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死神とドグマ  作者: 結城 光
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迷い

「その子の体は、もう君の体ではない」


 堀田が憐れむように言った。

 女は白目を剥いて、口の端から泡を吐いたあと、気を失った。

 

 堀田は、ポケットから小瓶を取り出し、中に入っている黒い砂のような粒子を掌に出した。

 息を吹きかけると、砂は風に乗って飛んでいき、倒れている女の体の上を舞った。

 砂には、堀田の霊気が混ぜ込んであり、通常、視認できない霊の姿を現す効果がある。


 霊を視認することにおいてのパターンは三種類ある。

 微弱な霊気でも視認できるほど姿かたちがくっきりとした霊、堀田の持つ能力、通称、見鬼と呼ばれる能力を用いて視ることができる霊、そして、見鬼をもってしても視ることのできない、特殊な霊が居る。そういう霊には、砂を使う必要があるのだ。


 宿を失った霊が、砂を浴びて黒い影のような形で見える。

 砂が影の中に吸い込まれてゆき、影は次第に生身の人間の姿に変容した。


 霊の正体は、宿主の女と歳はそれほど変わらない女だった。

 同じくらいの歳で同性の彼女の体に惹かれてしまったのだろか。


「所長、見えますか。霊の正体は、若い女性です」


 堀田は女を見つめたまま、隣で肩を押さえて荒い呼吸を繰り返す大聖に言った。

 

 女の寂しげな眼に、吸い込まれてしまいそうだった。堀田の胸の内側に、同情心が湧きあがってくる。

 祓ってしまえば、この女性は完全に消えてなくなってしまう。自分が、自分たちが、彼女を消し去る権利は、あるのだろうか。

 いつの間にか堀田は、痛いほど拳を握りしめていた。

 自分がもし、彼女の立場だったら……。


「──冥送」


 堀田の隣で、慰霊赦魂典を持った大聖が言った。


 ワンルームの小さな部屋は、大聖の声と共に一瞬にして姿を変えた。

 天井も、壁も、床も、全てが消えてなくなったように、雪のように白く、広大な空間があった。


 女は、不安げな表情で大聖を見ていた。しかし、その眼には、もう敵意は感じない。


「その道を真っ直ぐ進みな」


 大聖の指さす方向には、あの世へと続く道が果てしなく続いている。


「ここは苦しくないんだね」


 女が深呼吸をして言った。


 冥送士になる前に、父親からある話をされたことがあった。

 霊にとっての現世とは、人間にとっての水中のようなものだと、父は言っていた。本来自分が居るべきでないその空間に留まれば留まるほど、苦しくなる。

 そこから解放し、救ってやることが、冥送士の仕事だと言う。


 大聖は、父の言葉を噛み締めた。

 白銀の空間が慰霊赦魂典の中に吸い込まれ、元の、散乱した陰鬱なワンルームが視界に戻った。


 立ち眩みのように体から力が抜けてよろめくと、堀田が大聖の体を受け止めた。


「すまない、あの子は?」

「とりあえず、女の子三人は車に乗せてます」


 視界がぼんやりと霞み、脳が正常に働いていない。気を抜けば、今にもその場で倒れてしまいそうになる。

 堀田の肩を借りて、窓から部屋を出る。


「……さっき、何か考えてたでしょ?」


 問われた堀田は、とぼけた表情をする。


「さっきって?」

「ほら、冥送する前だよ」

「……同情してしまったんです。私たちがしていることは、善行であるのか……彼女の瞳を見た時に、そう思ったんです」


 堀田は悲しそうに目を伏せた。


「でも、あのままじゃ宿主の子は死んでいたかもしれない」

「……ええ、そうですね。人の命が、一番大切ですよね」


 アパートの前に停めたカローラの後部座席には、天野叶、日河美久、パーカーとスウェットパンツを着せられた取り憑かれ女の三人が窮屈そうに座っていた。

 皆一様に俯き、思い思いに沈んでいた。

 堀田が運転席に乗り込み、大聖は助手席に座る。

 車内は息が詰まるほど重苦しい空気感だった。


「……もう問題は解決したんだからさ、飲みにでも行ってくれば?」


 大聖の言葉に、三人は無反応だった。せっかく気を使ってやったのに、と思わず舌打ちが出た。

 ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。閉め切られた車内に、煙が濛々と充満した。


「霊は無事に祓うことができたし、お守りも私たちの方で清めておく。だから君たちはもう何も気にすることはないよ」


 堀田が、副流煙に対してしかめっ面で窓を開けながら、優しい口調で言った。


「……ありがとうございました」


 日河美久と取り憑かれ女に挟まれる形で座っている天野叶が頭を下げた。


「これで、霊の恐ろしさが分かっただろうから、もう危険な場所には行かないね?」


 堀田がルームミラーを見ながら微笑んだ。天野叶は頷いたあとに、言い辛そうに口を開いた。


「あの……お金は?」


 その話は敢えてしないようにしていたのに、と大聖は顔を顰めた。


「ガキから金貰うほど、落ちぶれちゃいない」


 格好つける大聖に、堀田が冷ややかな視線を送った。


「……もうひとつ聞いてもいいですか?」


 天野叶が遠慮がちに訊ねる。大聖は何も答えずに煙を吐き出す。


「三上さんのような、除霊を行うことができる人の命が狙われているというのは、本当ですか?」


 大聖は、窓の外を眺めたまま押し黙った。


「とある宗教団体が、霊能力者を次々と殺害しているという話を聞いたことがあるんです」

「……その話に深入りするな」


 低く唸るような、凄みのある声で大聖が言う。天野叶は気圧されて首を竦めた。


「今日は三人で一緒にいるといい、そのほうが安心だろう」


 場の空気を変えるため、堀田は努めて明るい声で言った。


「……はい、そうします。本当にお世話になりました」


 天野叶は深々と頭を下げ、日河美久と取り憑かれ女を連れて車を降りた。

 車窓から三人の様子を眺める大聖に、天野叶はもう一度頭を下げ、アパートの中へと消えていった。

 大聖はドリンクホルダーに置かれた灰皿の中に煙草を入れ、深く息を吐いた。


「……俺たちは、誰かに恨まれるようなことをしてるのか?」


 気だるげに座席に深く背を凭せ掛けた大聖が、堀田に訊ねた。

 堀田はハンドルを握ったまま、考え込んだあと、カローラのエンジンを掛けた。


「少なからず、今さっき救われた人は間違いなく居ましたよ」

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