着かなくなった。
「だったら尚更、『幼馴染』から『彼氏』に名前が変わるだけでしょう?」
(それはそうなんだけど……)
そう思いつつ、私は何も言い返すことが出来なかった。
司が私を『幼馴染じゃない存在』にしたかったのは間違いない。それがどうしてなのか、分からないわけでも無い。
(だけどわたしは、名前が変わるだけじゃ嫌だもの)
子どもっぽいってことも恋愛に夢見過ぎだってことも重々承知しているけど、別に聞き分けの良いお嬢様で居る必要も無いんだもの。どう思おうと私の勝手だ。言葉にできない程度の想いなら要らないし、敢えて名前を変える必要もないと思う。
(結局、アイツにとって私はその程度で――――)
「ちょっ……見てよ美桜! あそこ! 司君、葵先輩と一緒じゃん」
そう言って結愛は、わたしの首をグイッと動かし、運動場へと向けさせる。彼女の言葉通り、視線の先には司と、学園のマドンナである葵先輩がいて、二人で顔を見合わせて笑っていた。
(何なのよ、アイツ)
付き合おうって言われたのはつい昨日のことなのに、全く良い根性をしている。別に、断ったのは私だし、関係ないんだけど、良い気はしない。
「ベタベタし過ぎじゃない? なんか距離も近いし」
結愛はそう言って眉間に皺を寄せる。
(そうそう……アイツの彼女になったら絶対こんな風に女子の反感を買うんだよ)
女子からの人気も高い葵先輩ですらこの反応だもの。何を取っても中の中の私なんかと付き合ったら、非難轟々、嫉妬の嵐に吞まれるに違いない。
(これまでだって『幼馴染って得ねぇ』とか『大して可愛くもない癖に』とか『ブス』とか『馬鹿』とか『ベタベタすんな』とか『司君は迷惑がってる』とか、アレコレ言われてきたんだもの)
付き合い始めたとなれば、やっかみは今の比じゃないはずだ。
(別に、私には関係ないんだけど!)
結愛が言うような『損』とか『得』とかよく分かんないし、どうでも良い。はにかむ様に微笑む司から目を逸らし、わたしは小さくため息を吐いた。
***
「待ってなくても良かったのに」
その日の放課後、部活終わりに昇降口に行ったら、いつもみたいに司が居た。
今日はいつもより練習が遅くなった上、司が在籍するサッカー部はとっくに練習が終わっていたので、先に帰っていると思っていた。っていうか、そうするようにLINEしておいたんだけど。
「一人で帰ったら危ないだろ?」
「別に……五分で家着くし」
私達の家は駅から反対方向だから、人気は確かに少ないんだけど、特段寂しい道ってわけでも無い。誰かしら歩いてるし、危ないことなんて一つもない。
「素直じゃない女はモテないらしいぞ」
「別に、モテたいとか思ってないし」
素直じゃないことは否定しないけど、司以外の男に興味もない。言えば司は小さく笑って「行くぞ」って言う。
「ここまで言っても、結局は一緒に帰るんだね」
途中で腹を立てて『もう良い』って言い出しても良いのに、司は私が靴を履き替えるのをじっと待っている。トントンとつま先を鳴らして司の元に急ぐと、彼は当たり前みたいに手を差し出してきた。
「何、その手?」
「……手は手だろ?」
「いや、そういうことじゃない。どうしてこう……こっちに向かって広げられてんの?」
「そんなの、俺の勝手だろ?」
そう言って司は、私のカバンを持ってない方の手をギュッと握ってくる。その瞬間、心臓が掴まれたみたいにギュッてなった。
「な……ななっ!」
「美桜……お前、顔真っ赤」
「そんなの、夕日のせいだし!」
司から顔を逸らしつつ、精一杯の強がりを言う。
「こうしてると子どもの頃を思い出すなぁ。俺、美桜と手繋いで帰れって言われてたし」
「それ、学童の集団下校でしょ? もう十年も前の話じゃない」
だけど、そんな風に言われたら『手を放せ』とも言いづらい。私だけが意識しているみたいで悔しいもの。 大体、私達は昔を懐かしむほど大人にはなってるわけじゃない。だけど、子どもってわけでもないと思う。
(色んなことが中途半端だ)
この世には白黒ハッキリしないことがたくさんあるんだって分かってる。だけど、それが受け入れられない私は、やっぱりまだまだ子どもなのかもしれない。
「おまえの手、こんなに小さかったんだな」
「違う。そっちが勝手に大きくなっただけ」
そう言ってチラリと司を見上げれば、こっちが恥ずかしくなるぐらい嬉しそうに笑っていた。胸のあたりが熱くてゾワゾワして、落ち着かないしもどかしい。繋がれたままの手のひらが汗ばんで、まるで心臓が移り変わってしまったんじゃないかってぐらい、ドクドクと鳴っていた。
「美桜…………俺と付き合ってよ」
家まであと数歩って所で、司が脈略もなくポツリと呟く。
「……付き合わない」
その程度の気持ちなら――――その想いは変わらないのに、昨日よりもずっと、身体が熱かった。
***
それから一ヶ月の時が過ぎた。
司とは相変わらず、付かず離れずというか、曖昧な距離を保っている。
「阿保らしっ。さっさと付き合っちまいなよ」
結愛はそう言うけれど、こうなったらもう意地と意地の張り合いというか……こっちから簡単に折れるわけにはいかない。
「今週だけで司君が何人から告白されたか知ってる?」
「? 一人ぐらい?」
「違う、五人。そういうの、本人から聞かないの?」
「聞かないし、司も言わないよ」
漫画とかでは『勘違いされたくないから』とかいって自己申告するパターンが多い気がする。でも、それをしないってことは、結局私は司にとってその程度の存在なんだろう。
「まぁ、考えてみたら一週間で五回も告白報告すんのって面倒かもね。司君、去年のバレンタインデーに学年全員の女子からチョコ貰ったって話だし」
「ああ、それはガセ。だって私、司にチョコ上げてないし」
「あんたねぇ……」
結愛が呆れた表情でそう口にする。
「意地っ張りもそこまできたらすごいというか」
「違う……そうじゃなくて、司はチョコ嫌いだから」
「あっ、そうなんだ」
だから、毎年山程贈られてくるチョコレートを食べるのは、私の役目。デリカシーのない奴、と思いつつも、司と食べるチョコレートは甘ったるかった。
(ただチョコレートを贈るだけじゃなくて、気持ちを打ち明けた女の子も居ただろうにねぇ)
そんなことを思ったその時、スマホがブブッと鳴った。
「誰から?」
「ん……司だ。【今日は一緒に帰れない】だって」
「へーー、そんなの初めてじゃない?」
結愛は目を見開きつつ、小さく首を傾げている。
「……初めてだねぇ」
記憶にある限り、そんなの初めてのことだ。
私の方が【結愛と遊ぶ】っつって断ることがあっても、頼んでもないのに私を駅まで迎えに来たりしていたし。司が数少ない男友達と遊ぶのなんて、休日ぐらいのもんだった。それだって、共通の友達が多いから、私と一緒だったりする。
(危ないから送る云々言ってたのは一体何処に行ったんだよ)
親よりも過保護な司の思わぬ行動に、理由も分からぬままモヤモヤする。
【分かった】
そう返事をしながら、私は小さくため息を吐いた。
だけど、その日の放課後。いつものように楽器を組み立て、基礎練習に励んでいた私の視界に、信じがたいものが映った。
(嘘……司が知らない女の子と一緒に帰ってる)
手を繋いでいるか、それ以上に近しい距離。互いに顔を見合わせ、ゆっくり、ゆっくりと歩いているのが見える。
(もしかして、今週告白されたっていう五人のうちの一人かな?)
考えながら、お腹のあたりがグルグルして気持ち悪い。さっさと視界から消えて欲しいのに、どういうわけか、ちっともフェイドアウトしてくれない。顔を背けようにも、先輩たちの手前、身動きが取れずにいる。
(何よ)
目頭が熱い。辛い気持ちを吐息と一緒に吐き出して、少しはマシになった気がするけど、すぐまた元に戻ってしまう。
(何なのよ)
司は嘘を吐いたわけでもズルをしたわけでも無い。だけど、結局私なんてその程度の存在だったんだって思い知った気がする。
『美桜のそういうところ、わたしは好きなんだけどさぁ……損すると思うよ?』
いつかの結愛の言葉が頭の中で鳴り響く。
(そうだね)
ポロリと一筋、涙が零れ落ちた。
それから数時間後。昇降口へ降りた私は、思わず目を見開いた。
「何で? 今日、一緒に帰れないって」
「いや……やっぱり美桜のことが心配でさ」
バツの悪そうな表情で司が言う。荷物は家に置いて来たらしく、手ぶらだ。
「別に、心配してもらわなくて良いし」
素早く靴を履き替えつつ、私は眉間に皺を寄せた。
(何よ……一体何なのよ)
涙が滲む中、顔も上げずに歩き出す。
「おい、美桜」
「触らないで!」
司の指先が手のひらへと触れた瞬間、私はその手を跳ねのけた。司が呆然とこっちを見ているのが分かる。だけど、私は顔を上げることが出来なかった。
「今日だけじゃなくて良い。私、司とは一緒に帰らない」
「は? おまえ、何言って」
「お願いだから、もう私に構わないで!」
一目散に駆け出せば、涙が止め処なく零れ落ちる。胸が張り裂けそうに痛かった。
***
「ほぉんと美桜は……分かりやすく拗らせるよね」
「……拗らせてない」
「そんな人間は、昼食をこんな場所で取りません。わたしまで巻き込んどいてよく言うよ」
裏庭にレジャーシートを広げ、私は結愛とお弁当を食べていた。日毎に場所を変えるし、食べ終わったらすぐまた別の場所に移動するようにしている。
「だから……無理に付き合ってくれなくても良いって」
「そんな寂しいこと言わないの。あんたみたいな面倒くさい人間と付き合える人間、わたしぐらいしか居ないんだし」
「ひどい」
「事実だし。だけどわたしは、そんなとこも好きだから、気にすんなって言ってんの」
結愛の言葉に涙が滲む。下手な慰めよりもずっと愛情を感じた。
「それで? 今朝は何時に家を出たの?」
「七時。司が昨日は七時半に迎えに来たって言うから、ニ十分ほど早めてみた」
「……授業まで二時間近くあるのに、一体どこで時間潰してるの?」
「公園行ったりとか、駅の周辺うろついたりとか、とにかく一所に居ないようにしてる」
あれから司とは一言も口を利いていない。LINEの返事もしてないし、朝も夕方も会わないようにしている。
「馬鹿だねぇ……さっさと仲直りしちゃえば良いのに」
「馬鹿だよーー。笑って良いよーー。寧ろ笑って」
自分でも段々可笑しくなってくるぐらいなんだから、他人から見たらさぞや滑稽だろう。だけど、それでも今は司に会いたくない。話したくないし、声すら聴きたくなかった。
(だって『彼女が出来た』とか言われたら泣いてしまう)
矛盾ばっかり言ってる自分が情けなくて、頬は既に濡れている。両手で顔を覆いつつ、私はため息を吐いた。
「――――あのさぁ、わたし思うんだけど、他に彼女が出来たなら、そうまでしてあんたのことを追いかける必要なくない?」
「……分かんないじゃん。付き合おうって言った手前きちんとケジメを付けたいとか、そういうことかもしれないじゃん。司、そういう性格だし。
あとは私が逃げるのがムカつくだけとか」
「それならLINEで一言そう書けば良いでしょ?」
「LINEは未読スルーしてるもん」
着信通知で見る限り、結愛の言うような言葉は並んでいないし、【おい】とか【返事しろ】みたいな短文しか書かれていない。だから、司が何を話したいのか分からないし、ぐちゃぐちゃ色々と考えてしまって、正直怖い。
「美桜――――あと半月ぐらいはこのままで良いとしても、それ以上はダメ。決別するにしても、どっかでちゃんと向き合って話さなきゃ、お互いモヤモヤしたままでしょ? 大体、あんたがハッキリしないのは嫌って言ったんじゃない」
「……はい、仰る通りです」
いつまでも逃げ続けちゃいけないってことは分かっている。既に十分自己嫌悪に陥っているし、長引かせたら体力がもたない。
(こんな面倒くさい女放っておけよ)
心の中で呟きつつ、私は盛大なため息を吐いた。
だけどその日から、司からの連絡はピタリと途絶えた。朝も迎えに来なくなったっていうし、昇降口で待ち構えてる、なんてこともない。
(ほらね)
所詮はその程度。想いを言葉にできない時点で、答えはとっくに出ていたんだって私は自分に言い聞かせる。
「結愛……頼むから慰めないで」
「……分かってるわよ」
私みたいな意地っ張りに慰めは禁物だ。己が招いた結果だって分かってるし、余計に傷ついてしまう。今後のためにグサグサと傷を抉ってもらうっていう手もあるけど、それは少なくとも今じゃない。
(バカ、アホ、ドジ、マヌケ)
頭の中で自虐的に歌いつつ、私は紙コップへと飲み物を注ぐ。
今日は一年に一度の学園祭。その最終日だ。
うちのクラスはクレープ屋をやっているんだけど、不器用な私にクレープ作りには無理だったので、ホール係をやるしかない。程よく空いた店内を回りつつ、なけなしの愛想を振りまいた。
「いらっしゃいま――――」
「美桜」
紙コップを片手に握りしめたまま、私は小さく目を見開く。同伴者もなく、一人寂しく座っていたのは他でもない、司だった。
胸がツキツキと軋んで痛い。ゴクリと唾を呑み込めば、司は小さくため息を吐いた。
「お前さ、今日の後夜祭出る?」
「後夜祭?」
そういえばそんな催しがあると結愛が話していた。参加するもしないも生徒の自由で、用事がない人はさっさと帰ってしまうって話だけど、一緒に出ようと誘われている。
「来いよ」
そう言って司は、私からジュースを受け取り、一気に飲み干す。それから勢いよく立ち上がった。
「絶対来いよ」
眉間に皺を寄せたまま、司は教室を出ていく。私は黙って彼の後姿を見送ることしかできなかった。
***
後夜祭会場は熱気と興奮に包まれていた。学園祭の実行委員がビンゴ大会やら軽音部の演奏やら、色んな催しを用意していて賑やかだ。普段は口うるさい教師たちも、生温かい表情で見守ってくれている。一つ行事を終えた開放感ってのは大きいらしく、みんな食べ物や飲み物を片手に盛り上がっていた。
「それにしても、どうしたんだろうねぇ、司君。わざわざ後夜祭に来て欲しいだなんて、何だかこっちがドキドキしちゃう」
結愛はそう言ってニマニマと笑っている。
「ドキドキって――――彼女を紹介したい、とかかもしれないじゃん」
「だったらあの場に連れて来ればいいでしょ?」
まるで自分のことのように浮足立った結愛に、私は少しずつ冷静さを取り戻していく。
(大体、司の奴、何処にもいないじゃない)
司が居れば女子が浮足立つからすぐ分かる。それが無いってことは、奴はこの場には居ないってことだ。
(別に、私はアイツに言われたから後夜祭に来たわけじゃないし)
結愛が出ようって言うから来た。ただそれだけだ。そう思いつつ、何となく腹が立ってくる。
「あっ、メインイベントが始まったみたいだね」
「メインイベント?」
「そう。未成年の主張って奴」
風に乗って微かに聞こえてくる叫び声に耳を澄ませつつ、結愛に促されるまま運動場へと移動する。見れば屋上に生徒が一人だけ立っていて、その下に多くの生徒達が集まっていた。
「あぁ……なんかテレビで見たことあるかも。クラスのこととか趣味のこととか、主張を好きに叫ぶって奴でしょ?」
「そう、それ。毎年やってるらしくて、楽しみにしてたんだよね」
そう言って結愛はニコニコと笑う。
私達は集まった生徒の一番後ろに立ち、次々と繰り広げられる主張に耳を傾けた。
(これ、めちゃくちゃ緊張するだろうなぁ)
ただ想いを口にするだけでも恥ずかしかったりするのに、それをみんなの前で打ち明けるなんて、並大抵のことじゃない。
(屋上に立つ人たちは、それを置いても訴えたい何かがあるんだなぁ)
推しのアイドルへの愛を語る上級生を見ながら、そんなことをぼんやり思った。
「さあ、次は最後の主張者です」
「一年生、北里 司です」
その瞬間、会場が黄色い声援で湧き上がる。熱気で肌がビリビリと震え、私はゴクリと息を呑んだ。
「何やってんの、アイツ」
しかめっ面で隣を向けば、結愛は「さぁ?」と小さく笑う。
(司の奴、びっくりするぐらい恥ずかしがり屋なくせに)
プライドの高い人間は失敗を嫌う。そのせいで司は、これまで目立つことが大っ嫌いだった。
学芸会で役を欲しがらないのはもちろんのこと、授業でも発表とか極力しない。
(それなのに、あんな場に立つなんて……)
「一か月前、俺は幼馴染に告白をしました」
司が声を張り上げた途端、あちこちから悲鳴が上がる。
「アイツ、正気⁉ 一体何を…………」
「だけど、断られてしまいました。俺が『付き合おう』としか言えなかったから……」
その瞬間、ぐるりと音を立て、周りがこちらを向くのが分かった。
女子生徒たちの視線は『勘違い女め』『あり得ない』『最低』といった悪意に満ち満ちている。男子生徒すら呆れたような表情だった。
(司の馬鹿! これが目的だったの⁉)
ダラダラと変な汗が流れ出し、嫌な悪寒が走った。
「どうしたら良いか本当はちゃんと分かっていたのに、俺は今日までずっと何もできなかった。馬鹿みたいに意地張って、その内何故だか距離まで置かれてしまって。そんな風になりたくて告白したんじゃないのに。
だから今日は、俺の気持ちをちゃんと伝えたくてここに来ました」
司は至極真剣な表情をし、真っ直ぐ私の方へと向き直る。身体中が熱くなり、心がぶるりと震えた。
「美桜、聞こえるか⁉
俺は、おまえが好きだ! 大好きだ! おまえのこと、誰にも渡したくないし、もっと側に居たい! だから付き合いたいって言った!
今もその気持ちはちっとも変わってない! 俺と付き合って欲しい!
これでもまだ、『その程度の気持ち』だって言うのか⁉」
司の顔は真っ赤だった。遠目からでも泣き出しそうな表情をしてるって分かる。
(あぁーーーーもうっ!)
会場中が固唾を飲んで見守る中、私は校舎に向かって駆け出した。司もすぐに踵を返す。悲鳴なのか歓声なのか、よく分からない声が響き渡り、私はギュッと目を瞑った。
ローファーを小脇に抱え、階段を一気に駆け上がる。真っ暗な校舎。だけど不思議と怖くなかった。
遠くの方から、カンカンと誰かが階段を駆け降りる音がする。段々とそれが近づいてきて、私の心臓の音が速くなる。
「美桜!」
司が私の名前を呼び、勢いよく抱き締める。汗臭いシャツの香り。苦しい位にギュッてされて、涙がポロポロと零れ落ちる。
「司のバカ!」
こんな時にまで私の口は悪態を吐く、だけど司は「うん」って言って笑った。
「私、ここまでしろなんて言ってない!」
「うん、言われてない。俺が勝手にやったことだ」
階段の踊り場に二人して座り込み、縋りつくようにして泣く。
「普通に『好き』って一言言ってくれたら……それで良かったのに」
「分かってるよ! だけど何年間もずっと想い続けてるのに、『その程度の気持ち』とか言われるし、その癖俺は『好きだ』ってすぐに言えないし。
大体、最近は話すらしてくれなかっただろ? まともに会ってすらくれないから、こっちも一大決心したんじゃないか」
「だって……だって…………司に他に彼女が出来たって思ったんだもん‼」
今この瞬間に嫌われてしまいそうな程、みっともなく泣き喚いてしまう。そんな私を、司は困ったような笑顔で見つめていた。頭を優しく撫でながら、ギュッて抱き締められる。
「おまえの友達に聞いたよ。まさかそんな勘違いしてると思わなかったけど」
「だって、一緒に帰ってたじゃん! 仲良さそうに寄り添ってさ!」
言い掛かりに近いことを口にしているってことは分かっている。だけど、ここまで来たら簡単には引き下がれない。覚悟を決め、私は司のことを見上げた。
「あの子はあの日、俺のせいで怪我をしちゃったんだ。病院に行くのは放課後で良いっていうし、肩を貸すために付き添ったんだけど、単なる打撲だったし、何なら俺の気を惹きたかっただけだって分かった。本当に、ただそれだけだよ」
そう言って司は私の顔を覗き込む。
月明かりに照らされた司の顔は、めちゃくちゃ綺麗だった。多分、どんな芸能人でもモデルでも、司には敵わない。
だけど、司の良いところってのはそういうのじゃなくて、この責任感と実直さ、優しさにあると思う。他の人には難点に映るプライドの高さだって、私からすれば可愛しい、なんなら愛おしいとすら思う。
「――――それで、返事は?」
司は眉間に皺を寄せ、ずいと顔を近づける。
「そ、れは……」
「この俺がここまでしたんだ。美桜も素直にならないと許さないぞ」
おでことおでこが重なり合って、鼻先が触れ合う程に近づけといて『素直になれ』も何もない気がする。だけど、司の言う通り、こんなにも意地っ張りで馬鹿な私が素直になれる機会なんて、今後中々訪れないだろうから。
「私も司のことが好き。大好き。これまで素直になれなくて、ごめんね」
言えば司は、今にも泣きだしそうな表情で笑う。何だかこっちまで嬉しくなって、目を細めたその瞬間、唇に柔らかな何かが押し当てられた。
甘くてフワフワした何かが心の中を温かく満たしていく。緊張から互いの唇は震えてしまっているし、多分後から我に返って物凄い羞恥心に駆られるだろう。だけど、不器用に頬を撫でる指先とか、一生懸命私の身体を支える腕とか、司の全部が愛しい。
「――――もう二度と、『この程度の想い』なんて言わせねぇからな」
照れくさそうに唇を尖らせた司に、私は堪らず笑い声を上げる。
意地っ張りで恥ずかしがり屋で、だけど責任感の強い彼のこと。宣言したからには全力で実現してくれるに違いない。
「期待してる」
精一杯の強がりを口にすれば、司はほんのりと目を丸くする。それから私を力いっぱい抱き締めて笑うのだった。