ムスビ書房
6月9日
東京都千代田区、神田神保町
長年の歴史が刻み込まれた書店街を、美命と渚は一軒ずつ店名を確かめながら肩を並べて歩いていた。
ティーシャツにショートパンツ姿の、肌の露出が多い恰好の渚を視界に入れることがなんとなく罪深い気がして、美命はなるべく渚から目線を外して歩いた。
「ムスビ書房っていう所には何があるの?」
渚が美命に声を掛けても、美命は店を探すふりをして渚とは反対方向に首を向けていた。
「さあ、賽さんからはそこに行けとしか聞いてないから」
美命の答えに渚は「ふーん」とつまらなそうな相槌を打つ。
「あ、ここじゃない?」
渚が指さす方向を見ると、いつからそこに存在していたのか想像することもできないほど古びた書房があった。淡黄色の外壁には大きな亀裂が走り、屋上と二階部分を覆い隠すように蔦が伸びている。看板には擦れた字で「ムスビ書房」と書いてあることが辛うじて読み取れた。
「ここだ、入ろう」
入口の両脇には古本が堆く積まれており、厚いビニールシートが被せられている。両開きのガラス扉を押し開けると、埃と紙の匂いが鼻を突いた。
3メートルほどある棚にびっしりと古本が並んでいて、どれも経年劣化で赤茶けている。
「美術館みたいだね」
渚は店内をきょろきょろと見回しながら言った。二人以外に客らしい姿はなく、建物全体が眠りに就いているかのように静まり返っている。
「うちに何しに来たの?」
不意に美命の足元で高い声がして、驚いた美命が目線を下げると、そこには小学校低学年くらいの年齢と思われる黒い長髪の少女が美命を見上げていた。
少女はなぜか両目を固く瞑っていた。そして、少女に年輪は無い。
「こんにちは。君、この店の子?」
渚が膝を曲げて少女に目線を合わせながら言うと、少女もそれに合わせて渚に顔を向け、深く頷いた。
美命は少女の言動に違和感を覚えていた。本屋に来た客に「何しに来たの?」と質問するのは変だ。それに、この子も何か特異な能力を持っているのだろうか。そう思っていると、少女は再び美命に顔を向けて口を開いた。
「だって、本屋に来る人は本を探しに来るもん。あなたたちはそうじゃないでしょ?」
少女の発言に、美命は狼狽えた。一方の渚は不思議そうな表情をしている。
「……君、もしかして俺たちの考えていることが分かるの?」
少女は口角を上げて頷く。
「すごいね! じゃあさ、お姉さんが考えてること当ててみて!」
渚は無邪気にそう言って、何かを思い浮かべながら目を閉じた。少女と若い女が互いに目を瞑って向かい合っている奇妙な構図を美命が見下ろしていると、少女は口を開いた。
「……アイス食べたい」
「正解! すごいね!」
やはり渚は馬鹿だ。と美命は思ってから、しまった、と後悔した。
「この人がお姉ちゃんのこと馬鹿だって思ってる」
時が止まったような沈黙が訪れ、突き刺さるような渚の視線が美命に向けられた。
「ところで、この店は君一人ってわけじゃないよね?」
気まずさを誤魔化すために美命が沈黙を割って少女に声を掛ける。
「うん、二階におじちゃんがいるよ」
「分かった。俺たちはおじちゃんに会いに行くね」
二階に向かう美命に、不機嫌な表情のまま渚を付いて行く。
折り返し階段の脇に積み上げられた本の山を崩さないように慎重に二階に上がると、荘厳な雰囲気は一変し、壁に飾られた、着物を身に纏った物憂げな表情の女性が描かれた掛け軸や、ガラスケースに入った日本人形や、本棚に並べられたオカルトに関する大量の書物が不気味な雰囲気を醸し出していた。渚は怖がりながらも、好奇心で視線を巡らせていた。
店の一番奥に木製の机と椅子が置かれており、少女が言っていた「おじちゃん」がそこに座っていた。