死の足音
同日、6月16日
東京都港区、某喫茶店
「こういう雑誌を持っているってことは、天野さんはやっぱりそういう系が好きなの?」
先ほど渡したオカルト雑誌を繁々と眺めながら、棚崎美命は言った。
弁解するのも面倒だったので、叶は愛想笑いをして誤魔化すことにした。
「実はその雑誌、さっき見せた三上心霊事務所に関しての記事を書いたライターの方からいただいた物なんです」
棚崎美命は、然して興味なさそうに「へえ」と相槌を打った。
少し躊躇したが、安曇から聞いた話を棚崎美命に話してみることにする。
「そのライターの方から、棚崎さんの過去のこと、聞きました」
「……どんなこと?」
棚崎美命は、微かに眉を顰め、警戒する素振りを見せた。
「亡くなった彼女さんと、さっきの記事に書いてあった教団が関係していたことは、知っていましたか?」
棚崎美命は目を見開いて驚いた。どうやら、知らなかったらしい。
言葉が出ない様子だったので、叶はそのまま言葉を続ける。
「教団は、エノモトさんが持っていた霊能力を手に入れたかったみたいなんです」
「ユラが……霊能力者?」
棚崎美命は全てを初めて知ったようだった。エノモトユラは、彼に何も打ち明けずに亡くなったのだ。
彼女が霊能力をひた隠していた理由は分からないが、意図せず叶の口から棚崎美命に新事実を打ち明けてしまったことに一抹の罪悪感が生まれる。
「どういうこと?」
覚悟を決めたように、真っ直ぐな目線で叶に訊ねる。
「私も、良く解っていない部分が多いのですが……エノモトさんは、人の運命が分かる霊能力を持っていたそうです」
「そうか……教えてくれて、ありがとう」
棚崎美命は、まだ何か腑に落ちていない様子だったが、それ以上は追及してこなかった。
「実は、俺からも天野さんに話したいことがあるんだ」
棚崎美命の眼は誠実さを物語っていた。
「はい、なんでしょう」
「……薄々分かってはいると思うけど、俺は霊能力者なんだ」
超自然研究会でも話題になっていたことだったので、今更驚くこともなかった叶は、事も無げに頷いた。
「俺は、人の寿命が見える」
ずきんと心臓が痛んだ。何故だか、嫌な予感がしたからだ。今から棚崎美命によって打ち明けられる話を聞けば、自分がショックを受けることがなんとなく分かるのだ。
しかし、話を聞いてみたい好奇心もあった。生唾を呑み下し、彼の言葉の続きを待つ。
「もちろん、天野さんの寿命も見えている」
一瞬、棚崎美命の目線が、叶の頭上の辺りを見た。彼の目線を追って、振り返ってみるが、当然そこには何もなかった。
「言うべきなのかどうか、すごく迷ったんだけど、天野さんの寿命は、ほとんど見えないんだ」
「……どういうことですか?」
棚崎美命は、言い辛そうに奥歯を噛み締め、目を伏せた。
「……つまり、君の寿命はもうほとんど無いっていうこと」
嫌な予感はしていたけれど、そこまでのことは予想できなかった。
言葉が出ない。現実が脳に浸透していかなかった。
寿命はもうほとんど無い。
ただ、棚崎美命の言葉が耳の奥で響いた。
「君はこれからどうするのか、慎重に考えたほうがいい。もしかしたら、その選択によっては、運命が変わるかもしれない」
棚崎美命の言葉は、気休めにしか聞こえなかった。
まだ二十歳なのに……。私の人生は、霊能力者によって狂わされたのだろうか?
「とにかく、君は普通の人なんだから、これ以上霊能力者に関わらない方がいいと思う」
叶は、財布から千円札を抜き出して、机の上に置いてふらふらと立ち上がり、店を出た。
棚崎美命は叶を呼び止めることはしなかった。できなかったのかもしれない。
今は、とにかく時間が欲しかった。今まで起こった出来事を整理する時間が。
生温い外気が叶の身体にへばり付いた。空はすっかり暗くなり、辺りの飲食店から漏れ出す明かりが、やたらと眩しく感じる。
道行く人々の足音や話し声が喧噪の塊となって叶の鼓膜を刺激した。
足元が覚束なくなり、堪らずその場にしゃがみ込んだ。
私はもうすぐ、死んでしまうんだ……。
ぼんやりとした思考でも、そのことだけはくっきりとした輪郭を持って叶の脳内を駆け巡っていた。
怒りなのか、悲しみなのか、混乱した頭では判然としないが、自然と、叶の頬に涙が伝った。
ふと、涙でぼやけた視界を、ゆらゆらと何かが横切って行った。
何気なくそれを目で追うと、その後ろ姿には、見覚えがあった。しかし、同時に、違和感もあった。
美しい黒髪。線の細い身体。美久の後ろ姿だった。
けれど、いつもの姿勢の良い歩き方ではなく、首だけは空に向かって曲がっていて、身体を左右に揺らしながら、ゆっくりと前進している。
異様な光景だった。
「……美久?」
美久の後ろ姿に向かって呼びかけてもみても、反応はなかった。
叶は立ち上がり、美久の元へ駆け寄った。
「美久!」
美久の肩を掴むと、彼女は動きを止めた。よく見ると、白いティーシャツは煤のようなもので黒く汚れていて、ロングスカートの裾の部分も擦り切れたようになっている。
美久は首を前に向けて、ゆっくりと上体を叶の方に向けた。
ぞくりと、悪寒が背筋に走った。
叶の知っている美久からは想像できないほど、不気味で、恐ろしい表情だった。
焦点の合っていない目は血走っていて、にやけた口元からは涎が滴っている。
美久はきっと、悪霊に取り憑かれているんだ。そうに違いない。
「美久! しっかりして!」
身体を揺すられる美久は、叶に対して蔑むような眼をした。
美久の本当の姿を見てしまったようだった。美久を掴んだ手の力が抜け、叶は立ち尽くした。
「……殺さないと」
美久はそう呟いて、またゆっくりと歩き出した。
最早、叶はその姿を茫然と見送ることしかできなかった。