絶望
大聖は必死に身体を動かし拘束を解こうとした。
手首を締め付けているロープのような物は、皮膚に食い込み、無理に動かそうとすればするほど激痛が走った。
それが、無駄な抵抗であることは分かっていた。
「殺すなら俺を殺せよ!」
喉を絞ったような声で大聖は叫んだ。
「うん、君も殺すよ。でも、この人から殺せば、君が悲しむ姿が見られるじゃないか」
久留須は、教団の大義名分のもと人殺しをしていると主張していたが、そうではないと、大聖は悟った。この男は、人殺しを楽しんでいる快楽殺人者だ。
最早、どうすることもできないと、大聖は抵抗をやめた。全身の力が抜け、逃げることを考えていた脳に靄が懸かっていく。自分はここで死んでしまうのだ。
「堀田さん、すまない」
「いえ……所長には、感謝しているんです」
堀田は思いを馳せるように、優しい口調で言った。
「所長と出会っていなければ、私はとっくに死んでいたはずですから。今まで、ありがとうございました」
堀田は、大聖の罪悪感を和らげるためにそう言ったが、その声は小刻みに震えていた。
「……すまない」
噛み締めた歯の隙間から、零れるように大聖は謝罪した。
「さて、別れの言葉は済んだかな。私も人の子だ。慈悲を持って彼を殺すと誓うよ」
大聖は、目を閉じた。祈ることも、喚くこともせず、手の届く距離で助手が殺されることを、甘んじて受け入れることにしたのだ。
その時、極度の緊張と恐怖、そして悲しみと絶望に支配された空間に、誰も予期していない音が鳴り響いた。
部屋の出入り口の鉄の扉が、闇を湛えた廊下に吸い込まれるように消えた。いや、正しくは、扉が突如弾け飛んだのだ。
埃と土埃が舞い上がり、煙った視界の奥で人影が揺らめいた。
「こんな子供騙しの扉じゃ、誰も閉じ込められないだろ」
徐々に煙が晴れ、扉を破壊した人物の姿がゆっくりと浮き上がる。
大聖は、言葉を失った。
「久しぶりだな、大聖」
十四年の月日により、髪は真っ白く変色し、顔に深い皺が刻まれているが、その声だけは変わっていない。紛れもない、父、三上三蔵の声だった。
「ああ、探す手間が省けました。三上三蔵さん」
「なかなか見つけてくれないんで、こっちから姿現してやったよ。それと、今は俺の名前は祈だ」
三蔵は、服に付着した埃を手で払いながら不敵に笑った。
「お前の目的は、俺を殺すことだろ?」
「ええ、そうです」
三蔵は何回か頷いたあと、一瞬、戦慄するほどの圧がある視線をこちらに向けた。
その瞬間、椅子を固定していた金具は粉々に弾け、椅子と足を縛っていたロープは千切れ、後ろ手で組まされていた手も解けた。
一瞬にして、三蔵が霊能力で二人の拘束を解いたのだ。
「なんの真似ですか?」
久留須が、苛立ちを抑えきれない口調で三蔵に訊ねる。
「……こいつらを解放する代わりに、俺の命をくれてやる」
「そんな、だめだ、親父!」
「うるせえ、ガキは黙ってろ」
三蔵に威圧され、大聖は口を噤んだ。
久留須は顎に手を添えて考える仕草をしながら、部屋の中をゆっくりと徘徊し始めた。
その右手には、鋭利なアイスピックのような物が不気味に光っている。
「悪くない条件ですね。私の力をもってしても、あなたを捕らえることは難しい……」
拘束から解放されたというのに、大聖と堀田はその場から立ったまま動くことができなかった。
三蔵と久留須から放たれるプレッシャーのような物で新たに縛り付けられている感覚だった。
久留須は、ぶつぶつと何かを呟きながら、部屋を何周かしたあと、三蔵の前で立ち止まり、首だけを大聖と堀田に向けて口を開いた。
「堀田さん、あなたは三上三蔵に命を救われ、そして、その命の恩人を見殺しにする苦しみを背負って生きていきなさい。三上大聖、君は、私の前では全くの無力であることを噛み締め、そして、実の父を仇敵に殺される様を見届け、絶望に浸りながら生きていきなさい」
久留須は目を細めて笑い、アイスピックを振り上げた。
「やめろ!」
大聖の声と、堀田の声にならない叫びが混ざりあった部屋に、ぐちゃ、という柔らかい肉に刃物を通した音が響いた。
鋭く尖ったアイスピックのニードルが、三蔵の喉元を貫いている。
久留須がそれを引き抜くと、ニードル部分は真っ赤に染まっていた。
大聖の瞳に、血飛沫が噴き上がる様が映った。
音と時が消失したような感覚に陥り、思考をもぎ取られた脳が、地面をぐにゃぐにゃに歪めた。
大聖は、膝から崩れ落ち、慟哭を上げた。
「それでは、また会う日まで」
革靴の足音はゆっくりと遠ざかっていき、やがて、消えた。