171.見事な飴と鞭です
窓の外に立つユリウスお兄様の姿に、私は反射的に動いていた。
「ぴよちゃんごめんねちょっと待ってて!」
「ぴっ⁉」
驚くぴよちゃんを引きはがし窓へ一直線。
急ぎつつもドレスは決して乱さず素早く身だしなみを整え、窓を開け礼をした。
「こんばんわユリウスお兄様、お会いできて嬉しいわ」
「あぁ、私も会えて嬉しいよ。だが七十点だ」
「ゔっ……。手厳しいですね」
ユリウスお兄様は私の礼儀作法の先生の一人だ。
時折抜き打ちで辛らつに、私の礼儀作法の出来栄えをチェックすることがあった。
ユリウスお兄様の採点基準はとても厳しい。
公爵家の人間たるものいかなる時も優雅に高貴に、隙なく完璧に振る舞うべし、がモットーな、スパルタ鬼教師なお兄様なのである。
ぶっちゃけトラウマになっている。
本日は七十点。
ここ数年はほぼ九十点以上を出せていたので低めだ。
減点分のうちニ十点ほどはおそらく、一瞬とはいえ私が驚き固まってしまったこと。残り十点分はなんなんだろう?
「気をつけろ。頭に大きな羽がついているぞ。鶏のとさかでも真似ているつもりか? 私に鶏の妹はいないはずなのだがな」
「あ……」
ぴよちゃんの羽だ。
軽く髪は整えたけど、頭のてっぺんは触れていなかった。
お小言が長くなりそうだと思っていると、ユリウスお兄様の手が頭へと伸びてくる。
「………」
無言で頭を撫でるユリウスお兄様。
久しぶりの再会のせいか、今日はちょっと長い気がする。
ユリウスお兄様は私と同じ紫の瞳をわずかに細め、やや癖のある金の髪を輝かしている。
あらためて見ると、やっぱりユリウスお兄様、すごく顔がいいなぁ。
性格は自分にも他人にも厳しく容赦ないけど、顔立ちは甘く華やかな美形だ。
家族やごく親しい相手以外の前では本性を見せず、優し気な微笑みを浮かべているため、理想の貴公子、優秀な次期公爵家当主として尊敬されていた。
公爵家の紋章が薔薇であることから、『薔薇の貴公子』なんて二つ名があるくらいだ。
きらきらしいあだ名だけど、名前負けしないのがお兄様の顔面のすごいところだ。
ややたれ気味の紫水晶の瞳で見つめられると、妹の私であっても、令嬢たちが騒ぐのが理解できた。
「……お兄様、そろそろいいでしょうか?」
撫でられつつ声をかけると、ユリウスお兄様がはっとした。
「あぁ、そうだな。羽はきちんととっておいたぞ」
「ふふ、ありがとうねお兄様」
お兄様の厳しさは愛情の裏返しだ。
末っ子の私のことも、昔から気にかけ可愛がってくれている。
だからこそ私も、スパルタ指導にめげず頑張っていた。
基本手厳しくビシバシと失敗を指摘してくるけど、きちんとできれば褒めて頭を撫でてくれた。
完璧な飴と鞭の組み合わせだ。
「お兄様もここバーゲル伯爵夫妻のもとに来てたのね。教えてくれたらよかったのに」
「あらかじめ教えては意味がないだろう。久しぶりに会う妹を驚かし喜ばせてやりたい、と告げたら、バーゲル伯爵も快く協力してくれたぞ」
当然と言うべきか、バーゲル伯爵も一枚噛んでいたようだ。
この部屋のベランダは庭へと降りることができるようになっている。
館の主人のバーゲル伯爵の協力があれば、ここまで来るのも簡単なはずだ。
「……でもお兄様は絶対、妹の抜き打ち試験のためだとは言ってないでしょう?」
「わざわざ告げるようなことでもないからな」
言いつつ長椅子へと、優雅な所作で腰かけるユリウスお兄様。
私も対面の長椅子に、いつも以上に動きを気にしつつ座った。
「お兄様がわざわざ足を運ばれたということは、バーゲル伯爵は重要な人物なのですね?」
「あぁ、近頃わが公爵家に近づいてきている。バーゲル伯爵家については当然知っているな?」
「はい。もちろんです。爵位こそ伯爵であるものの、現当主のギルタ様がやり手で―――――」
つらつらと、バーゲル伯爵家についての知識を述べていく。
これもお兄様の試験の一つだ。
貴族の名前と特長、領地のあらましや貴族同士の関係性なども、私はユリウスお兄様に教えられている。
この国を離れている間に私がど忘れしていないか、確認したいようだった。
「――――と言ったところでしょうか? 何か抜けている知識はありましたか?」
「おおよよ問題ない。レティは向こうでも、きちんと勉強をしているようだな?」
部屋の隅に控えるルシアンへと、ユリウスお兄様が視線で問いを投げた。
「もちろんでございます。レティーシア様はヴォルフヴァルト王国でも日々自己研鑽に勤められ、周囲より尊敬されておりました」
ルシアンありがとう。
離宮で頑張っていたのは料理の研究です、なんて言ったらお小言フルコースは間違いない。
貴族とはかくあるべき、と理想を胸に抱き、自ら実践しているのがユリウスお兄様だ。
クロードお兄様とは真逆の、真面目で誇り高い性格だった。
「そうか。上手くやれているようで重畳だ。今は祖国に帰ってきたとはいえ、グラムウェル公爵家の人間として恥ずかしくないよう、気を抜かないよう注意しておけ。……料理にのめり込むのはほどほどにしておくように」
「……はい」
あ、これバレてるわ。
釘を刺されてしまった。
お兄様は笑顔で威圧感を放っていて、顔が良いぶん怖さが増し増しだ。
「バーゲル伯爵について、何か気が付いたことはあるか?」
「気が付いた点、というとやはり、バーゲル伯爵はお体の具合が良くないのでしょうか?」
会食中は、にこやかに品よく振る舞っていたけれど。
なんとなく動きが精彩を欠いて見え、やけに頻繁に水を飲んでいた気がした。
「正解だ。どうも近頃、お体の調子がよろしくないようだと噂が流れている。最近になって我が公爵家に近寄ってきたのも、まだ体が動くうち我が公爵家と懇意にしておき、次期バーゲル伯爵家当主になる息子に繋いでいきたい、というのが理由の一つだろうな」
バーゲル伯爵は今年四十八歳。
この国では貴族でも寿命は六十そこそこなので、体の不調が出てくる頃合いなのかもしれない。
「バーゲル伯爵には、どのような症状を抱えられているのですか?」
「妙に疲れやすくなり、今のような肌寒い、普通ならば汗をかかない時期であっても喉が渇いてしまうそうだ。老化の一環かもしれないが、ここ数年同じような症状を訴える貴族がそれなりの数出てきている。ゆっくりと症状が進む病が密かに広がっている可能性もあると、頭の隅に入れておいた方がいい」
「ゆっくりと進行する喉が渇く病……」
それはもしかして。
前世でよく見かけた、あの病気なんじゃと思っていると。
「顔を合わせるのは初めてだな。おまえがレティーシアの兄だな?」
陛下が部屋に入ってきた。
特に驚いた様子もなく、ユリウスお兄様の来訪についてバーゲル伯爵に教えられているようだ。
「次期グラムウェル公爵家当主のユリウスと申し上げます。陛下のご高名につきましては、遠きこの地にまで届いております。お会いでき光栄に存じますことこの上ありません」
陛下にも全く億すことなく、上品かつ堂々とした笑みで告げるユリウスお兄様。
ついさっきまで私に向けていた表情とは全くの別物。さすがの切り替えの早さなのだった。