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死神とドグマ  作者: 結城 光
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もう一度

「彼女は……由良は、助からなかった。俺は病院に運ばれて、一命を取り留めた」


 美命は、悲痛な過去を渚に語った。体が記憶を拒絶するように、こめかみがきりきりと痛んだ。


「美命君がいつも寂しそうな顔をしている理由が分かった気がする」


 渚がぽつりと言う。


「忘れられないよね」

「……忘れられるわけない。由良は、俺の目の前で死んだんだ」


 美命の口から発される言葉は、一音一音に、鉛のような重みを孕んでいた。


「私だってそうだよ。だから、美命君が辛くないように、寄り添って、支え合いたい」


 渚の誠実な言葉が、美命の心のへばりついた闇を拭い去ろうとしていた。

 痛いほど噛み締めた奥歯の力を緩めてしまうと、今にも涙が零れだしそうだった。


「辛くて、苦しくて、どうしようもない時は、私に分けて。多分、私の方が美命君よりちょっとだけ強いと思うから」


 呼吸をすることすら我慢したまま、美命は小さく頷く。


「私は今まで孤独だった。親友が自殺したかと思えば、今度は変な力に目覚めて……誰も私を理解してくれなかった。お父さんとお母さんでさえ、気が動転してるって」


 美命は初めて、自分の心の内を理解した気がした。きっと自分は、誰かに手を差し伸べられるのをずっと待っていたのだろう。だから、自分も誰かのために……。


「俺が渚ちゃんの理解者でいるよ。この先もずっと」


 渚は驚いた顔をして美命を見た。見開いた眼に、みるみるうちに涙が溜まっていく。


「なんだかそれ、告白みたいだよ」


 鼻声の渚は、涙を拭いながら笑った。羞恥心が時間差でやってきて、美命の顔は紅潮した。


「そんなんじゃないよ……俺はただ、友達として」

「分かってるよ」


 二人の照れたような笑い声が部屋に響いた。


「何か飲む?」


 立ち上がりながら渚に訊くと、彼女はこくりと頷いた。

 部屋を出て、玄関横に設置された冷蔵庫から水が入ったペットボトルを二本取り出した。


 部屋に戻り、相変わらず膝を抱えて座っている渚を水を差しだす。

 壁を見つめていた渚がゆっくりと美命の方を向いた。彼女の顔を見た時、驚きのあまり持っていたペットボトルが床に落ちた。


 そんな、まさか。


 今、美命は渚と目が合っている。しかし、美命の直感が、彼女は渚ではないと言っている。彼女の消えてしまいそうな淡い笑顔には、既視感があった。


「久しぶりだね、美命」


 表情、声を発し方、曇りのない澄んだ瞳から伝わってくる、全てを包み込むような優しさ。


「由良……」


 間違いない。目の前に由良が居るのだ。

 

 渚、いや、由良は柔らかい微笑みを浮かべたまま、ゆっくりと頷いた。自然と、美命の眼から涙が零れた。霞んだ視界のせいか、渚の姿に由良の姿が重なって見えた。

 美命は床に膝をつき、由良の手を取った。それは渚の手のはずなのに、懐かしい感情が心の奥底から湧き上がってくる。

 由良の顔が近づいてきて、美命の肩に顎が置かれた。互いの体がぴったりと密着し、命の熱と、鼓動をはっきりと感じた。

 手を解き、由良をきつく抱き締めると、彼女もそれに応えるように美命の体に腕を回した。


「ずっとこうしたかった……」


 耳元で由良が囁く。彼女の言葉が、吐息が、美命の耳の奥へ溶けていった。


「ごめん、由良……ごめん」


 美命は震える声で謝り続けた。あの時、守ってあげられなくてごめん。ずっと伝えられなかった、もう遅いと思っていた感情を、吐き出した。

 由良を抱きとめる腕に力が入る。互いの鼓動を分かち合うほどの距離で、美命は嗚咽を漏らし、由良は静かに泣いていた。


「ずっとこのままでいられる?」


 それが不可能であることは、美命自身がよく分かっていた。けれど、どんなわがままであろうと、口に出さずにはいられなかった。


「あの日、私が死んでしまうことは決まっていたの……どんなに道筋を変えても、待っている結末は同じ。私は、美命の腕の中で死んでしまうの。私の死は、誰のせいでもない。だから、もう悲しまないで。それに、美命はもう一人じゃない」


 優しく、どこか寂しげに由良は言った。この時間が、束の間の幻想であるということを実感させられた。どんなに泣いて縋ったとしても、再び由良と生きることは不可能なのだと。


 美命の背に回された細い腕が脱力していく。

 由良が、消えてしまう。

 腕がするりと解け、前傾姿勢になった由良が重力のままに美命の胸に寄り掛かった。

 糸が切れた操り人形のようだった。


 美命のすすり泣く声だけが、部屋の中に反響し、虚しさとなって帰ってくる。


「……美命君?」


 戸惑った声を出したのは、渚だった。


「美命君、苦しいよ……」


 由良を繋ぎとめるために抱き締めていたことに気付き、美命はそっと腕の力を抜いた。

 渚は心配そうに美命を見つめた。


「どうしたの? 今、何があったの?」


 渚は何も覚えていないようだった。


「なんでもないよ。なんでも」


 腕で乱暴に涙を拭い、精一杯の作り笑いを渚に見せても、彼女の表情は変わらなかった。

 

 渚は、美命の首の後ろに腕を回し、自分よりも少し座高の高い美命に覆いかぶさるように体を寄せた。


「大丈夫。私がいるよ」


 由良のものではない。力強く、健気な温もりだった。


「俺、決めたよ。もう逃げない……」


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