表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死神とドグマ  作者: 結城 光
30/44

放火魔

 それから数日間は、放火魔の動きはなかった。

 秋山は一応の事情聴取を受けたが「事故」という形で今回の件は幕を閉じた。


 ストーカー被害の依頼人から受け取った報酬金で、電気料金を支払い、三上心霊事務所は明るい夜を過ごすことができるようになった。


 放火魔の正体は、()()()()に恨みを持った()()()()ということで、三蔵と秋山は身分を隠して放火魔を追うことにした。

 三蔵は「(うけい)」、秋山は「(さい)」と名前を偽った。


「こうして明かりの下で冷えたビールが飲めるのも、秋山さんのおかげだな」


 缶ビールのタブを引きながら大聖が言う。しかし、未だに秋山はどんよりとした表情をしている。


「今回の件は不問になったわけだし、気を取り直そうや」


 三蔵は既に三本目のビールを開けている。


「……ええ」


 浮かない顔をしている秋山に、三蔵がビールを差し出す。


「こういう時こそ酒だよ。煙草も吸うか?」


 秋山は首を横に振り、ビールを受け取って一気に呷った。


 時間を忘れて酒を飲み続けた三人は、いつの間にかソファの上で眠っていた。

 

 (いびき)をかく秋山の手には二つのサイコロが握られていた。

 寝返りを打った拍子に、サイコロが床に落ち、数回転がる。


 ピタリと止まった二つの正四面体には「災」と「醒」の文字が書かれていた。


 活気に満ちた歌舞伎町でさえ眠りに就く頃、大聖は寝苦しさに(うな)されていた。

 息が詰まる感覚、冬の夜にも関わらず、熱を持った空気が大聖の身体を包んでいる。


 遠くで、何かが小さく爆ぜるような音。聞き覚えがあった。

 脳内で眠気が薄れてゆき、徐々に思考が明瞭になる。


 薄目を開ける。

 大聖の横では、三蔵が鼾を立てて眠っている。

 対面で、秋山も肘掛を枕にして穏やかな表情で目を瞑っている。


 しかし、網膜が映す眼前の光景には、違和感があった。

 数回目を擦る。

 しかし、変化は無い。


 視界が、霞んでいるのだ。眠気のせいではない。それに、嗅いだことのある臭いと、聞いたことのある音。

 

 大聖は、目を見開いた。

 この臭いは、煙だ。それに、視界に懸かる薄い(もや)のようなものの正体もそうだ。


 慌てて三蔵の身体を揺する。


「親父! 起きろ!」


 何度も身体を揺すっていると、三蔵は眠気眼でゆっくりと起き上がった。

 やがて、異変に気付いて秋山を起こす。


「まずい! 出入口にまで火が!」


 閉まっている鉄の扉の隙間から、煙がゆっくりと事務所内に侵入してきている。パチパチという、何かが焼けて爆ぜる音も、扉のすぐ外から聞こえてきているようだ。


「窓だ!」


 三蔵は窓を開け放つ。

 三メートル以上ありそうな高さに、三蔵は躊躇している。


「親父! 早くしろ!」


 背後で大聖に急かされて、意を決した三蔵が視界から消えた。


「秋山さんも!」


 恐怖で目元に涙を浮かべる秋山を、半ば突き飛ばす形で窓から避難させる。

 煙を吸い込んだせいで、大聖は激しく咽る。


 眼下では、三蔵と秋山がこちらを見上げている。

 二人を囲むように、複数人の野次馬も固唾を呑んで大聖を見物している。


 こんな時に、母の最期を思い出してしまう。


 母さんは、もっと熱い思いをしたのだろう。もっと苦しかったのだろう。もっと、生きていたかっただろう。

 救いを求めるようにこちらに伸びていた、焼け焦げた母の手が、大聖の脳内でフラッシュバックした。

 体が震えて、奥歯が鳴った。

 自然に、目の奥から涙が溢れてきた。


「大聖! 何やってる! 早く降りてこい!」


 三蔵の声で、我に返る。

 まだ、死ぬわけにはいかない。

 

 背中に感じる熱から逃げるように、窓枠を蹴った。

 みるみる地面が近づいて、両手と両足で着地したあと、衝撃を逃がすために、前転をする。

 勢いよくアスファルトに飛び降りた衝撃が、全身に痺れを来たした。


 建物の一階から発生したと思われる火は、うねりながら建物全体を呑み込もうと勢いを増していた。

 炎は獣の呻き声のような音を発し、周囲の人間を威嚇しているようだった。


 三蔵が、目を細めて何かを注視している。


 三蔵の目線の先を、大聖も見る。

 こちらに一定の距離を保って、遠目から見物している野次馬の群れがある。


「親父、どうかしたのか?」

「……あのフードを被った女」


 大聖はもう一度野次馬に目を向ける。

 確かに、群れの後方に、紛れるように佇む鼠色のパーカーのフードを被った人物が居る。俯いているため、性別までは判然としないが、父はあの人物について何か知っているのだろうか?


 三蔵が、ゆっくりと野次馬に近づいていく。

 携帯電話を構えた若者や、心配そうな表情の中年男性や、見物を楽しむ浮浪者が道を開ける。


 フードを被った人物だけが、動こうとしなかった。

 炎に照らされて相対した二人に、長い影ができている。


 二人は何やら言葉を交わしているらしいが、聴き取れない。


 フードの人物は、ゆっくりとした動作でフードに手を掛けた。

 歳は20代前半だろうか。若い女が口元を歪めて笑みを浮かべている。その表情は、言い得ぬ恐ろしさのようなものを孕んでいた。


 三蔵が女に掴みかかろうとしたのをひらりと躱し、闇に溶ける長い黒髪を揺らしながら女は走り出した。


「追うぞ! あいつが放火魔だ!」


 三蔵の言葉を皮切りに、大聖と秋山も続いて走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ