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死神とドグマ  作者: 結城 光
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「三上大聖の下準備はできているか?」


 久留須が倭を見る。


「はい、抜かりはありません」

「そうか、ご苦労。今回の選別は冥送士が相手になる。下への指揮は優秀な君たち二人に任せるよ」


 月人は不服そうに顔を顰めた。


「お言葉ですが、私一人でも問題ないかと思います」


 月人の発言に、倭は小さく舌打ちをした。


「……聞こえなかったかな。私は君たち二人に任せると言ったのだが」


 久留須の言葉は絶対だ。致し方ない。月人は小さく頷いた。


 二人は、久留須の部屋を出た。部屋の中がまるで暗室のようだったせいか、異様に眩しく感じる。

 踊り場の窓から外の様子が見える。

 雨は先ほどより勢いを増し、窓枠にぶつかった雨粒がカンカンと音を立てている。


「まさか、お前と組むことになるとはな。よろしく頼むぜ、相棒」


 階段を下りながら、倭は月人の肩に腕を回して言った。


「……今回だけだ」


 倭の腕を解きながら、独り言ちるように言う。


「頼りにしてるぜ。まあ、俺の力が必要な時はいつでも言ってくれや」


 こいつとは反りが合わない、と月人は思いながらも、同じ上級幹部として倭を認めているというのも事実だった。


 月人は、三階から更に下に続く階段を下り始めた。

 自室に戻ろうとしていた倭が月人を呼び止める。


「部屋に戻らないのか?」


 階段の途中で足を止めて「ああ」とだけ返事をする。


 二階には中級幹部が寝泊まりすることができる部屋がずらりと並んでいる。ここに用はない。


 一階に下りる。ガラス張りの自動ドアの入り口があり、その正面には約二万人の信徒全員が納まる広さの大広間がある。

 大広間に続く両開きの扉は開け放たれおり、暗闇の奥に微かに舞台が見える。年に数回、久留須はあの舞台の上に立ち、信徒たちに「お告げ」を聴かせるのだ。


 施設の入り口から見て、正面に大広間、右手には、主に入信の手続きを行う応接間と、地下と二階に繋がる階段がある。

 左手には、初級幹部と一般信徒が寝泊まりする二十畳ほどの和室が廊下の両側に三部屋ずつ、計六部屋あり、その奥にトイレと食堂がある。

 初級幹部以下の信徒は、基本的には一階部分のみの使用が許されている。


 月人は、地下へと続く錆びた鉄の扉に手を掛けた。人が出入りすることがあまりないため、劣化した蝶番が悲鳴を上げた。

 開扉すると、埃とカビが混ざった不快な臭いが鼻を突いた。

 ちょうど人ひとり分の横幅の階段は、一面がコンクリートで覆われている。

 扉の脇のスイッチを押しても、電気が点く様子はない。半開きの扉の隙間から差し込む明かりによって、辛うじて三段目までは見えたが、下に続くに連れて、深い海のような闇が湛えていた。

 足を踏み外さないように、スマートフォンの明かりを使って慎重に階段を下りていく。

 背後で扉が閉まると、一段と濃い暗闇が月人を包み込んだ。


 身震いするほどの冷気が階段下から吹きあがってくる。一段ずつ着地する度、乾いた足音が周囲に反響した。

 階段を下りると、冷たいコンクリートの通路が真っ直ぐ続いている。

 月人の吐く息が白い煙に変わるほど、急激に温度は変化している。

留魂室(りゅうこんしつ)」と書かれたプレートが嵌め込まれた扉が通路の突き当りにあり、月人はその扉の前に立った。

 扉に鍵が掛かっているが、鍵穴は無い。

 これは、霊能力を自在に操ることができる中級幹部以上の人間だけが開けられる仕組みになっているのだ。

 鍵穴があるべき場所の反対側には、サムターンが存在していて、霊気を用いて開錠することができる。


 月人は、扉の向こうの横向きになっているサムターンを思い浮かべた。

 ひとりでに反時計回りに動き、縦向きになることをイメージすると、ガチャン、という音が扉の向こう側で聞こえた。

 氷のようなドアノブを回し、扉を押す。


 深々と冷え込んだ空気に、奥歯がかちかちと鳴った。

 窓もない閉鎖的な空間に、月人の身長の倍はある高さの鉄の棚が、狭い通路を幾つも作っている。その棚には、円柱状の透明な瓶が無数に並べられている。

 月人が歩く度に舞い上がった埃が、スマートフォンの明かりに照らされて、光の粒子のようになって空気中を漂っている。


 棚に並んだ無数の瓶の中には、死者の魂が入っている。魂は白い煙のような形状をしており、瓶の中を窮屈そうに泳いでいた。

 埃の被った瓶の列の中に、綺麗に磨かれた瓶があった。

 月人はそれを慎重に手に取る。

 瓶には、ひとつひとつラベルが貼ってあり、そこには故人の氏名と命日が記されている。

 月人が手に取った瓶のラベルには、彼の弟の名前である黒野陽と、命日である7年前の7月10日が記されてあった。


「陽、そこは狭くて退屈だろ」


 ズボンのポケットからハンカチを出して、優しく瓶を拭う。

 陽の魂が、ゆらゆらと意思なく漂っている。


「ごめんな。もう少しの辛抱だ。久留須様が、きっとお前の魂をお救いくださる」


 瓶を棚に戻し、部屋を出て、エントランスから施設の外に出る。


 戸口から天蓋型の庇が伸びていて、その一歩先では、土砂降りの雨が視界を煙らせていた。

 ふと、エントランス脇に置かれたプランターに目をやると、藍色と、薄紫色の紫陽花が咲いていた。

 庇から垂れ落ちた雨の雫を花弁が受け止め、その度、隣り合わせた花弁も嬉しそうに身を震わせている。

 月人はプランターの前に屈み込んだ。

 鮮やかに咲いた紫陽花の群れの中に、一輪だけ、枯れているものがあった。花弁の端が焦げた紙のように変色している。健やかに咲く花の中で、その花だけが、静かに、短い命を終えようとしていた。

 月人は、無常の花の上にそっと手を置いた。

 掌から花弁に霊気が伝達し、失われた色彩がゆっくりと息を吹き返した。

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