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1.目覚めたら悪役令嬢



「レティーシア、おまえとの婚約は破棄させてもらうことにしよう」


 婚約破棄を告げる声。

 彼の―――――王太子フリッツの宣告を、『私』は呆然と聞いていた。


「冷たい…………」


 呟くと、私は身を震わせた。

 冷ややかなのは、婚約者のはずのフリッツのまなざしだけではない。

 目の前をポタポタと、前髪から水滴が滑り落ちていくのが見える。

 頭から水を被りびしょ濡れになった私は、急激に体温を奪われ震えていた。


「酷い。噴水に突き落とすなんて………………」

「はっ、何を言っているんだ? おまえが、スミアへと掴みかかろうとしたから悪いんだろう?」


 違う。

 そんなことはしていない。


 反論しようと視線を上げると、フリッツにしがみつく華奢な少女の姿が目に入る。


 やわらかな栗色の髪に、目じりの下がった若緑の瞳の持ち主だ。

 愛らしく整った顔立ちを強張らせ、震えながらフリッツへと身を寄せていた。


「見ろ。スミアはこんなにも怯えているんだぞ? かわいそうに思わないのか? 恥ずかしくないのか?」

「………………私には、恥ずべき点など何もありませんわ」

 

 誓って言える。

 私は何も、謝らねばならぬことはしていないはずだ。


 いきなり婚約破棄を告げられ、フリッツの傍らにはスミアが佇んでいたのだ。

 一体どういうことかと、事情を尋ねるために彼らへと近寄っただけ。

 なのにフリッツの取り巻きによって突き飛ばされ、噴水へと落とされてしまったのだ。 


「おまえは、まだ自分の罪が認められないなどと寝言を言うつもりか? 噴水の中で頭を冷やし、少しは目を覚ましたらどうだ?」

「……………………目を覚ます、ですか…………」


 ぽつりとつぶやきを落とす。


 ある意味、十分に目は覚めていた。

 覚醒したと言ってもいい。


 ――――――――婚約破棄を告げられ噴水へと突き落とされた衝撃によって『私』は、前世の『わたし』の記憶に目覚めたのだった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ジロー、一緒に散歩にいこっか?」


 赤い屋根の犬小屋を覗き込むと、柴犬のジローが身を起こした。

 犬小屋から出たジローはゆったりとした動作で前足を伸ばし、その次に後ろ足を伸ばしている。


 のびのび~っと全身をほぐすジローの姿にほっこりしつつ、ハーネスの金具に指をかける。

 ジローは心得たもので、ハーネスを装着しやすいよう、少し頭をあげこちらへ体を向けていた。


 白いものが目立つようになってきたジローの頭へ、ハーネスの輪を通してやる。

 人間と同じで、犬もまた老化によって、白い毛が増えることがあるらしい。

 わたしが高校生の時にわが家に来たジローは、今や立派なお爺さん犬だった。


「~~~~~♬」


 季節は春。

 気持ちいい散歩日和だった。


 小声で鼻歌を歌いつつ、実家の周りの田舎道を歩いていく。

 とっとっとっ、と。

 足腰が弱ってきたジローの歩みに気を配りつつ、わたしは実家の台所へと思いを馳せた。


 自家製のストロベリーアイスを、冷蔵庫で冷やしているところだ。

 ジローとの散歩を終え帰るころには、ちょうど食べごろになっているはずだった。

 ほんのり苺色に染まったアイスを思い浮かべると、自然と頬が緩むのがわかる。

 

 苺の粒を多めに残し、ふんわりと仕上げたアイスは、毎年春になると作っているお気に入りだ。 

 滑らかな冷たさで、甘酸っぱさが舌の上でとろけ、つぶつぶした果肉の食感が楽しかった。


 今では苺の季節の恒例行事になったアイス作りも、初めて作った時は、苺に含まれる水分量を読み間違え、失敗してしまったものだった。

 水分量が多すぎると、冷蔵庫の中で綺麗に氷の結晶が育たず、苺の味が鈍ってしまうのだ。

 何度かの失敗を経た私のストロベリーアイスは、家族にも気に入られる美味しいおやつへと成長していた。


「いっちごいちご♬ いっちいちご~~~♬」


 リズムをつけながら、即興の鼻歌を口ずさむ。

 下手くそな歌も、今日は大目に見て欲しい。


 新卒で勤め始めてからはや数年。

 入った会社はとても忙しく………いわゆるブラック会社だった。

 定時に帰れたのは数えられる程。

 休日出勤は当たり前で、決算前ともなれば殺人的な忙しさだった。


 今日は、久しぶりに丸一日休める日曜日だ。

 たまっていた家事を片付け、電車を小一時間ほど乗り継いで実家へと足を伸ばしていた。


 お父さんとお母さんの顔を見つつ、農家の叔母さんからもらった苺でアイスを作る。

 美味しいアイスを楽しみジローと戯れる、穏やかな休日になるはずだった。


「ジロー、待て」


 目の前の信号は赤だ。

 制止の合図に、ジローは素早く従った。

 子犬の時に家に来たジローに、待てやお座りを仕込んだのはわたしだ。

 

 柴犬というのは犬種の傾向として、賢いが我の強い性格だと聞いている。

 ジローもその例に漏れず、最初はなかなか、こちらの言うことを聞いてくれなかったものだった。


 特に、待ては覚え込ませるのが大変で、当時高校生だったわたしはすごく苦労したのを覚えている。

 3秒、5秒、10秒と少しづつ待ての時間を伸ばしていったが、三歩進んで二歩下がるの連続だった。

 だからこそ、家の外でもきちんと待てができるようになった時には、ジローに飼い主として認めてもらえたようで、嬉しかったものだった。


「ジロー、よし。行くよ」


 信号が青に変わった。

 白黒の横断歩道を渡り、半分程きたところで―――――――


「わんわんっ!!」

「えっ!?」


 轟音を立て、トラックがこちらへと突っ込んできた。


 横断歩道。

 青信号なのにどうして。

 危ない。

 よけなきゃ。

 ジローを守らなきゃ。

 叫びながらハーネスを引っ張って―――――――――――――


 衝撃。揺さぶられる視界。


 気づいた時には道路に横たわり、体の下に生ぬるい液体が広がっていくのがわかった。


 かすみゆく意識の中、こちらへ駆け寄るジローの姿が、『わたし』の最後の記憶だった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ジロー……………」


 思い出した『わたし』の記憶に、『私』の瞳から涙が一筋流れ落ちた。

 

 ジローに大きな怪我は無かったようだけど、大丈夫だったろうか?

 賢いジローだから、闇雲に走り回って車にひかれることはないと思いたかったけど………


「ジロー? 何だそれは? おまえまさか泣いているのか? 泣き落としのつもりなのか?」

「………噴水の水がかかっただけですわ」 


 今は泣いている場合ではない。


 涙の理由は、ジローへの思い。

 そして、婚約破棄に痛むこの胸のせいかもしれなかった。


 痛い。痛い。痛いけれど。


 零れ落ちそうな涙を、目じりに力を籠めこらえきる。

 フリッツ達の前で涙を見せるのは、私の17年間培ってきた矜持が許さないのだった。

  

 ――――――――――公爵令嬢レティーシア・グラムウェル。

 それが、この世界で私に与えられた身分と名前だった。


 今いる場所は王侯貴族の子らが通う、王立エルトリア学院。

 噴水の設けられた正面玄関を歩いていたところフリッツに呼び止められ、突然の婚約破棄を申し渡されたところだった。


 白昼堂々の修羅場に、周囲の生徒たちも何事かと静まり返っている。

 噴水に落とされた私を断罪するように、フリッツとその取り巻きたちが見下ろしていた。


 王太子であり、私の婚約者だったはずのフリッツ。

 そんな彼にすがりつく、男爵令嬢のスミア。

 王国宰相の三男であり、秀才と名高いイリウス。

 王立騎士団長の息子であり、剣術に優れるダスティン。


 ……………王国の次代を担うはずのそうそうたる顔ぶれが、敵意もあらわにこちらを睨みつけているのだった。





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