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死神とドグマ  作者: 結城 光
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優秀な助手

 突然、部屋の外側で、パン、という破裂音が鳴り響いた。

 音に驚いた霊の瞳孔が開き、大聖の首を絞めつけていた手の力が抜けた。

 塞がっていた気道が解放され、咽込んだ。


 扉の外に立っていたのは、堀田だった。彼の柏手(かしわで)の音が霊を怯ませたらしい。


 騒霊、通称ポルターガイストは、人が発する大きな音に敏感で、特に、神聖な行動である柏手の音を苦手とする。


「所長、忘れ物ですよ」


 堀田は小脇に抱えていた本を大聖に投げた。

 受け取った大聖は立ち上がり、怯えて小さくなる少年の霊を見下ろし、慰霊赦魂典(いれいしゃこんてん)を開いた。

 目を閉じ、胸の前に持ってきた右手の人差し指と中指を立てる。


「我、現世に彷徨える魂を冥界に手引きする者なり。現世に残した遺恨を我に委ね、救いを求めし霊魂に永遠の安らぎを与えん」


 本から溢れ出した眩い光が辺りを包み込み、白銀の世界が現れる。

 少年は、不思議そうに辺りを見回している。


「あの道をずっと先に進めば、お前はもう苦しい思いをしなくていい」


 大聖は、少年の背後に続く果てしない並木道を指さした。春の昼下がりのような、心地の良い風が透明な針葉樹を揺らがせている。

 少年の不安げな表情が消えた。


 現世の木々が、二酸化炭素を酸素に換えるように、冥土へと案内をする木々は、人々の恨みや憎しみ、怒りや悲しみを、安らぎや恩義へと変換する。


 平穏と静謐(せいひつ)(たた)えた空間が、本の中に吸い込まれ、元の埃っぽい子供部屋が視界に戻った。

 天井のライトが明滅し、今度は明かりが灯る。


 鉛のようになった体を支えることができなかった両足が脱力し、膝から床に崩れた。

 呼吸が乱れ、額に脂汗が滲む。


 堀田の背後では、黒野泉が心配そうな表情で大聖を見つめている。


「どうやら、この部屋に居た霊は陽君ではなかったようです」


 大聖が呼吸を整えながら言うと、黒野泉は残念そうに俯いたが、「そうですか」という声の調子には、安堵も含まれているように感じた。


「部屋を片付けてみてはいかがでしょうか」


 散乱した部屋を見回しながら堀田が言う。


「死者の思いが残る部屋を、生前の状態で残しておくというのは、魂を招き入れる行為なんです」


 黒野泉は目を伏せたまま、肩を落とした。


「……この部屋を掃除してしまうと、陽が生きていたということすら消えてしまうような気がしていたんです」


 確かに、埃っぽいということを除けば、陽が学校から帰宅し、ランドセルを放り投げてそのまま遊びに行き、そして今にも「ただいま」と帰ってきそうな気もする。


「陽君が亡くなって7年、黒野さん自身もそろそろ分かっていらっしゃるのでは?」


 黒野泉は俯いたまま答えなかった。家族が死んだという事実を受け入れがたいのは仕方のないことだと思う。霊能者である堀田と大聖には、その気持ちは痛いほど分かる。


 大聖は腕時計を確認した。時刻は午後7時になるところだった。ここに来てから、一時間近くも経っていたのか。


 黒野泉と堀田と共に一階に降り、リビングのダイニングテーブル側の椅子に腰かけると、大聖と堀田の前に湯気の立つティーカップが置かれた。


「ここに居ないとなると、陽は成仏したということでしょうか……」

「飽くまで可能性の話にはなってしまいますが、陽君が成仏している可能性は低いと思います。若くして亡くなった方ほどこの世に未練があるものですから」


 憔悴している大聖の代わりに堀田が話すと、黒野泉は「そうですか」とまた感情が複雑に絡まった難しい表情をした。


 玄関の扉が開く音がして、「ただいま」と透き通るような中世的な声が聞こえてくる。

 姿を現したのは「美青年」という言葉がぴったりと当てはまるような、20歳そこそこの青年だった。すらりと通った鼻筋は母親譲りで、恐らく、父親譲りであろうくっきりとした二重瞼に、茶色がかった瞳は息を呑むような美しさがあった。

 青年は大聖と堀田の姿を認めると、軽く会釈をした。


「ああ、月人、おかえりなさい」


 黒野泉が青年の元に歩み寄ると、青年は二人を再び一瞥して「どちらさま?」と彼女に訊ねた。


「ほら、前に話したじゃない。霊媒師の……」


 正しくは「冥送士」なのだが、下手に口を挟まず静観する。

 青年は「ああ」と頷き、二人の元に歩み寄った。


「初めまして。陽の兄の黒野月人です」


 綺麗に整列した白い歯を覗かせながら月人は微笑んだ。


「冥送士の大聖です」

「助手の堀田です」


 二人は同時に頭を下げて、名刺を渡した。


「冥送士? すみません、勉強不足で、霊媒師とは違うのですか?」

「いえ、知らないのは当然です。霊媒師や僧侶と違って歴史の浅い職業ですから」


 月人は繁々と名刺を見たあと、興味深そうに数回頷いた。


「ところで、陽の件はどうでしたか?」


 大聖は、喋ることすら億劫(おっくう)だったが、先ほどまでのことを月人に説明した。

 話を聞いた月人は、意外にも驚いた素振りを見せず、静かに頷いた。


「そうですか……陽の死から立ち直れていないのは、母だけではなく、父や僕も同じです。母なりに腹を決めて三上さんに依頼したのだと思います……とにかく、この家の問題の一つが解決したことには感謝しかありません。本当にありがとうございました」


 月人は深々と頭を下げた。


「この家に住み着いていた霊の正体は、陽君ではなかったわけですが、調査を続けてみましょうか?」


 堀田の提案に、月人は微笑んだまま首を横に振った。


「結構です。陽が帰るべき場所はここしかありません。ここに居ないのならば、陽は成仏したんだと思います」

「そうですか……分かりました。報酬金は後日請求させていただきますね。では、私たちはこれで」


 黒野宅を出て、カローラの助手席に乗り込んだ大聖は、ポケットからシガレットケースを取り出して煙草に火を点けた。ホワイトセージの煙草は決して美味い物ではなかったが、魔除けの効果があるという話を信じて吸っている。


「まったく、本を忘れて行くなんて、冥送士として失格ですよ」


 堀田がシートベルトを締めながら飽きられたように言った。


「すまん。助かったよ、堀田さん」


 堀田は車のエンジンを掛け、アクセルを踏んだ。

 自分には堀田さんのような優秀な助手が必要だと、大聖は改めて実感した。

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