F教団
6月16日
美命は、目の前の光景を見て、もう一度名刺に記載されている三上心霊事務所の住所を確認した。
やはり、ここで間違いないらしい。
五階建ての雑居ビルの入り口には黄色いバリケードテープが張られている。建物の三階部分の窓から見える天井は、黒く焦げていて、頻りに水が滴っていた。
どうやら、ボヤ騒ぎでもあったらしく、出火元は、三上心霊事務所らしい。
念のため、名刺に載っている電話番号に掛けてみたが、案の定繋がらなかったので、祈に電話を掛ける。
『はい、ムスビ書房』
祈は携帯電話を持っていないため、店に電話を掛けるしかない。
「棚崎です。今、三上心霊事務所まで来ているんですけど、どうやら火事があったようで、三上さんには会えませんでした」
『……火事だと? 規模は? 負傷者は?』
祈は酷く焦っている様子だった。
「詳しいことは何も分かりません」
暫く沈黙が続いて、受話口から祈の深い溜め息が聞こえてきた。
『……分かった。恐らく、ちょっとまずいことになっちまった。すまないが、事務所にはまた後日出直してやってくれ』
それだけ言って、通話は切れてしまった。
出直すと言っても、眼前にある三上心霊事務所はすっかり煤だらけになってしまっているわけで、すぐに営業再開できるとは思えないのだが。
「あの……」
背後から突然女の声がして、驚いて美命が振り返ると、何故か声を掛けてきた女の方も驚いた顔をしていた。
歳は美命とさほど変わらないであろう、黒縁眼鏡を掛けた、化粧っけのない女だった。
「どうしました?」
女がなかなか喋り出さないので、痺れを切らして美命から話しかける。
「えっと……もしかして、棚崎美命さんですか?」
「そうですけど……」
美命が訝ると、女は戸惑った様子でもじもじとしながら眼鏡のブリッジを押し上げた。
「私、棚崎さんと中学高校が一緒だった、二個下の天野叶っていいます」
天野叶は首を竦めるようにして上目遣いで美命を見た。
まじまじと天野叶の顔を見るが、やはり見覚えはなかった。
「ごめん、二個下の子とはあまり関わりがなかったから、覚えてないな。俺に何か用?」
「いえ、あの、実は、三上心霊事務所に用があって来たんです」
天野叶は美命の背後の、焼け焦げた三階部分を見上げながら言った。
「棚崎さんもですか?」
「ああ、ちょっと頼みたいことがあって来たんだけど、この有り様で……」
「……もしかして」
天野叶は、突然、謎が融解したように目を見開いた。
「何か心当たりがあるの?」
天野叶は目を泳がせながら頷き、背負っていたリュックから一冊の雑誌を取り出し、美命に手渡した。
黒い表紙に赤字で「月間妖言」と書かれている。どうやら、オカルト雑誌のようだ。
「私の思い過ごしかもしれないんですけど……付箋のところ、見てみてください」
蛍光色の付箋が貼られたページを開くと、焼け焦げた建物の写真と「相次ぐ不審火、犯人は霊能力者!?」という見出しが美命の目を引いた。
──連日起こっている不審火(メディアでは取り上げられないが、私は放火魔の仕業と見ている)の犯人は、カルト宗教団体F教団のとある信徒が原因である可能性が高い。先日火事が起きた雑居ビルの中に入っていた「三上心霊事務所」は、除霊を生業とする冥送士が経営する事務所で、F教団にとっては天敵だった。F教団は、教義である「現世での肉体と霊魂の共存」の妨げになる冥送士の存在を排除するために、霊能力者の信徒を用いて三上心霊事務所に火を点けたのではないか、というのが私の見解である。
「これ、十年以上前に起きた出来事ですよ?」
「なんだって?」
細かいことはよく解らないが、とにかく、三上心霊事務所は十年ほど前にも火事が起こっている。偶然で済ませるには、少し違和感のある話ではあった。
記事に書かれている「霊能力者」という言葉が、最近美命の身の回りで起こっている出来事と関連性があるため、あながち出鱈目でもないような気がする。
それに、さきほどの電話での祈の慌て方……祈が言っていた、まずいことになったという発言……。
「どう思いますか……?」
「調べてみる価値はありそうだね」
美命が言うと、天野叶は安堵したような表情を見せた。
「こんな所で立ち話もあれだし、場所を変えて話さない?」
天野叶は頷いた。