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死神とドグマ  作者: 結城 光
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もう一人の占い師

 美命の脳内にこびりつく一つの記憶が、夢を介して映像となり蘇る。

 人々が発するどよめきや叫び声が絡み合って美命の鼓膜に張り付いた。彼の腕の中で苦しげに喘ぐ彼女の傷口からは、絶えず鮮血が溢れ出していた。


由良(ゆら)、死んじゃだめだ!」


 美命の言葉に、彼女は力なく首を横に振った。血に濡れた彼女の小さな手が、美命の頬に触れる。その生温かい感触は、まだ命を感じさせた。


「ありがとう、美命」


 それが彼女の最期の言葉だった。彼女の腕が脱力し、頬から滑り落ちる。既に浅くなっていた呼吸は止まり、彼女の体の温もりがはっきりと失せていく。魂の抜け落ちた彼女の亡骸を、美命はいつまでも抱き締めていた。


 6月7日

 東京都足立区、猿田(さるた)


 闇の中に吸い込まれるように夢の映像が途切れ、目を開けると見慣れた天井があった。閉め切られた部屋に充満した熱気が美命に悪夢を見せたのだろう。万年床から体を起こし、散乱したゴミを避けながら流し台に行き、使ったまま放置されていたグラスに水を汲み、一気に飲み干した。

 4年前の出来事が、今もなお映像として美命の夢の中に現れ、その度に美命の心境は重苦しく沈んだ。

 グラスを置いて、右手を見る。彼女の血痕は疾うに跡形もなく消えていたが、その色や臭いは美命の脳裏に焼き付いていた。

 洗面所に続く扉を開ける。電気のスイッチを押す。鈍い音を立てて黄色掛かった光が洗面台を照らした。首元が伸びたティーシャツを脱ぐと、情けない己の裸体が鏡に晒される。筋肉を感じさせない貧弱な体。そして、左の肩から胸の中心まで刻まれた一本の長い切り傷。枯れた大地に起こった地割れのような傷痕を指でなぞる。茶褐色の傷痕は、最早触れても痛みは感じなかったが、そこには確かに忌まわしい過去の深い傷が閉じ込められていた。

 簡単にシャワーを済ませて、色あせたジーンズとティーシャツを着て、玄関の扉を開く。鍵を掛けて、階段を下りて、道路に出てから振り返る。築五十年の賃貸マンションは、鼠色のタイル張りの外壁で、いたる所が罅割れている。相変わらず住人の姿は見えない。

 家を出てから徒歩数分で東武伊勢崎線の五反野駅に着く。電車を2回乗り換えて、新宿駅に着き、いつもの西口の広場に向かう。


 日曜日の新宿は騒がしい。老若男女が街を埋め尽くし、足音と話し声がいつもの何倍にも膨らんでいた。

 コンビニで昼食として菓子パンとジュースを購入し、地下広場へ行く。地上と地下を繋ぐ螺旋状の斜路(しゃろ)が影を作り、昼間だというのに仄暗い通路で、机上に置かれた行灯に書かれた「運命」という文字が浮き出て見えた。簡素な椅子には、スーツ姿の中年男性が座っていた。

 男の姿を認めた美命は息を吞んだ。


「──(さい)さん」


 賽と再び会ったのは実に4年ぶりだった。茫然と座り込んでいた彼は、取り繕うように微笑んだ。


「やあ、随分と久しぶりじゃないか」

「ええ、本当に。久しぶりですね」


 賽の微笑みにはどこか雲が懸かって見えた。

 美命は、壁に立てかけてある、ブルーシートに包まれた折り畳み式の机を運びながら「どうして突然戻ってきたんですか」と訊ねた。賽は俯きがちに口を開いた。


「実は──」


 賽の言葉が途切れ、苦しそうに咳き込む。美命が歩み寄ろうとするのを彼は手で制した。


「すみません。なんでもありません。どうでしょう、久しぶりに占ってあげましょうか」


 賽は呼吸を整えながら力なく微笑んだ。


「……じゃあ、せっかくなので、お願いします」


 美命もそれ以上の詮索はせず、賽の対面に座る。彼は机上に置かれた二つのサイコロを手に取った。

 美命が彼を「賽」と呼ぶのは、彼が占いにサイコロを使っているからだ。本名は知らない。

 賽が使うサイコロは奇妙な物だった。六面には点の代わりに漢字が書かれていて、同時に二つのサイコロを振ってその組み合わせで人の運命が分かると言う。

 賽は意識を集中するように目を閉じ、拳の中で二つのサイコロを混ぜた。美命はその様子を見て、彼に初めて会った時のことを思い出した。

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