決意
6月15日
東京都千代田区、神保町
美命の自宅に、渚が訪れてから、二日後のことだった。
昨日から降り続いていた大雨は、息が詰まるほどの湿気を残してどこかへ去り、分厚い黒雲の群れの隙間から太陽が見え隠れしていた。
ムスビ書房の入り口を開扉すると、正面に見えるカウンターで、カヤが顔を斜めにして退屈そうに頬杖をついていた。目を瞑っているため、眠っているようにも見えたが、扉の音に気が付き、ぴくりと体が動いた。
「カヤちゃん」
美命の声を聞くと、カヤは途端に笑顔になり、美命のもとへ走り寄ってきた。今日は、ヘアゴムを使って長い黒髪を束ねていた。
少しの間、カヤは美命の顔を静かに見上げていた。
「またおじちゃんに用があるんだね」
「うん、ちょっと頼み事があって」
カヤの頭を撫でたあと、二階に続く階段を上った。
閉め切られた空間には相変わらず古紙の匂いと、煙草の臭いが充満していた。
背の高い棚が連なってできた複雑な通路の先に、古びた木製の机と椅子があり、祈はそこに居た。
「おう、この間の若いの」
読んでいた本を裏返しにして置きながら、祈は言った。
「今日はどうした?」
ガラス製の灰皿に立てかけてあった煙管を手に取り、麻の小袋に入った白い葉を煙管の先端に詰めてながら言う。
「祈さんは、除霊師なんですよね?」
祈が慣れた手つきでマッチを使って葉に火を点けると、細い煙が上がる。
「それがどうした」
「俺には、霊が憑いていますか?」
祈は宙に向かって紫煙を吐き出し、目を細めて美命を見た。
言い得ぬ圧迫感のようなものが、美命の鼓動を速めた。
「ああ、この間話していた、昔の女の霊じゃないか?」
間違いない、由良の霊だ、と美命は確信した。
「祓うことは可能ですか?」
「……除霊師というのは、俗に悪霊と呼ばれる霊しか祓うことができん。お前に憑いている霊からは、お前を陥れようという悪心もなければ、執着心もない。それに、その霊を繋ぎとめているのはお前自身だ」
「……彼女にこれ以上、心配を掛けたくないんです。俺は決別しなきゃいけないんです。何か方法はありませんか」
祈は、何かを言い淀むように、虚空を見つめ、暫く押し黙った。
「方法は、ないことはない」
「教えてください」
祈の口から溜め息と共に濃い煙が立ち上った。
「まあ、お前には特別に教えてやろう。冥送士であれば、あらゆる霊を祓うことはできる。本当に後悔はないんだな?」
美命が力強く頷くと、祈は引き出しから一枚の名刺を取り出し、美命に渡した。名刺には、三上心霊事務所、冥送士、三上大聖と書かれてある下に、電話番号が記載されていた。
「そこに電話を掛けてみろ。霊を祓うか祓わないかは、あいつ次第だがな」
「分かりました。ありがとうございます」
祈は思い出したように「それと」と付け加える。
「冥送士は、この世のどんな霊でも祓うことができてしまうが故に、人から恨みを買うことも少なくない。だから、冥送士に関する情報は誰にも話すなよ」
美命はもう一度、深く頷いた。