占い師
6月5日 東京都新宿区、西口地下広場
酔歩する人々を見送りながら、棚崎美命は対面のスツールに誰かが座ることをひっそりと待っていた。机上の行灯が滲んだように淡く灯り、彼の顔を妖しく照らしている。
「仕事なんてやってられるか!」
会社の同僚と思われる二人の男に両脇を抱えられたサラリーマン風の男が叫んでいる。ああ、そうか。今日は金曜日か。
「お兄さん、本当に人の寿命が占えるの?」
顔を赤らめたスーツ姿の男が、噎せ返るような臭いを発しながら顔を近づけてきた。
「ええ、本当です。どうですか?」
男は挑発に乗った、というような表情でジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖を捲りながらスツールにどしんと腰かけた。
「早速で恐縮ですが、お客様のご年齢は?」
「なんだ、占い師ならそれくらい当ててみろよ」
面倒臭い客だな、と思ったが、客を選んでいるほど懐に余裕はない美命は、困ったような笑みを作った。
「占いは超能力ではないので」
男は勝ち誇ったようにほくそ笑み「三十五」とだけ言った。
美命は小さく頷いて、机上に山になって置かれたタロットカードを手に取り、混ぜた。リサイクルショップで偶然見つけて、それっぽいという理由で買ったが、重宝している。
左手に持った札の山から一番上のものを取り、机上に裏向きのまま置く。男はカードに釘付けになっている。しかし、美命が注視しているのはカードではなかった。
美命の眼には、男の後頭部の辺りで不規則に揺らめく同心円状の模様が見えていた。その円の数を数えていけば、男の残りの寿命が分かるのだ。焦らず、ゆっくりと数えていく。
「おい、早く開けよ」
男の声で集中が途切れ、円を数え損なってしまった。美命は溜め息を堪えながらカードを捲った。
「THE DEVIL」と表記された禍々しい悪魔の絵が描かれた不吉なものだったが、それには何の意味も持たない。しかし、美命は時間を稼ぐために目を閉じ、何かを感じ取っているかのように唸ってみせた。
薄目を開けると、男はいつの間にか前傾姿勢になっていた。男の喉仏が上下する。
どんな荒唐無稽な話でも、自分の命が関わる話となると誰しも少なからず信じてしまう。金運、恋愛運、仕事運、そういうものとは話の重みが違う。
──もしも自分の命が長くなかったとしたら。
そのような不安が一瞬でも過れば、美命の思う壺なのだ。
今度こそ、円を数えていく。何色もの絵具を混ぜ合わせたような不気味で、形容しがたい色のそれを、美命は「年輪」と呼んでいた。しかし、樹木の年輪とは違い、人間の持つ年輪は生まれたときが最も大きく、歳を重ねる毎に円の数は減っていき、最期を迎えるときには消滅する。
美命は、何かが降りてきたように突如目を見開いた。緊張と不安が混ざった滑稽な男の表情が鮮明に見える。
「……あなたの残りの寿命は、32年です。つまり、67歳であなたは生涯を終えるでしょう」
男と目が合ったまま、沈黙が流れた。数秒後に男が取るリアクションが美命に分かる。
男の肩が小刻みに揺れだし、喉の奥からクックッと音が鳴る。そして、緊張を誤魔化すように大きな笑い声を上げた。
ほら、やっぱり。占いによって残りの寿命を告げられた人間は、酷く落ち込むか、笑いだすか、どちらかなのだ。
「くだらない。こんなのインチキじゃないか!」
「インチキかどうかは証明の仕様がありませんし、そう思っていただいても構いませんが、自分の余生を今、このタイミングで知ることができたあなたはラッキーだと思いますよ。これからの人生をより良いものにできるかもしれませんからね」
そう言って、男に向かって掌を差し出す。
「お代、5000円です」
男の顔からすっと笑みが消え、拳が机上に叩きつけられた。大きな音がして、行灯が倒れる。
「こんな詐欺に金なんて払うわけがないだろ! お前みたいなガキに俺の寿命が分かってたまるか!」
男が勢いよく立ち上がった拍子に、スツールが音を立てて倒れた。男はそのまま、覚束ない足取りで駅の方面へと歩いて行った。
美命の深い溜め息が生温い夜風に乗って飛んでいく。酒気を帯びた人間を相手に商売をするほうが間違いなのだろうか。しかし、こんな胡散臭い占いを素面で受ける物好きはなかなかいない。
今日はもう帰るか、と美命は肩を落とした。
美命が取り留めもなく思考していると、倒れていたスツールを何者かが立て直した。
ミニスカートから覗いた不健康なほどに白い脚が視界に入り、目線を上げると、パーカーのフードを深々と被った若い女性と目が合った。
「あ、どうも」
美命は女性に会釈をして、机上を片付け始めた。しかし、彼女がその場から立ち去った様子はなく、相変わらず頭上から視線を感じる。
もう一度顔を上げると、やはり彼女はまだ美命を見下ろしていた。猫のように円らな瞳がフードの奥で嫌に光っているように見えた。
「……あの、何か?」
「面白そうな占いだね。私のことも占ってみてよ」
女性は美命の隣に立てられたスタンド看板をちらりと見た。「あなたの寿命、占います」
「今日はもう終わりなので……すみません」
しかし彼女は問答無用というように椅子に座った。渋々彼女のことを見ると、美命は違和感を覚えた。日常的に目にしている何かが、はっきりと違う。
「さっきの占い、インチキでしょ?」
唐突に投げかけられた歯に衣着せぬ言葉に、美命が口ごもると、彼女は「それ」と言って机上のタロットカードを指さした。
「本当はカードなんて必要ないんじゃない?」
「……どうしてそう思うんですか?」
「さっきの、見てたから。あなたは占いの最中、カードじゃなくておじさんの顔を見てたでしょ。まるでおじさんの顔に寿命が書いてあるみたいに」
返す言葉が無かった。占いのトリックを見抜かれたのは初めてのことだった。
「私の寿命も見えてるの?」
「ええ、まあ──」
彼女の年輪を見ようとしたとき、美命は違和感の正体に気付いた。