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死神とドグマ  作者: 結城 光
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 4年前、6月9日

 東京都新宿区、葬儀場


「──以上をもちまして、故榎本由良(えのもとゆら)様の葬儀ならびに告別式は閉式でございます。大変ご多忙の中、長時間の会葬にご参列いただき……」


 葬儀を業務的に取り仕切る司会の淡々としたナレーションが美命の耳孔に反響した。周囲からはすすり泣く声が聞こえ、俯いて涙を流す姿も見える。彼はそれらを一瞥したあと、席を立った。


 雨が降りしきり、視界が煙る。バケツをひっくり返した様な豪雨が風に煽られながら路面を叩いていた。

 霊柩車が停められた駐車場の庇の下で、味のしない煙草を茫然と燻らせる。


「……あんなに若いのに、可哀そうねえ」


 雨音に混ざって、女性の話し声が微かに聞こえてきた。


「……由良ちゃんと付き合ってた子も来てたわよ」

「ああ、式の最後の方で会場を抜けた子でしょう? 相当辛かったんでしょうねえ」


 胸が軋むように痛んだ。「可哀想」「辛かった」無責任な言葉が美命の胸中を抉った。煙草に口を付けてはそのまま煙を吐き出す。

 人が歩む道には必ず死が終着点として存在する。由良はその終着点に到達したのだが、彼女が迎えた結末はあまりにも理不尽で、美命は現実を受け止めきれなかった。

 煙草を投げ捨て、傘も差さずに土砂降りの雨の中を歩き始めた。

 学生服に染み込む大量の雨が、由良の体から噴き出す鮮血と重なった。


 美命の足取りは、まるで亡霊のようだった。新宿駅に向かう途中、東急百貨店の入り口付近で彼はとうとうその場に座り込んだ。体に力が入らなかった。

 信号機の色が変わり人々が一斉に歩き出した。彼らの頭上を通る道路が豪雨を遮り、横断歩道の両脇は、白い雨脚がカーテンのように景色を隠していた。

 鼓膜に張り付いた雨音が雑踏を、灰のように白けた思考が周囲の視線をかき消した。頭髪から滑り落ちた雨粒が頬を伝い、涙を混ざった。


「悲しいことがあったんですね」


 突然、何者かに声を掛けられ、美命は自分が初めて何かに凭れ掛かっていることに気が付いた。それは、折り畳み式の机だった。簡素な椅子に座った男は、黒いシングルのスーツを身に纏った如何にも真面目そうな人間だった。

 机上に置かれた「運命」と書かれた行灯が薄闇の中で柔らかく灯っている。


「私はね、人の運命が分かるんです。あなたのことを占ってもいいですか?」


 男の問いかけに応える気にはならなかった。美命は膝を抱えてうな垂れたまま、静かに泣いていた。


 雨音に混じって、むっと男の唸り声が聞こえてくる。


「すみません、返事がなかったものだから、勝手に占わせてもらいました」


 男は二つのサイコロを掌に乗せて、美命に見せた。そこには「死」と「憂」という不吉な字が書かれていた。美命はサイコロから目を背けた。


「これはあなたの現在を占っているのではなく、未来を示しているんです。つまりあなたはこの先、死を憂い続ける人生を送ることになる」

「黙って聞いてりゃ、さっきからなに勝手なこと言ってんだよ」


 美命は立ち上がり、男を睨みつけた。

 しかし男の表情は変わらず、細い目は真っ直ぐに美命を見据えていた。


「とても悲しい目だ。あなたのその瞳が、私の賽が、深い怨嗟(えんさ)を物語っている」

「……くだらねえ」


 そう吐き捨てて踵を返そうと美命に、男は「君と死は強い繋がりがあるようだね」と言った。


「きっと、あなたはまた大切な人を失う」


 美命の体は硬直した。大切な人を失ったことをなぜこの男は知っているのだろうか。それともただのはったりだろうか。思考が揺らいだ。


「私の向かい側に座ってくれせんか」


 男は真剣な眼差しで美命を見つめ、対面に置かれた椅子を手で示した。怨恨(えんこん)悲嘆(ひたん)に囚われた己と、救いを求める己がいつの間にか彼の心の中で衝突していた。


「あなたには特別な何かを感じるんだ。このまま放っておくことはできない」


 美命は内心、どうにでもなれと自暴自棄な感情で椅子に腰かけた。男の視線を正面から受け止めることができず、彼はまた俯いた。雨水を含んだ茶髪が弱々しく視界に被る。


「超能力や霊能力、そういった突拍子もない話を、あなたは信じますか?」


 突然投げかけられた思いがけない質問に、美命は返答に困り、「え」と短く声を発することしかできなかった。


「例えば、私が今やってみせた占いを、あなたは信じられますか?」

「……少しだけ」

「うん、今はそれでいい」


 男は微笑んで深く頷いた。


「さっきも言ったけれど、あなたは普通の人には持っていない特殊な何かを持っているんです。だから私の口から説明しなくても、いつかは自然界の法則を超えた不可思議なものを実際に目の当たりにすることになる。だから今は私の話を出鱈目だと思ってもらって構いません」

「特殊な何かって?」

「焦らずとも、分かる時が来ますよ」


 そう言ったあと、男は手で口を覆い激しく咳き込んだ。美命がその様子を見ていると、男は「ちょっと風邪気味でね」と笑った。


「これからあなたは、どうするつもりですか?」

「……死のうと思っていました。由良を、彼女を守ってやれなかった。彼女じゃなくて、俺が死ねばよかった」

「大切な人を失って、自分も後を追うことが何かの解決になると?」


 男の瞳には、怒りと悲しみが混在していた。


「由良が居ない人生なんて、生きている価値が無いんです」


 男はゆっくりと首を振った。


「あなたが命を無駄にすることで、誰かにとっての人生の価値が無くなったら、あなたはどうしますか?」

「そんなこと、どうでもいい」

「あなたは命の本当の価値を知らない。そんな人間には、死ぬ権利すらない」


 男は空咳をしたあと、言葉を続けた。


「あなたの人生はこれから180度変わることになる。それからのことは、誰かに教わるよりも、慣れるほうがあなたのためになる。あなたが人生の岐路に立たされた時、またここに来るといい」


 人の寿命が目で見えるようになったのは、それから数日後のことだった。

 突然、人々の頭の後ろに樹木の年輪のような同心円状の模様が浮かんで見えて、困惑する頭で考えた末に美命は男との会話を思い出した。

 藁にも(すが)る思いでもう一度男に会いに行った。彼は同じ場所でひっそりと机を構え、相変わらず暑苦しいスーツ姿で居た。

 突如見えるようになった模様について訊ねると、男は神妙な面持ちで頷いた。


「あなたに見えている気味の悪い模様というのは、人の寿命です」

 

 全く話についていけない美命をそのままに、男は話を続けた。


「その強さに個人差はあるけれど、人は生まれつき超自然的な感覚、所謂、霊感というものを持っています。それは心情の大きな変化が引き金となって第一の覚醒を遂げる。あなたは今まさにその状態というわけです」


 男が滔々(とうとう)と語る内容は、美命が理解できる範疇を超えていた。


「あなたは一体、何者なんですか?」


 男は少し考える素振りを見せたあと、机上のサイコロを手に取った。


「そうだな、人の運命を知る男、賽、というのはどうでしょう?」


 賽と名乗った男は、お道化て笑ったあとにすぐに真剣な表情に戻った。


「あなたはもう分かったと思うけれど、この世界はあなたが思っていたほど単純なものではなく、あなたが見ていたほど瑣末(さまつ)なものでもない。これまでの常識をひっくり返して考えてごらん」


 そう言って賽は席を立ち、美命に背を向けて歩き出した。慌てて呼び止めようとした美命よりも先に、彼は何かを思い出したように振り返った。


「言い忘れていましたが、私の寿命は見えないでしょう? それを目印にしてみるといい」


 賽は再び踵を返して歩き出した。彼の言う通り、周囲の人間とは違って彼には寿命を表す年輪が存在しなかった。

 それ以来、賽は美命の前に姿を見せることはなかった。嵐のように突然現れ、そして突然消えた彼ともう一度会って話す。そして、彼が最後に言った言葉、寿命の見えない人間を捜すために、美命は占い師になった。賽が占いを行っていた場所と同じ場所で、多くの人間を観察し、そして、彼が再び美命の前に姿を現すのを待ち続けた。

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