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死神とドグマ  作者: 結城 光
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霊媒師

 彼女の年輪を見ようとしたととき、美命は違和感の正体に気が付いた。彼にとってはもはや当たり前に見えていた年輪が、彼女には無かった。これでは彼女の寿命を知ることができない。

 慌てて周囲を見回すと、彼女以外の人間の頭の後ろにはしっかりと年輪は存在していた。

 年輪の無い人間を見たのは、彼女で二人目だった。そして、それは美命が探し続けていた人物だった。

 驚きのあまり美命はスツールから立ち上がり、彼女の顔を覗き込んだ。


「……やっと……やっと見つけた」

「急にどうしたの?」

「俺は、あなたのことをずっと探し続けていたんです」


 彼女は戸惑った様子で美命を見た。


「ずっと探してたって、あなたと私は初対面だよ?」

「ええ、分かっています。でも、俺はあなたに会わなくちゃいけなかった」

「……どういうことか説明してくれる?」


 彼女は冷静さを欠く美命を諭すように言った。我ながら熱くなりすぎたと反省し、スツールに座りなおす。リサイクルショップで購入した鉄製のスツールがぎいっと悲鳴を上げた。


「すみません。何と言ったらいいのか分からないんですけど……もしかして、あなたも俺と同じような力を持っているんじゃないですか?」


 美命の問いに、彼女は驚いたように目を見開いた。

「どうしてそれを?」と彼女は聞き返す。


「寿命が、見えなかったので」


 彼女は伏し目がちに何かを考えたあと、口を開いた。


「ここで話すのは落ち着かないし、場所を変えない? お酒、付き合ってよ」


 普段の美命であれば見知らぬ人間と酒を酌み交わすことはしないのだが、今日は特別だった。彼女の言葉に、彼は深く頷いた。


 JR新宿駅東口を抜けて10分ほど歩き、怪しげな光彩を放つ歌舞伎町に入り、ほどなくして目的のゴールデン街に到着した。狭い敷地に無理やり詰め込まれたように店が立ち並んでいて、来る者を拒むように街灯は少ない。自販機と提灯の微かな灯りを頼りに歩く。

 そして、ある場所で唐突に彼女は足を止めた。


「ここ、おすすめの店」


 ビールケースが堆く積み上げられて、入口がほとんど封鎖された状態の店の前で彼女はそう言った。庇から「ばらはら」と書かれた古ぼけた提灯がぶら下がっているが、北欧神話に登場する宮殿とは似ても似つかない。どのような意図で命名されたのだろうか。

 彼女はガラス張りの引き戸を躊躇なく開き、店の中へ入っていく。カウンター席が四つあるだけの手狭な店で、カウンターの向こう側で店主が何やら作業をしている。

 埃とヤニで変色した壁に手書きのメニューがずらりと貼り付けられて、美命が物珍し気に店内を見回していると、彼女に「座りなよ」と催促された。

 彼女はビールを、美命はコーラを注文し、裸電球が淡く灯る薄暗い店内で二人はグラスを合わせた。

 彼女の喉に琥珀色(こはくいろ)のビールが流れ込んでいき、ジョッキの半分ほどがあっという間に無くなる。

 苦しそうな表情で空気を吐き出したあと、彼女は「美味い」と笑った。


「それで、さっきの話なんですけど……」


 美命が遠慮がちに本題を切り出すと、彼女は記憶を探るように右上を見たあと、「ああ」と頷いた。


「レイバイシって知ってる? イタコとかユタとか、霊を自分の体に降ろす、的なやつ」


 まさか目の前の女が、その霊媒師だとでもいうのだろうか。


「ええ、聞いたことはあります」

「お、話が早いね。簡単に言うと、私はそんなようなもんなの」


 そのまさかだった。だが、ここで驚いた素振りを見せるのも、自分自身のことを棚に上げている感じがしたので、美命は納得したように「なるほど」と冷静に頷いて見せた。


「さすが、驚かないんだ。ところであなた、若いように見えるけど、いくつ?」

「22です。そう言うあなたも若く見えますけど?」

「うん、だって17だもん」


 さすがに驚いた。目の前でビールを美味そうに呷った女が自分よりも年下だとは。


「ということは……高校生?」

「まあね、でもほとんど学校には行ってないけど。あなたの名前は?」


 美命が完結に「棚崎美命」とだけ名乗ると、彼女は不思議そうに頭を捻って「ミコトってどうやって書くの?」と質問した。


「美しい命で美命」

「めっちゃいい名前。私も美命って名前がよかったなあ」


 彼女の頭の悪さを極力気にしないようにして、美命は名前を聞き返した。彼女は「このはななぎさ」と答えて、店主からちびた鉛筆を借りて、紙ナプキンに「木花渚」と書いて、美命に名刺代わりにそれを渡した。


「木花さんは、幽霊が見えるの?」

「渚でいいよ。それがさ、自分の体に霊を憑依させることができるだけで、姿は見えないんだよね。自分にどんな見た目の霊が憑いてるのか見えないのって嫌じゃない? おじさんの霊だったら加齢臭付きそうだし」


 特殊な力を持っていても17歳には変わりないのだなと、美命は苦笑いを浮かべた。


「今ここで自分の体に霊を降ろすことはできるの?」


 美命の問いに渚は首を横に振った。


「いや、乗り移すってより、乗り移られるって感じなんだよね。勝手に入ってこられる、みたいな」

「なるほど、自分の意思は関係ないんだね」


 渚は困ったような笑顔を見せた。


「美命君は、人の寿命がどういう風に分かるの?」


 渚がジョッキを大きく傾けた拍子に、パーカーのフードが脱げた。金茶色のショートボブが小さく揺れる。ビールを飲み下す度に細く白い首元が上下した。


「人の後頭部の辺りに樹木の年輪のようなものが見えるんだ。ただ、普通の年輪とは違って人が持つ年輪は徐々に減っていくものだから、それを一本一本数えれば残りの寿命が分かる」


 渚は眉を(ひそ)めた。今の説明では理解できなかったらしい。


「……それはいつから見えるの? 生まれつき?」

「さあ、いつからだったかな」

「もしかしてなんだけど、身の回りの誰かが亡くなってからじゃない?」


 コーラを飲もうとしていた美命の手が止まった。思い当たる節があったからだ。それは、美命がまだ高校生の頃に、当時付き合っていた女性を亡くしたことだった。

 二人は過去の死を想起し、ほぼ同時に俯いた。


「……やっぱりそうなんだ……実は私も」


 ビールの泡が弾けていく様子をぼんやりと眺めながら、彼女は声を落として言葉を続けた。


「私の親友がね、2年前にいじめが原因で自殺しちゃって……。私、助けてあげられなかったんだ……毎日毎日、その子のことを思って泣いてた。そしたらある日、その子の霊が私に乗り移って、その子の家族に、最期まで私の味方でいてくれてありがとうってお礼を言いに行ったらしくて。でも、私は乗り移られてる時のことはなんにも覚えてないんだけどね」


 渚は言葉を(つか)えさせながら話した。電球の光を反射させた彼女の瞳が、ガラス玉のように見えた。

 話を聞いていた美命の心も切なくなり、それを紛らわすために飲んだコーラは不味く感じた。


「ごめん、湿っぽくなっちゃったね」


 渚は無理に声の調子を明るくして笑顔を作り、紙ナプキンで(はな)をかんだ。

 美命は虚空を見つめながら思考を巡らせた。頭の中で過去の記憶を呼び起こす。やがて、数年前にある男と話した内容を思い出した。


「渚ちゃんは、小さい頃に霊感みたいなものはあった?」


 渚は小さく頷いた。


「例えば?」

「小さい頃から、凄く気味の悪い場所だったり、墓地に引き寄せられる感覚があった」


 彼女の話と美命の記憶が合致し、彼は深く頷いた。


「もしかしたら渚ちゃんは、霊感が強いっていうだけじゃなくて、幼い時から霊を引き寄せる特別な力を持っていたのかもしれない」

「うん、私もそんな気はしてた」


 渚は神妙な面持ちで頷いた。

 美命も、幼い頃から奇妙な能力を持っていたことを、母から聞かされたことがあった。

 美命がまだ1歳の時、母親と居間でテレビを見ていると、情報番組のコメンテーターとして出演していた男を美命は指さし、何やら喋っていたという。その数か月後、男は持病を拗らせて死亡した。

 母も最初は気にかけていなかったが、ニュース番組で報道された死刑囚の顔や、ドキュメンタリー番組に出演した癌と闘う青年を指さし、同じように何かを喋っている様子を見て、母は、自分の息子には人の死を予知する力があるのではないかと思ったらしい。

 美命は、幼い頃の自分は今の自分よりももっと直感的に人に死が近づいていることを予期していたのではないかと思った。美命の本能的な感覚は、死が放つ異臭を察知し、美命の興味心を刺激していたのかもしれない。その時の感覚を、今はもう覚えていなかった。


 突然、渚に肩を叩かれて思考が中断された。彼女の方を見ると、彼女は美命のことを丸い目で不思議そうに見つめていた。


「ぼおっとしてたけど、大丈夫?」

「ああ、なんでもない」


 渚は肩から提げていた小さな鞄からスマートフォンを取り出した。


「連絡先、聞いてもいい?」


 美命の草臥(くたび)れたジーンズのポケットから、稲妻が走ったように画面が割れたスマートフォンを取り出す。普段連絡を取る人もいなかったため、連絡先を交換する方法を知らなかった美命は、渚に携帯を渡した。


「美命君、友達いないんだね」


 渚は慣れた手つきで画面を操作しながら、美命を一瞥して言った。彼女の言葉を反芻しても、事実は揺るがなかった。


「うん、友達って言葉では誰の顔も浮かばない」


 渚は美命にスマートフォンを返した。


「寂しくないの?」

「別に。友達を失ったわけじゃなくて、最初からいないからね。寂しいもクソもない」


 渚は「ふーん」と無関心に相槌を打った。


「なんか開き直ってるね。じゃあ、私が初めての友達?」


 渚は恥ずかし気もなく微笑んだ。「友達」その言葉が美命には宙に浮いているように感じた。不躾に放たれたその言葉は、美命にとってはあまりにも照れ臭く、渚から目を逸らした。


「今日初めて会ったのに、友達って言われても」


「初対面じゃ友達にはなれないの?」


 渚の純粋な表情と質問に、美命は戸惑った。「そういうわけじゃないけど」と意気地なく絡まった言葉が、ぼとりと音を立てて地面に落ちた気がした。


「じゃあ、次に会った時に友達になろうよ。それなら文句ないでしょ?」


 とうとう言い訳が思いつかなくなり、美命は縦とも横とも言えない方向に首を動かした。


「約束ね。また連絡するから」


 渚は席を立ち、フードを被りなおして美命に手を振った。少し戸惑ったが、美命は手を挙げた。

 渚はあどけなく笑って背を向けて、店を出て行った。中途半端に挙げた手を、ゆっくりと下す。今、自分はどんな表情をしているのだろう。自分のにやけた面を想像したとき、虫唾が走ったので表情筋を引き締めた。

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