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死神とドグマ  作者: 結城 光
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陰謀

 6月13日

 東京都港区、某所


 薄暗い七畳ほどの部屋で、窓の外の雨音を聞きながら、黒野月人(くろのつきひと)はシングルサイズのパイプベッドに横たわっていた。

 上下揃いの黒い下着を纏った女が、月人に体を寄せた。呼応するように、ベッドがぎっと軋む。


「黒野さん」


 消え入るような声で、女が月人を呼ぶ。

 女の指先が月人の上半身を伝って下腹部へと移動していく。熱を帯びた体に反して、その指先は凍ったように冷たい。

 女の腕を掴んで押し戻し、ベッドから起き上がる。


「私じゃ、だめですか?」


 横たわったままの女は瞳を潤ませた。

 目の前の淡い壁を見つめながら、月人は「すまない」とだけ言って立ち上がり、スライド式のドアを開けて部屋を出た。


 医療施設を思わせる塩化ビニル製の白色の廊下が続いている。

 曇天のせいで、窓から差し込む光はほとんどなく、天井に等間隔に設置された蛍光灯がぼんやりと廊下を照らしている。

 廊下の突き当りに月人の部屋があり、そこから数えて三番目の扉の前に立つ。

 扉の横には「春日倭(かすがやまと)」と書かれたプラスチック製のプレートが取り付けられている。


 ノックをするも、返事はない。


 返答の代わりに、扉の向こう側から女の嬌声が聞こえてくる。男の情欲を掻き立てる、甲高く卑猥な叫びが、月人の鼓膜に不愉快にこびりついた。

 ドアのハンドルに手を掛け、横に向けて力を加えると、抵抗なくドアはスライドした。


 月人の部屋と同じ作りの、白いクロスの張られた、小綺麗でシンプルな部屋。

 部屋の角に合わせるように設置された木製の机は、使われず放置されている。

 正面に大きな窓があり、レースカーテンが窓を伝う雨のシルエットを映し出していた。

 机が置かれた位置の反対側に、月人の部屋と同じパイプベッドがあり、そこには、岩のような筋肉が浮き上がった、日に焼けた倭の背中と、白く細い女の両足が見えた。


 倭は、四つん這いになった女の臀部(でんぶ)に荒々しく腰を打ち付け、その度に女は息を切らしながら苦しそうに喘いでいる。

 倭の背中に浮かんだ玉のような汗のせいか、熱気がこちらにまで伝わってくる感覚に、月人は顔を(しか)めた。


 次第に腰使いが早まったかと思うと、突然律動を止め、うるさいほど部屋に響いていた女の淫靡(いんび)な声も止まった。

 倭が乱暴に女を突き飛ばすと、接続されていた性器がぬるりと抜けた。


 事を終えた倭はベッドに腰かけ、荒い呼吸で月人を一瞥した。


「おい、覗きかよ。悪趣味だな」


 倭の声で、女も月人の存在に気付き、慌てて自らの裸体に布団を被せた。

 倭が太い指で坊主頭を搔きむしると、汗の飛沫が周囲に飛び散った。


「ノックはしたんだけどな」


 ドアに背を預けて、冷めた目で倭を見つめながら月人は呟いた。


「お前、また天命をすっぽかしたのか?」


 床に脱ぎ捨てられたボクサーパンツとティーシャツを身に纏いながら、倭は訊ねた。


久留須(くるす)様がお呼びだ」


 質問には答えず、用件だけを手短に伝える。

 倭は面倒臭そうに首を数回横に振って、重い腰を上げた。


 再び廊下に出る。

 施設内は不気味なほど静まり返っていて、二人の足音と、雨音だけが響いていた。


「お前はもうちょっと愛想よくできないのかねえ」


 ジーンズに通したベルトを締めながら、倭が呟く。

 人気のない廊下では、小声で話しているにも関わらず反響する。


「お前に対して愛想よくしたところで、なんのメリットがあるんだ」


 倭は何か言い返そうと口を開きかけたが、無駄だと思ったのか口を(つぐ)んだ。


 最上階である四階に続く階段を上ると、正面に重厚な鉄製の扉がある。

 その部屋以外、最上階に部屋は無い。


 倭は力強く扉をノックしてから、分厚いレバーを下して引いた。筋骨隆々の倭をもってしても、開扉には少し手こずっている。

 少し開いた扉の隙間から冷気が漂ってくる。


 室内は、廊下よりも遥かに暗く、壁に設置されたブラケット照明が、青っぽい光を微かに放っているだけで、それ以外の光源は一切無い。

 ごわごわとしたカーペットが、入口から真っ直ぐ部屋の奥まで延びていて、その先に革張りの椅子が一脚置かれている。

 何者かがそこに座っている。

 肘掛に右肘を置き、拳で頬を支え、気だるそうな様子でこちらを見ている男のシルエットが確認できる。

 その男こそが、月人と倭を呼び出した張本人、久留須だ。

 久留須がゆっくりと足を組むと、ブラケット照明の光が強まり、久留須の顔が確認できるほどに室内は明るくなった。

 額の中央で分けられた黒髪、若々しく滑らかな肌、不気味な光を帯びた大きな黒目、自尊心の象徴のような尖った鼻、きつく結ばれた唇。

 容姿こそ美しいが、言い得ぬ恐ろしさを纏った久留須が、無表情のまま二人を見つめている。


「三上大聖と接触したそうだね」


 久留須は、相変わらず退屈そうに口だけを動かして言った。倭が月人を一瞥する。


「ええ、しかし、噂ほど優秀な除霊師……いえ、優秀な冥送士という訳ではなさそうです」


 月人の発言に、久留須の眉がぴくりと動いた。


「冥送士が何者であるか、君たちは知っているか?」


 二人は首を横に振った。


「霊能力者は除霊を行う際、膨大な霊気を消費する。つまり自分の寿命と引き換えに霊を祓っている。むやみやたらに除霊をすれば、霊能力者自身が命を落とすこともあり得る。しかし、冥送士というのは生まれながらにして膨大な量の霊気を持っている」


 久留須は、口元にうっすらと笑みを浮かべた。


「より多くの魂を救うためには、冥送士である三上大聖を粛清しなければならない。分かるね?」


 月人と倭は、ほとんど無意識に首を縦に動かしていた。自分の脳が、彼の言葉に過誤や矛盾はないと、強制的に理解させられているかのようだった。


「だが、その前に、粛清しなければならない人間がもう一人居る」


 久留須の眼に、微かに憎悪の火が灯ったように感じた。


「私はそいつに個人的な恨みがあってね。そいつは自分の霊気を消し、名前を偽り、行方を晦ましている」

「私たちに出来ることであれば、なんでも仰ってください」


 月人が会釈すると、久留須がふっと笑った。


「そいつは、三上大聖の父親だ。君たちは三上大聖と接触したあと、その父親の居場所を訊き出してほしい」

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