2.王太子ご一行はお怒りのようです
罪人を見る目でこちらを見下ろす、王太子フリッツ達ご一行。
彼らの様子に注意しつつ噴水から立ち上がり、まるでここが王の御前であるかのような、優雅な所作で地面へと足を下した。
………婚約破棄の衝撃と、その後の前世の記憶の混乱のせいで醜態を晒してしまっているのだ。
これ以上みっともない姿を見せることは、断固として避けるべきだった。
まずは水気を払うため、魔術を行使することにする。
「――――手に赤を。籠に熱を。まといし露を払いたまえ」
呪文を詠唱すると全身が温かな空気で包まれ、水気が蒸発していった。
………記憶を取り戻して初の魔術の行使に、少しだけ気分が高揚する。
前世の私は、魔術や魔法使いといった存在に憧れていたのだ。
今使ったのは、火を操る魔術の応用。それなりに高度な術式だ。
短縮詠唱でなんなく魔術を使いこなす私へと、周囲の生徒たちから感嘆の視線が向けられる。
無事魔術は成功したが、一つ気になることがある。
魔力の廻りが、いつもと比べ格段に良くなっている気がする。
前世の記憶を取り戻した影響だろうか?
…………後で詳しく検証することにしよう。
すっかりと乾ききった髪をてぐしで流し姿勢を正すと、制服のスカートがふわりと広がった。
体は乾き、身だしなみも整えた。これで仕切り直しだ。
背筋を伸ばし、フリッツ達と相対した。
「殿下、お聞かせください。私との婚約を破棄すると、本気でそう仰っているのですか?」
「もちろんだ。おまえのような悪辣な令嬢に、この国の妃の座はやれないからな」
フリッツが苦々しく吐き捨てた。
「私が悪だと、何をもって断定するのですか?」
「とぼけるのか? おまえのスミアへの仕打ち、忘れたとはいわせないぞ?」
「仕打ち? それはもしや、スミアが殿下へと近づきすぎたのを、注意した件でしょうか?」
冤罪も甚だしいいいがかりだ。
自分という婚約者がいるフリッツへと、スミアは幾度もちょっかいをかけていた。
ちょっとした会話くらいならばともかく、公衆の目の前で腕を組む、二人っきりで夜の食事をするなどは、貴族社会ではありえない非常識な振る舞いだった。
「私はこの国の貴族として、ごくまっとうな言動しかしておりません。スミアだって、殿下に私という婚約者がいると、知らなかったわけでは無いでしょう?」
「し、知っていました。でも、殿下にお近づきすることが非難されるなんて、それは私知らなくて……………」
顔を青くし、スミアがかたかたと震えだした。
眉を下げ瞳を潤ませるその姿は小動物のようで、弱々しくも目が離せない愛らしさがある。
「言い過ぎだレティーシア! スミアは平民に囲まれて育ったんだ! 貴族社会の常識を知らないのは当然だろう!?」
「育ちがどうであろうと、今のスミアは貴族の一員です。ならば貴族として礼儀を守るべきだと、私は幾度もスミアに指摘しています。無知だからで許される範囲は、とうに通り越しているはずですわ」
「いきなり貴族社会に連れ出されたスミアを、労わる気はないのか?」
「私は、スミアの選択を尊重したまでです。男爵令嬢を名乗りこの学院の門を叩いたのは、全てスミアの選択によるものでしょう?」
選択には責任がつきものだと、前世も今世も、私は教えられていた。
スミアの来歴が特殊なものであれ、それだけで全ての非礼が無かったことにはならないはずである。
スミアは男爵令嬢だが、正妻ではなく妾の子だ。
王都で平民に混じり母と暮らしていたところを、13の時に父へと引き取られたと聞いている。
貴族の中でも下位の男爵令嬢、しかも妾の子が、この国一の名門学院に入学できたのには理由がある。
「フリッツ殿下、レティーシア様は嫉妬しているんですよ」
フリッツの背後から、黒髪に眼鏡の男が前へと出た。
現宰相の三男であるイリウスだ。
「レティーシア様は今、得意げに魔術をひけらかしていましたが………所詮はありふれた火の魔術です」
…………ありふれていて悪かったな。
でも火の魔術、色々と応用がきいて便利よ?
体を乾かして暖をとったり、鍋を煮込んだり肉を炙ったりして燃料の節約に………。
…………いかんいかん。
前世の記憶が蘇ったせいか、どうにも思考が小市民的な方向に引っ張られているようだった。
今の私は公爵令嬢。
目の前には陰険に眼鏡を光らせたイリウスだ。
火の魔術って生活密着型でお得だなぁという感想は、とりあえず脳みその奥にしまっておくことにする。
陰険眼鏡がつらつらと、持論をぶちまけ続けているのだ。
「………対して、スミアはわが国でも片手の数ほどしかいない、光魔術の使い手です。しかもその魔力量も高く、我が国に伝わる『光の聖女』の再来と言われる程です。それ程の資質を持った彼女がこの学院の門を叩いたのは、国のために自らの才覚を捧げようとする、崇高な志だとは思いませんか?」
「志の清らかさと、その行為によって引き起こされた結果を、混同するべきでは無いと思いますわ」
「結果なら、十分に出しているでしょう? 公爵令嬢にあるまじき醜い心根をもったあなたのことを、炙りだしてくれたんです」
「醜い? スミアの側から諍いの種を持ち込んでおいて、ずいぶんな言い草だと思わないかしら? 私が彼女にした注意は、どれも真っ当なものだったと思いますわよ?」
「それは…………………」
押し黙る陰険眼鏡。
彼は一応、座学で優秀な成績を修めている秀才だ。
スミアの擁護に筋が通っていないと、内心理解しているようだった。
「おいおい、なんかぐだぐだと言葉を飾っているみたいだが、レティーシア、結局おまえは貴重な光魔術の使い手であり、殿下の愛を受けるスミアを妬んでいるだけだろう?」
割り込んできたのは赤い髪に筋肉質の青年、騎士団長の息子のダスティンだ。
「女の嫉妬は怖いって聞いてたが、どうやら本当だったみたいだな? 公爵家の身分を盾にスミアを虐めるなんて、卑怯者にも程があるじゃねーか」
スミアを庇うように、ダスティンが腕を広げた。
「ダスティン様、ありがとうございます………」
「こ、これぐらいお安いごようだっ!!」
顔を赤くし、スミアから顔を反らすダスティンに、レティーシアは内心ため息をついた。
―――――――――ダスティン、おまえもか………。
どこぞのカエサルさんの名言の出番である。
どうやら王太子のみならずダスティンもまた、スミアに惚れこんでいるようだった。
ダスティンは公爵家の令息だが、姉妹は無く男ばかり四人兄弟の三男だ。
騎士団長を務める父の職場に出入りし、幼い頃から剣の修行に打ち込んでいた武闘派。
結果出来上がったのは、剣術は優秀だが同年代の女性と接した経験が皆無の筋肉男子だった。
男子校でスポーツに青春を捧げた体育会系男子が、大学で正直ナイワーな性悪女子とくっついていたなぁと、私は遥か遠い日本での日々を思い出した。
「おい、レティーシア。何か言うことはないのか? ようやく観念したのか?」
「人を呼び捨てにし、礼儀を弁えない相手と話すつもりはありません」
筋肉男子と私は、どちらも公爵家の出身だ。
親しい間柄でもなかったし、呼び捨てにされるいわれはなかった。
「っ、このっ、揚げ足取りばかりしてっ!!」
「呼び捨てだけではありません。ダスティン様に噴水に突き落とされた件について、私は一度も謝罪を受けていませんわ」
「あれはレティーシア………様が、スミアに詰め寄ろうとしたからっ!!」
「拳を振り上げるでもなく、ただ近づいただけですわよ? それに対しあなたは、問答無用で私を突き飛ばしましたわよね?」
「あぁしなきゃ、スミアを守れなかったからだ!」
「あなたの筋肉は飾りですの? わざわざ突き飛ばさずとも、その太い腕で私の肩でも掴めば、制止には事足りるはずでしょう?」
「……………俺に謝れって言うのか⁉ 謝るべきはおまえの方だろう!? スミアを階段から突き落としておいて、よくもぬけぬけとしていられるなっ⁉」
………何だそれ?
怒鳴られたが、全く身に覚えの無い濡れ衣だ。
「………事実無根の冤罪です。何か証拠はあるのですか?」
「スミアが、おまえに背中を押されたって………!」
「それだけですか? その気になれば自作自演で、階段から落ちたふりくらい――――――――」
「もういい。口を閉じろ」
冷え切ったフリッツの声が、私の鼓膜を叩いた。
憎悪と蔑みに満ちた瞳に、胸の奥が鈍く痛む。
…………フリッツとの婚約は、私たちが十二歳の時、政治的事情により結ばれたものだった。
しかし始まりはどうであれ、生涯を共にする伴侶には違いない。
恋心は抱けずとも、人として寄り添えたらいいなと………そう思い、彼のいいところを見つけ好きになるよう、何年も努力していたのだ。
…………努力する、という時点で。
そもそも彼と私は、根本的に相性が良くなかったのかもしれないと、今ならそう考えることができた。
しかし時は遅く、すべて後の祭りである。
恋心になりそこねた思いは裏切られ、今やフリッツは私を、仇を見るような目で睨んでいるのだった。