薄情な偽善者
冥送士として、人を救うという大義名分を偉そうに掲げておいて、自分の家族一人守れない父に、大聖は憤慨した。
母の葬儀にも来ず、連絡一つ寄越さない父は、薄情な偽善者だと思った。
歌舞伎町の雑居ビルの二階に、父が営む「三上心霊事務所」はあった。
大聖は、幼い時に父から貰った名刺に書かれた住所を頼りに、古びた建物に辿り着いた。
先日の家事で、私服は全て燃えてしまったので、仕方なく学生服を着ているが、防寒性に乏しい生地の隙間から冷えた空気が浸透してくる。
体中の傷も、塞がってはいるが、所々痛みはまだ残っていた。
大聖は、建物を見上げて大きく息を吐いた。
白煙が冬の曇天に舞い上がり、霧散する。
狭い階段を上がって、二階の扉を開けると、真っ暗な事務所が現れた。
客人を迎え入れる気が無い散らかった室内。
吸い殻が山盛りになった灰皿、シンクに溜まったカップ麺の容器、積み重なったオカルト系雑誌、ボロ布のような毛布が敷かれた穴の開いたソファ。
ソファの上に、誰かが座っていて、物音に気付いて大聖の方を見た。
黒のスーツに、黒一色のネクタイを締めた、銀縁眼鏡の若い男と目が合う。
「お客様でしょうか? すみませんが、今は所長が不在でして……」
「俺、三上三蔵の息子、三上大聖だけど」
男は一瞬きょとんとした顔をして、大聖を見つめたが、納得したように数回頷いた。
「なるほど、確かに、面影がありますね」
「親父はどこ?」
「それが、私も所長の行方を知らないんですよ。依頼をほったらかしてどこに行ったんだか……」
男は頭を抱えた。
家にも、職場にも居ないとなると、どこに行ったのだろうか。
「あんたは、親父の助手なのか?」
「ええ、秋山蓮と申します」
秋山は、スーツの内ポケットから、サイコロのような正四面体を二つ取り出した。
通常のサイコロとは違って、点が書かれてあるべき場所に、漢字が書かれている。
「なにそれ?」
「これを同時に振って、出た字の組み合わせで、凄く大雑把な未来が分かります」
「大雑把なのかよ」
「何も分からないよりはマシでしょう」
秋山が放ったサイコロは、散らかった机の上を転がって、「死」と「醒」で止まった。この二文字が示す意味を考えているのか、秋山は腕を組んで机上を睨んだまま動かない。
窓の外に、昼下がりの歌舞伎町と、鼠色の空が見える。
閉め切った部屋には、乾いた冷気が充満していて、じっとしていると体が自然と震えてくる。
ズボンのポケットに突っ込んであったマルボロの煙草に火を点ける。
大聖は、部屋の中に立ち込める陰気な雰囲気に、居心地の悪さを感じていた。
「死は、文字通り誰かに死が訪れる未来を示している……醒は、誰かの覚醒を意味している……」
独り言ちながら、秋山は顔を上げた。
「と、いうことです」
「どういうことだよ」
「……まあ、三蔵さんが戻ってくることを信じて、待ちましょう」
秋山の能天気な発言に、溜め息が出る。
「どうして三蔵さんに会いに来たんですか?」
「……母さんが死んだっていうのに、葬式にも来ない親父を殴ってやろうと思って」
仕事柄、人の死には慣れているのか、秋山の表情は変わらなかった。
サイコロをスーツの内ポケットに入れて、銀縁眼鏡をずり上げた。
「辛いとは思いますが、もしよければ、お母さまが亡くなった原因を教えてもらえませんか?」
「話してなんになる。母さんは俺のせいで死んだんだ」
吸い殻の山に、乱暴に煙草を押し付ける。
積もっている吸い殻は、どれも父が吸っている手巻き煙草だった。
「こんな重たい話、本当は私だって聞きたくないですよ。でも生憎、今は事務所に私しかいませんからね。ここに来た人の話を聞くのは、仕事の一環です」
ぶっきらぼうな言い方だったが、その口調や表情は、柔らかく、優しいものだった。
「……俺に恨みを持ったやつが、家に火を点けたんだ」
事務所は、異様なほどの静けさが漂っていて、台所の締まりの悪い蛇口から水が滴る音だけが継続的に聞こえてくる。
「なるほど……」
話しても無駄だと思っていたが、意外にも、秋山は指先を顎に当てて、何かを考えこんだ。
「実は最近、この付近で不審火が相次いでいるんです。恐らく、それは手を触れずして火を出現させることができる霊能力によるもので、私たちがその犯人を追っていたのですが、なかなか尻尾を掴むことができなかったんです」
大聖は、秋山の発言で思い出したことがあった。
──先日、タカハシに袋叩きにされたときに、取り巻きの男が言っていたこと。
『急に火が大きくなったんです! 俺たちはちょっと火を点けただけで……』
もしかしたら、犯人は別に居るのかもしれない。
だとしたら、なんの目的で……?
「あなたのお母さまは、霊能力者によって殺害された可能性があります」
「ああ……俺もそんな予感がするよ」
その時、勢いよく事務所の扉が開いた。
「すまねえ蓮、また逃がしちまった」
扉の前に立っていたのは、紛れもない、父、三上三蔵だった。