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死神とドグマ  作者: 結城 光
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クリスマスの悪夢

 秋山の力を三蔵が受け取るという提案を、秋山は聞かなかった。きっと、恐ろしい能力を人に渡すということが無責任な行動だと思ったのだろう。


 それから一週間、秋山は二人の前に姿を現すことはなかった。


 先日の火事で事務所が燃えてしまい、住むところが無くなった二人は、新宿の外れにある安普請のアパートを借りて同居していた。

 三蔵と大聖に縁はないが、いつの間にかクリスマスがやってきて、街路樹や街の店先の看板には、心ばかりの装飾が施されている。


「おい、クリスマスだってのにこんな所でお前は何してる」


 顔を赤らめた三蔵が、生温いアルコール臭を撒き散らしながら大聖に言った。


「そう言う親父だって同じじゃねえか」


 石油ストーブに手をかざしながら、大聖は反論した。


「仕方ねえだろ。母さん、死んじまったんだから」

「相変わらずデリカシーねえよな」


 窓の外では、身を寄せて歩くカップルの姿やキャバ嬢とサラリーマンなど、男女が戯れ合う様子が見える。きっと今頃、ラブホテルは満員だろう。

 一方、七畳一間のアパートで男二人で酒を呷る二人の光景は、なんとも虚しい。


「……蓮も誘ってやるか。あいつも寂しいだろうからな」


 三蔵は、タートルネックのセーターの上にトレンチコートを羽織りながら言った。

 長年着続けているため、皺が寄って不格好だった。


「連絡も取れないのに、押しかけて平気なのかよ」

「……本当はあいつだって、俺たちに会いたいはずだ。それに、あいつのことを理解してやれるのは俺たちしかいないだろ」


 大聖も、シャツの上に詰襟の学生服を羽織った。


 夜が深まるに連れて、しんしんと気温も下がっていく。得も言われぬ侘しさのような感情が、心の中に訪れた。

 どっぷりと夜に浸かった空から、ひらひらと粉雪が落ちてきて、道行く人々は立ち止まり、掌を皿のようにして嬉しそうに見上げている。

 三蔵は、それらを一瞥し、舌打ちをして煙草に火を点けた。


「お前、これからどうするつもりだ?」


 寒さからか、いつもより早歩きになりながら三蔵が訊ねる。


「さあな」

「……冥送士になってみる気はねえか?」


 大聖は驚いて、思わず足を止めた。


「何言ってんだよ。除霊なんて、俺にできるわけないだろ」


 三蔵はふっと鼻で笑って再び歩き出す。


「冗談だ。そもそも、お前みたいなガキに務まる仕事じゃねえしな」


 二人の住むアパートから20分ほど歩いた所にある、閑静な住宅街の一角の賃貸マンションに秋山は住んでいる。

 到着する頃には、指先は悴み、鼻と耳は赤くなっていた。芯まで凍り付くような寒さに、絶えず体が震えてしまう。


 階段を上り、最上階の四階の、一番奥の部屋を目指す。

 先ほどよりも降雪量は増して、廊下の手すりには薄く雪が積もっている。闇が降りた街に、真っ白な粒がノイズのように視界を通り過ぎていった。


 403号室の前で二人は立ち止まる。

 インターホンに手を伸ばす三蔵の仕草が、どことなく緊張しているように見える。


 間のあるチャイムの音が鳴り響く。

 元気の無い表情をした秋山が扉を開けて出てくる、と思っていたが、応答は無かった。


「出かけてるのか……?」


 三蔵は、首を傾げてもう一度チャイムを鳴らす。

 その音は、心なしか先ほどよりも、不吉な音色に聞こえたような気がした。


 三蔵はズボンのポケットから携帯電話を取り出し、秋山に電話を掛けた。

 携帯電話を耳に当てたまま、沈黙が続く。


 大聖は、何とはなしに扉のレバーに手を掛け、下ろしてみた。

 軽くレバーを引いてみると、扉が動いた。


「え……」


 大聖と三蔵の間に、一気に緊張感が生まれた。

 開いた扉の隙間から、携帯電話の着信音が聞こえてくるのだ。秋山は、この家の中にいるらしい。


「蓮、居るのか?」


 三蔵が声を掛けても、返事は無い。

 突然、三蔵が顔の前を手で払った。三蔵の周りを、小さな虫が飛び回っている。


「おい、びっくりさせんなよ」


 大聖はゆっくりと、部屋の中に足を踏み入れた。

 靴脱ぎ場には、揃えて置かれた革靴と、スニーカーがある。そこから左手には洗面所とトイレがあるようだ。

 正面の居間に続く扉は半開きになっており、少しだけ様子が見えるが、部屋中の電気が消えているため、人の気配はしない。


 靴を脱いで、慎重に廊下を歩く。

 大聖の耳元で、虫の羽音が断続的に聞こえている。


「蓮、どこに居るんだ?」


 背後で三蔵が声を掛ける。

 返事の代わりに、携帯電話の無機質な着信音だけが絶えず鳴り響いている。


 居間に通じる半開きの扉を押してみるが、何かに閊えてそれ以上は開かない。

 そして、どうやら、着信音は扉のすぐ傍から聞こえてきているようだ。


 大聖は、半身の体勢で扉の隙間を通り抜ける。


 ぐちゃりと、靴下に何かが染み込む感触があった。


「うわ」


 床を見ると、暗がりで判然としないが、水溜まりのようなものを踏んでしまったらしい。

 

 携帯の着信音が、大聖の背後で鳴っている。


「おい、蓮はそこに居るか?」


 扉の向こうで、三蔵が大聖に訊ねた。


 羽音が一層大きくなる。

 大聖が、ゆっくりと振り返った時、思わず叫び声を上げた。


 腰が抜け、()()から眼を離せない。極度の恐怖から、胃液が喉元まで込み上げてくる。


「おい! どうした!」


 漸く扉の隙間をすり抜けてきた三蔵も、()()を見て、言葉を失った。


 半開きになった扉の上部と、壁際に設置されたメタルラックの上部に、鉄製の物干し竿が渡されている。

 その中腹に、黄色と黒色のナイロンロープが括り付けられていて、垂直に伸びたロープの先端部分に、見覚えのある、黒いスーツがぶら下がっている。


 スーツの裾から、液体が滴って、床に水溜まりを作っていた。


 大聖は、その場で嘔吐した。

 涙で視界が霞み、気管が狂ったように浅い呼吸を続けた。


 袖から伸びる脱力した手は、青白く変色し、襟から垂れる首と頭は、鬱血して赤黒い。

 床に落ちた銀縁眼鏡は、涙か、何等かの液体で濡れていた。


「蓮……」


 三蔵の手には、小さな紙が握られていた。


 そこには、秋山の字で「私は、この恐ろしい能力と心中することにします。三蔵さん、大聖君、すみません」と、短く綴られていた。

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