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前編



 そうだ。

 エトアルトは別に私を好きというわけじゃないと。

 ただ、お父様とお母様に言われて仕方なく婚約しているだけなのだと──今更ながらに思い出していた。




 ***


 ──また、あの子だわ


 聞き覚えのある声に、ネリッサはエトアルトの私室の前でかたまった。

 閉ざされた扉の向こうからはエトアルトの声に混じって、一人の明るい女の子の声が聞こえてくる。二人は話に熱中していて、ノックに気づいた様子はない。


 また、歴史の話でもしているのだろう。


 ネリッサはなんだか気が削がれてしまって、今日はもう帰ろうかしらと俯いた。その両手にあるのは綺麗な包装紙に包まれたお菓子の箱だ。

 街での買い物帰り。前にエトアルトが好きだと言っていた限定発売の菓子が手に入ったから、お裾分けのつもりでネリッサはエトアルトの屋敷に寄ってみたのだった。二人でのんびりお茶でもしようかと。



 けれどその彼は仲良しの女の子と取り込み中のようで。



 ネリッサはもう一度ノックをしようとしたエトアルトのメイドを見上げた。


「いいわ。盛り上がってるみたいだし、邪魔するのも悪いから、今日は帰る」

「ですが、ネリッサ様」

「これ、エトに渡しておいて」


 そう言って、持っていたお菓子の箱を差し出す。自分用とエトアルトと二人で食べる用にと、二つ買っておいてよかったと安堵しながら。


 と、その時。室内から足音が近づいてきたかと思うと、ネリッサの真横にあった扉が勢いよく開かれた。


 そこから顔を覗かせていたのは、もちろん部屋の主であるエトアルトだ。


「やっぱり、ネリッサだ」


 やっぱり?

 メイドとの話し声が中まで聞こえていたのだろうか。

 思わず目を丸くしたネリッサに、ドアノブに手をかけたままエトアルトが小首を傾げる。


「どうしたの? 今日来る日だったっけ?」


 そうして「まあいいや、入りなよ」と入室を促してきた。

 ネリッサは慌ててその背に声をかける。足は、廊下に置いたままだ。


「あ、違うの。あなたが好きだって言ってたお菓子が買えたから渡しにきただけなの。あとでゆっくり食べて……ジュリエットさんとでも」


 ネリッサは言いながら、部屋の奥から顔を覗かせてきた一人の少女を見つめ、挨拶をした。


「こんにちは、ジュリエットさん」


 ジュリエットはまん丸のぶ厚い眼鏡を押し上げながらネリッサを見つめると、ぱあっと表情を明るくした。近眼で、じっくり見ないとわからないのだそうだった。


「ああ、ネリッサさんでしたか。こんにちは!」


 元気よく言ったジュリエットというこの少女は、エトアルトの親戚だった。


 今は彼女の父親の仕事の関係で、家族皆でエトアルトの屋敷に滞在している。

 歳もネリッサとエトアルトと同じ12歳と近く、ジュリエットはこのところよくエトアルトと一緒にいるみたいだった。それには同じ家で過ごしているから、という理由もあるのだろうけれど、二人の仲がいい一番の理由は共通の趣味──つまりは歴史好き同士、ということだった。


 ジュリエットはネリッサに歩み寄ると、にこりと笑った。


「今エトアルトと革命について話していたところなんですよ! 良かったらご一緒しませんか?」

「え? あ、ああ、そうね。でも今日はもう帰るところだったから」

「あら、そうなんですか」


 ジュリエットは途端、残念そうに眉根を下げた。気持ちに素直な、表情のころころ変わる少女だった。ネリッサはエトアルトと同じ綺麗な緑色をしたジュリエットの瞳を見つめながら、小さく微笑む。憎めない子だなと思った。


「持ってきたお菓子、すごく美味しいの。エトと一緒に食べてね」

「はい……! ありがとうございます、いただきます!」


 そう言ったジュリエットの後ろに立ったエトアルトが、淡々とつぶやくように言う。


「ネリッサ、本当に帰るの? 少しくらいいればいいのに」

「ん、帰るわ。家で本の続きも読みたいし」

「そう」


 彼はあっさりわかった、と頷く。

 その表情はいつも通り冷静で、だからネリッサはエトアルトが何を考えているのか、いまいちよくわからなかった。


(エトもジュリエットさんの半分でいいから、感情を出してくれる男の子だったら良かったのに)


 エトアルトは昔から口数の多くはない、大人しい子供だった。

 一緒にいても話題を振るのは大体がネリッサで、聞けば答えてくれるけれど、エトアルト自身は自分で自分のことを話したがる方ではない。


 何が面白かったとか、何が嫌だったとか。婚約者だというのにネリッサはそう言った話をエトアルトから聞いたことはほとんどなかった。



 けれど──


 けれど彼は、ジュリエットと歴史の話をする時だけは、いやに早口に、そして饒舌になる。いつもはぼんやりしている瞳を輝かせて、はつらつと、まるで息でも吹き返したみたいに歴史について語り出すのだ。



 そしてネリッサは、そんな二人についていくことが出来ないでいた。

 

 

(まあ、別にいいけど)



 歴史なんて家庭教師に合格点を貰えるくらいの知識があればいいと思っているネリッサは、もしもあの時あの女王様が逃亡しなかったらだとか、過去の英雄の逸話だとか、そう言った話に少しも興味を抱くことが出来なかった。

 そんな自分がいても、場を白けさせてしまうだけだろう。


 ネリッサは「じゃあ」と後ずさるように踵を返す。



 ジュリエットが彼の家で暮らしはじめて、かれこれ二週間が経とうとしている。


 そしてネリッサは、このごろもやもやしたものを感じるようになっていた。



 *


(やっぱり、一緒にお茶してくれば良かったかな)


 自宅に戻ったネリッサは一人、私室でお気に入りの小説を読みながら買ってきたばかりのクッキーを頬張っていた。


 おかしなことに、以前食べたものと同じはずのそのクッキーは、エトアルトと一緒に食べた時ほど美味しいとは感じられなかった。そしてふとネリッサは、その理由が普段あまり感情を表に出さないエトアルトが珍しく美味しい美味しいと言って食べていたからだと気がついた。ネリッサは、エトアルトの喜ぶ顔を見たかったのだ。


 一人ぼっちで食べるクッキーも、美味しいことには美味しかったけれど、なんとなく味気なくて。


 ネリッサは小さくため息をつくと、本に栞を挟んで閉じた。


 エトアルトとの関係について、最近、思い悩みはじめたことがあった。



(婚約、解消するべきなのかな……)



 ぼんやりと思いながら、ベッドに仰向けに寝っ転がる。そうして天蓋の薄闇を見上げながら思うのは、エトアルトとジュリエットのことだった。


 二人は、とてもお似合いだった。

 共通の趣味があるから仲はいいし、エトアルトも彼女といるととても楽しそうだ。ネリッサに話されてもわからないことでも、ジュリエットなら百点満点の反応を示せる。それに、親戚といっても遠縁だと言っていた気がするから、結婚するのにも支障はない。


 だとしたらエトアルトは、自分よりもジュリエットと結婚した方がいいんじゃないだろうか。ネリッサはこのところ、そんな風に考えるようになっていた。


 けれど婚約解消のことを思うと、心は石でも飲まされたみたいにずしりと重くなる。喉の奥がつっかえるような、お腹が重たいような気分になって、苦しくなるのだ。絶対に、婚約を解消した方がいいに決まっているのに。なぜだろう。


(でも、そうするとなると、お父様たちも説得しないと行けないのよね)


 この婚約はそもそも、ネリッサとエトアルト、双方の両親の仲が良かったことに起因するから。エトアルトに自分よりふさわしい女の子がいると話せば、両親はわかってくれるのじゃないだろうかとネリッサは思った。

  

 小さい頃から姉弟みたいに一緒にいたから、関係を解消するのは少し寂しいような気もするけれど。今生の別れというわけでもあるまいし、大丈夫。これからは、友人として接すればいいだけの話だとネリッサは自分を納得させた。


「よし! 決めた!」


 そうとなれば善は急げだ。


 ネリッサはベッドから起き上がると、その足で両親の元へ向かった。




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