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死神とドグマ  作者: 結城 光
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宗教団体

 歌舞伎町一丁目にあるビルの地下二階に設けられたトークライブハウスでは、若者を中心とした二百人ほどの客が既に集まっており、薄暗い照明の中で皆が安曇の登場を心待ちにしている様子だった。


「オカルトってこんなに需要があったんだね」


 辺りが声量を抑えて会話していることを考慮して、美久の耳元で叶は言った。


「それもそうだけど、この人気はオカルトのものというより安曇先生のものだよ」


 美久が辺りを見回しながら言った。


「大変長らくお待たせいたしました。本日のメインイベント、安曇タカヒコさんによるトークショー、間もなく開演です」


 ハンドマイクを持った司会の男がステージ上で大袈裟な身振り手振りで告げて、そそくさと退場した。

 叶は会場の入り口で配られたパンフレットを見た。そこには、安曇高彦トークショー「(あやかし)」というタイトルの下に、安曇と思われる人物の写真が大きく載っていた。

 無精髭を生やし、長い髪にパーマを当てた、黒い羊を頭に乗せたような髪型に、丸眼鏡を掛けているという特徴しかない男の写真を見て、「胡散臭いな」と率直に思った。


 ステージ全体を照らしていた照明が弱まり、中心に置かれたスツールとスタンドマイクが青みがかったスポットライトで照らされると、猫背で痩身の、先ほど写真で見た顔の男が俯きがちに着席した。青白い照明のせいか、実物は写真より弱々しく不健康に見えた。

 安曇は大きな丸眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、会場を客を見回したあと、スタンドマイクの高さを調節した。


「えー、皆さん、どうも、著作家をしております、安曇高彦と申します。以後、お見知りおきを」


 ぼそぼそと低い声で喋る安曇に、会場から拍手が送られる。周りに合わせて叶も小さく手を叩いた。


「突然ですが、皆さんはカリギュラ効果というものをご存じでしょうか。何かを禁止されるほどやってみたくなることを言うのですが、例えば、ペンキ塗りたて注意の張り紙を見ると触ってみたくなるだとか、テレビ番組で芸能人の発言にピーという効果音を付けられると興味をそそられるといったようなことです。私は人よりもこのカリギュラ効果に過敏でして、皆さんが、興味はある、で留まるところを、私は実際に検証しないと気が済まない性分なのです。もちろん、ペンキも触ってしまいます」


 会場から小さな笑い声が起きる。少し間を置いて、安曇は再び口を開いた。


「さて、今日は私がある宗教団体に潜入した話をします。その団体は影を潜めている新興宗教ですから、ご存じでない方が大半だとは思いますが、一応団体名は伏せさせていただきます。仮に、A会としておきましょう。私はそのA会の教義である現世での肉体と霊魂の共存という言葉に興味を持ちました。死者の魂は現世の呪縛から解放するべきという考え方が一般的な中、A会では霊能力者の信徒を使って、成仏できるはずだった霊魂を敢えて現世に留め置くということをしていました。それは何故なのかを探るべく、私はA会の本部がある都内某所へと赴きました」


 安曇の話に聞き入る美久を一瞥し、叶も彼の話を真剣に聞く素振りをとる。


「A会について入念にした調べをした甲斐もあり、潜入することは容易でしたが、私に与えられた役目はさながら雑用係でした。A会の中では信徒をランク付けしており、超自然的な能力、所謂、霊能力を身に着けている信徒は初級幹部、それよりも優れた能力を持った信徒を中級幹部、更に秀でた能力を持った信徒を上級幹部として扱われてました。初級幹部以上の階級を持った信徒たちは施設を自由に出入りすることができたのですが、私のようななんの力も持っていない無能力者は、信仰をより高めるという大義名分のもと施設に居住し、炊事や掃除などの下働きをさせられていました。能力の優劣による待遇の差があるA会の中で唯一共通していたことは、それらを統べる長である教祖を全員が狂信していたことです。なぜ信徒がそこまで教祖のことを崇め奉るのか。その理由は教祖が持つ能力にあります。手を触れずしてあらゆる病を治すことができるという心霊治療、遠くにある人や物を霊視する千里眼、自分の体に霊を降ろす霊媒など、様々な霊能力を自在に扱うことができることから、教祖は奇跡の霊能力者とも呼ばれていました。信徒たちはその奇跡の霊能力者に縋り、盲信するのです」



 安曇は眠たげな眼で一点を見つめ、滔々と語った。


「しかし私のような無能力者は、教祖を一目見ることすら叶わず、代わりに、大広間に飾られた巨大な教祖の写真に毎日四時間、祈りを捧げることを課されていました。教祖はおろか、幹部たちにさえまともに関わることができない私にとって、A会の実態を知ることは困難を極め、だらだらと信徒のふりを続けて数か月が過ぎ、いよいよ諦めかけたとき、チャンスは唐突にやってきました」


 勿体ぶっているのか、安曇はゆっくりとした動作で足元に置かれたペットボトルを拾い、水を一口飲んでから話を続けた。


「私はある女性信徒と親しくしていました。彼女は特別容姿が綺麗だったわけではなかったのですが、奥ゆかしさがあり、不意に見せる笑顔が素敵な女性でした。病により若くしてこの世を去った夫に対する未練で精神が弱っているとき、知り合いに声を掛けられたことがA会に入信するきっかけだったそうです。彼女は毎日教祖の写真の前で跪き、夫の魂をお救いください、と熱心に祈りを捧げていました。しかし、祈りを捧げれば捧げるほどに信仰心は高まり、洗脳は深まります。私は彼女がA会に沈んでいく様子を傍観していることしかできませんでした……。そしてある日、彼女は幹部によってどこかへ連れていかれました。その日を境に彼女は頻繁に幹部の元へ通うようになり、無能力者の信徒に課せられる雑用も免除されるようになりました。彼女が明らかに贔屓され始めてから一か月ほど経ったとき、彼女は私にあることを打ち明けました」


 会場の客たちは固唾を吞んで安曇の話を聞いている。いつしか叶も、その一員になっていた。


「天命の儀式、彼女はそう言っていました。彼女は、幹部との子をその身に宿していたのです。特別な力を持った子供を、なんの力も持っていない自分が産むことができると、彼女は泣いて喜んでいました……。しかし私にはひとつの恐ろしい仮説が思い浮かんでいました。彼女は実験台にされたのではないだろうか、と。両親が霊能力者だった場合、父親が霊能力者で母親が無能力者だった場合、そしてその逆……A会はそのようにして人の命を作り、比較しているのではないか。確信はありませんでしたが、私の直感がそう言っていたのです。しかし、この話は仮説のまま藪の中へ消えてしまいました」


 安曇は再び眼鏡を押し上げる。


「洗脳状態にある彼女からこれ以上詳細な話を聞くことはできませんでした。幹部たちから口止めでもされていたのでしょう……。天命の儀式に関する話はこれで終わりですが……私が掴んだ情報はもうひとつあります」


 俯きながら話す安曇の口角が少し上がった気がした。


「4年前に起きたある事件を皮切りに、霊能力者の死が相次いでいることを皆さんはご存じでしょうか。四年前の今日、6月8日に全国で100名以上の人間が亡くなりました。毒殺、絞殺、刺殺、撲殺……。被害者はあらゆる手口で殺害されました。メディアでは被害者に共通点はないと報道されましたが、それは誤った情報です。被害者は全員、何等かの霊能力を所持していたのです。そして、全員が除霊を行える者でもありました。何故彼らは殺されなければならなかったのか……。理由は簡単です。霊を成仏させることができる人間を邪魔に思う者が、彼らを消したのです」


 会場がどよめくと、安曇は表情を変えずに場が静まるのを待った。


「……冒頭に話したA会の教義を覚えていますか。現世での肉体と霊魂の共存……そうです、A会からすれば、除霊を行える人間は邪魔者以外の何者でもないのです。犯人の共通点は、犯行に及ぶまでに関する記憶を失っているということです。警察が彼らの素性を調べると、奇跡の環という宗教団体に傾倒していたことが発覚しました。しかし奇跡の環が彼らに犯行を示唆したという証拠は出ませんでした。この奇跡の環は囮で、その裏にはA会がいるのではないか、というのが私の見解です」


 丁度4年前に毎日のようにニュースで取りざたされていたので、奇跡の環の存在は叶も知っていた。被害者に共通点はないと報道されたことから、この事件は無差別大量殺人と囁かれ、かなり話題になったことも記憶にある。


「あの事件から4年経った今でも、犠牲者は出続けています。そして、現在除霊を行うことができる人の数は全国で百人にも満たないと言われています。人が霊を祓うことに道理はあっても、人が人を殺すことはどんな理由があっても許されません」


 それから安曇は、A会には月に1回行われる「選別の儀式」というものが存在すると言った。A会の教義に反する愚かな考えを持った人間を粛清することをそう呼んでいるらしいが、安曇はその本質をまたしても掴めなかったと言った。


「結果的には希薄な内容になってしまいました。私の話を信じるも信じないも皆さんの自由です。ですが最後に言っておきます。A会は今日も誰かを殺すことを企てています。それはあなたの友人かもしれませんし、あなたの家族かもしれません」


 安曇は話し終えると、首は下げたまま姿勢を正した。スツールを照らしていた照明が消え、数秒後に会場の照明が灯った時には安曇の姿は消えていた。

 客席から拍手が疎らに起こり始め、やがてその音は会場全体に響いた。


 叶と美久は会場を出て、夜の歌舞伎町を新宿駅の方面に向かって歩いていた。


「安曇先生の話、どうだった?」


 美久が自慢げな表情で叶に問う。


「うん、普通に楽しかったかな」


 居酒屋の客引きに声を掛けられ、素通りする美久の代わりに叶は頭を下げる。


「オチが無い感じがまたリアルじゃない?」

「ああ、確かに」


 突然美久が足を止め、振り返った。


「ねえ、せっかく新宿に来たんだし、捜してみない?」


 縋るような眼差しを向ける美久に、叶は戸惑う。


「……棚崎美命捜し? どうせ今日も居ないんじゃ……」

「それは行ってみないと分からないよ?」


 美久は哀願の瞳のまま両手を合わせる。


「……分かったよ。ちょっとだけ見に行こう」


 途端に嬉しそうな表情をした美久は叶の手を取り、跳ねるように歩き出した。また根負けしてしまった、と叶は若干のわだかまりを残したまま美久に手を引かれた。


 オフィスビルが乱立する超高層ビル街の西新宿は、活気に満ちた夜の歌舞伎町とは対照的に、静けさが漂う大人の街、という印象を受ける。

 二人は西口地下広場で、運命と書かれた行灯がひっそりと灯っているのを見つけた。


「もしかして」


 美久はそう言ったかと思うと、駆け足で行灯の元へと向かった。小さなスツールには男性が座っていることがシルエットで分かる。

 叶も小走りで付いて行くと、男はゆっくりと顔を上げ、二人を見た。黒一色のスーツを身に纏った痩身の中年男性の顔が露わになる。棚崎美命ではないことは確かだった。

 男は美久の顔をじっと見たあと、ゆっくりと瞳を動かし叶を見つめた。その無遠慮な視線に、自分の顔が火照っていくのを感じる。


「誰かをお探しですか?」


 男は当然のように言った。叶と美久はほとんど同時に「え」と声を上げる。


「どうして分かるんですか?」


 美久が問うと、男は微笑んで「そんな予感がしたんです」と言った。


「どんなにあなたたちがその人を捜そうと、今は見つからない。でもね、あなたたちとその人はいつか必ず出会うことになる。そういう運命だから」


 男は一方的にそう言って立ち上がり、人波の中に消えていった。


「なんだったんだろう、今の人」


 美久は机上に置かれたままの行灯を見下ろしながら呟いた。


「私たちが人を捜しているのを知ってたね」

「うん、どうしてだろう……」


 二人が話していると、行灯の火はひとりでに消え、辺りは薄闇に包まれた。

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