気がかり
安曇の自宅は、神保町から徒歩三分に位置する、八階建ての鉄筋コンクリートマンションだった。
売れっ子ライターということもあり、出版社に通いやすい立地を選んだのだろうと、叶は勝手に推察する。
「散らかっててごめんね」
安曇のその言葉は、決して謙遜というわけではなかった。六畳ほどの居間には、生活感が犇めいている。テレビの前に置かれたローテーブルには、オカルト系の雑誌やDVDなどが堆積しており、隙間を埋めるように原稿用紙や筆記用具が散らばっている。
テーブルの脇に寝袋が置かれており、恐らく、朝に這い出たままの状態になっている。
「コーヒーでいい?」
「あ、お構いなく」
叶は、室内をさりげなく見回し、比較的安全地帯であろうテーブルの前のソファに腰かけた。
「それで、例の占い師はどんな感じだった?」
叶の前に、湯気の立つマグカップが置かれた。持ち上げ、中を覗いてみると、ブラックコーヒーが淹れられていたので、そっとテーブルの上に戻す。
「……暗がりだったのではっきりとは分かりませんが、酷く不健康な印象を受けました」
「すごく痩せていたとか?」
叶は、頭の中で行灯に淡く照らされる男の姿を思い浮かべた。
「頬が窪んでいて、なんだか少し息苦しそうにしていた気がします」
安曇は、コーヒーを一口啜って、何かを考えるように天井を見つめたあと、メモ帳にペンを走らせた。
「占いはしてもらったの?」
「いえ、向こうから、誰かを探しているんですか、みたいな感じで話しかけられて、それで……今はその人とは会えないけど、いつかは会える、みたいなことを言われた記憶があります」
抽象的な話の内容に、安曇は少し首を傾ける動作をしたが、ライターの性か、またもメモ帳に勢いよく何かを忙しく書きなぐった。
「ちなみに、誰を捜していたの?」
「棚崎美命です。あの場所で、占いをしているっていう噂を聞いたので」
「お目が高いね。棚崎美命の力は、私が見る限り本物だよ」
安曇はにやりと笑って眼鏡を押し上げた。その動作が、何故かいやらしく見えて、叶は目を背けた。
安曇は、棚崎美命を徹底的に調査したと言った。
実家の近所に住んでいる人間や、学生時代の同級生など、棚崎美命と接点があった者に取材をして、あることが解った。
彼には、幼い時から霊能力の片鱗があったこと。今から四年前に恋人が殺害されたこと。その直後から占い師を始めたこと。
「ところで、天野さんは私のトークライブに来てくれたと言っていたよね?」
「ああ、はい」
「じゃあ、四年前に起きた大量殺人のことは分かるよね?」
叶は頷いた。
「この共通点に気付くことにはさほど苦労しなかったよ。彼の恋人の名前はエノモトユラ。四年前の事件の被害者だ。そして、彼女は霊能力者だ」
「では、その、エノモトさんは、除霊を行える人間だったんですか?」
安曇がトークライブで話していた「A会」は、除霊を行うことができる霊能力者を殺害しているはずだ。
しかし、安曇は首を横に振った。
「いや、彼女のことを調べたんだが、どうも違うらしい。彼女は、人の運命が分かる霊能力の持ち主だったんだよ」
「運命?」
「そう。そして、その霊能力は、A会が最も欲している霊能力なんだ」
「ごめんなさい、全く話に付いて行けません……」
安曇は、盛り上がっていたところに水を差され、しゅんと肩を落とした。
「あの、もう一つ聞きたいことがあるんですけど」
安曇の顔がまた嬉しそうになる。
「三上心霊事務所って知ってますか?」
「ああ、知ってるよ」
安曇は平然と答えた。
「あの人たちも、A会に狙われているんじゃないですか?」
「まあ、そうだね。特に三上大聖はA会とは因縁があるから、危険だろうね」
安曇は事も無げに言ってのける。
「因縁?」
これまた興味本位で叶は聞き返してみる。
「そう。結構昔の話なんだけどね、十年以上前かな。当時、三上心霊事務所は三人体制でやっていたらしくて、そのうちの一人がA会の幹部を殺してしまったんだ。事故のようなものだったんだけどね」
「じゃあ、どうして、十年以上も報復に会わなかったんですか?」
「幹部を殺してしまった人は自ら命を絶ち、当時の所長である三上大聖の父は蒸発、三上大聖本人は……運が良かったんだろうね」
安曇は苦笑した。
「ていうことは、三上さんはいつ殺されてもおかしくない状況ってことですか?」
「……どうしてそんなに三上大聖のことを心配するんだい?」
「三上さんには、友人を助けてもらった恩があるんです」
「そっか。まあ私たちのような凡人では、どうすることもできないよ」
安曇の言う通りだ。これ以上、叶が首を突っ込んだところで、良いことは無いだろう。
「あ、ちょっと待ってて」
安曇は、居間から繋がる部屋の扉を開け、何かを物色したあと、一冊の雑誌を持って叶の隣に再び腰かけた。
「これ、さっき話した昔の三上心霊事務所について私が書いた記事が載ってるから、興味があるなら読んでみて」
差し出された雑誌は「月間妖言」と書かれたおどろおどろしい表紙だった。以前、美久に半強制的に読まされた記憶が過る。
十年以上前から連載しているのか、と叶は感心しながら、リュックの中に雑誌を仕舞った。
「もし、また何か訊きたいことがあったらいつでも連絡してきて。天野さんの話もまた聞きたいし」
叶は、安曇とチャットアプリのともだちになった。
安曇と解散してから、叶は深い溜め息を吐いた。
自分はいったい、何をやっているんだろう……。