169.心はままならず
本日三話目です
厳しかった冬も終わりが見え、積雪もだいぶ減ってきた頃。
私達は予定通り、エルトリア王国に向け出発することになった。
陛下と私、即ち国王と王妃揃っての旅路だ。
随員も多く、王城の正門前には、十台以上の馬車が連なっていた。
旅程の最終確認を終え、陛下と共に馬車へと乗り込む。
旅の間私は、陛下と同じ馬車に乗り進む予定だ。
「行ってくるわ。あとのことはよろしくね」
窓から顔を出し、私は見送りの人たちへ手を振った。
「はっ。どうぞお気をつけていってらっしゃいませ」
私が不在の間の離宮の切り盛りは、使用人のトップであるボーガンさんに任せてあった。
ずらりと並ぶ、見送りにやってきてくれた人たち。
地面の上だけではなく、木々の上にも見送りは溢れていた。
「にゃみゃっ!」
もふもふぎゅうぎゅうと。
枝の上に、庭師猫たちが鈴なりになっている。
私やジルバートさんを見送りに来てくれたようだ。
笑顔で手を振ると、庭師猫達も競うように、お手手を振ってくれたのだった。
◇ ◇ ◇
「ふぅ。少し疲れましたね」
座席に身を沈め、私は軽く息をついた。
先ほどまで一時間以上、ずっと手を振っていたのだ。
馬車が出発した後も王都を出るまでは、ゆっくりと人間が歩く程度の速さで進んでいた。
自国の王が乗る豪華な馬車の見物は、王都の民たちにとっての娯楽の一つだ。
王家の威光を示す機会でもあり、パレードのようになっていた。
私も王都を進む間ずっと、道沿いの人たちに窓から手を振っていた。
力仕事でもある料理を楽しむため、それなりに体は鍛えていたけど、明日は筋肉痛になりそうだ。
腕をさすり揉み解してしていると、陛下の指が近くへ伸ばされてきた。
「陛下……?」
「少しじっとしていろ」
「あ……」
ひんやりと。
心地よい冷たさを感じた。
腕を囲むように、冷気の層が出来上がっているようだ。腕を動かしてもついてきて、冷たさを提供してくれていた。
「これは、陛下の先祖返りの力ですか?」
「そうだ。人間の姿でも、これくらいの冷気なら操れるからな。筋肉を酷使した時に冷やしておくと、後の痛みが和らぐものだ。冷たすぎたりはしないか?」
「ありがとうございます。ちょうどいい冷たさだと思います。この手の処置、慣れてらっしゃるんですか?」
「昔、剣術の稽古をした時などにな」
「なるほど」
頷き、私は陛下の腕を見た。
どちらかと言えば細身の陛下だけど、しっかりと筋肉はついているようだ。
私と同じように、王都を進む間ずっと腕を振っていたはずが、疲れた様子はないようだった。
長い指には、よく見ると剣だこらしきものがある。
政務で忙しい中で時間を作り、今でも鍛えられているようだ。
男性らしい骨ばった指を、なぜかじっと見つめてしまった。
「……どうしたのだ?」
「失礼いたしました」
どきりとし、さりげなく視線を引きはがした。
あまり凝視していては、気分を害してしまうかもしれない。
「私のお兄さまの一人も、剣だこがあったなと思っていたんです」
「おまえの二番目の兄、ベルナルトのことか? 高名な軍人で、大変優秀だと聞いている。今回の旅の中で機会があれば、一度話してみたいものだな」
「光栄なことです。ベルナルトお兄様もきっと、大変喜ばれると思いますわ」
微笑みつつも、内心私はヒヤリとしていた。
ベルナルトお兄様、優秀だけど癖が強いからなぁ……。
陛下に対しても、なにかやらかさないかと心配なところがある。
不安を誤魔化すように、私は話を変えることにした。
「王都を抜けましたし、そろそろぐー様の姿になられますか?」
エルトリア王国行きの準備のため、ここのところ陛下はとても多忙で、ぐー様の姿になる余裕もなかったようだ。
陛下はずっと人間の姿で過ごしていると、突然ぐー様の姿になってしまう危険がある。
今馬車の中にいるのは私と陛下、そして座席で丸くなっているいっちゃんだけだ。
人目を気にしなくていい、絶好の機会だった。
「あぁ、そうさせてもらおう」
陛下は頷くと、光と共にぐー様の姿へと変化していた。
ぐー様はふんふんと鼻を動かすと、青碧の瞳をこちらへと向けてきた。
「ぐぐっ!」
「……こっちに来られるんですか?」
「ぐっ!」
向かいの私の席へ、ぐー様が移動してきた。
王家所有の馬車は豪華で、内側も広く作られている。
座席も余裕で数人以上が座れるほど大きかった。
ぐー様は寝そべると、私の膝の上にのっしと頭をのせている。
「ふふ、枕にされてしまいましたね」
話しかけながら、しばらくご無沙汰していたぐー様の撫で心地を堪能していく。
陛下が人間の姿の時だと、少し緊張してしまうこともあるけど、ぐー様の姿なら大丈夫だ。
銀色の毛並みはどこまでも滑らかでもふもふで、窓からの光に輝いている。
車輪の音だけが響く静かな馬車の中。
膝の重みが心地よくて、もふもふが気持ち良くて。
私の瞼は、少しずつおりて行ったのだった。
◇ ◇ ◇
「……これはどういうことだ?」
馬車に揺られながら、グレンリードは呟いていた。
気が付くと、人間の姿で座席に座っていたのだ。
それだけならまだ良いが、すぐ横にはレティーシアがいて、肩には頬がのせられていた。
金のまつ毛は伏せられていて、静かな寝息があがっている。
無防備な寝顔をじっと見てしまいそうになり、グレンリードは強引に視線を引きはがした。
(なぜこうなった……?)
狼の姿に変じ、レティーシアに撫でられていたところまではしっかり記憶があった。
その後レティーシアが舟をこぎだし、頭がぐらぐらと揺れ前後していたのも覚えている。
揺れが大きくなっていったため、支えてやるべく頭に乗せてやったあたりで、記憶が途切れてしまっていた。
(私まで、寝落ちをしてしまったということか)
ここのところ多忙続きで、疲労感が蓄積していた。
狼の姿になり理性が弱くなったことで、眠気に抗えなくなったようだ。
眠っているうちに人の姿に戻り、そのまま今に至ったようである。
(……珍しいこともあるものだ)
睡眠中に狼から人に、あるいは人から狼へと変わること自体は、そこまで珍しいことではなかった。
理由はきっと、理性が眠っている状態であれば、変化を制御できなくて当たり前だからである。
しかしだからこそ、今のような事態は、まずありえないことだった。
(誰かの前で眠るなど、何年ぶりだろうな……)
うっかり人前で眠り、変化するところを見られてしまったら大事だ。
どれほど疲れていようと、変化のことを知っている腹心のメルヴィンの前であろうとも。
グレンリードはここ十年以上、誰かと共にいる時眠ったことは無いのだった。
「……レティーシアだから、か」
思わずつぶやき、すぐにグレンリードは口を噤んだ。
レティーシアを起こしたくなかったからだ。
(旅の準備で、こいつも忙しそうにしていたからな)
元気そうに見えても、疲れは降り積もっていたに違いない。
肩にかかる体は温かく、グレンリードより遥かに軽く華奢だった。
(…………困るな)
寝顔から目を背けることはできても、彼女から漂ってくる、甘い香りを無視することはできなかった。
初めは異質さを感じていた香りも、今はどこまでも甘く誘うよう感じられて。
気が付けば指が、金の髪を一房すくいあげていた。
指を滑り落ち金砂のように零れる髪から、ほんのりと紅い柔らかな頬へ。
頬を伝い輪郭を撫で、唇へと指を伸ばして、
「ジロー……」
冷や水をかけられたように、グレンリードは硬直していた。
(何をしているのだ、私は……)
意識のない人間、しかも女性の顔を撫でるなど、褒められたものではない行いだ。
相手が自らの王妃であるレティーシアであれ例外ではない。
政略によって結ばれた関係でしかなく、そして何より彼女には、他に思い人がいるからだ。
(ジロー、か……)
レティーシアがその名を呟くのを、グレンリードは狼の姿の時何度か聞いていた。
愛おしそうに、それでいて哀しそうに。
切なく呼ぶ声が、グレンリードには忘れられないでいた。
(レティーシアを王妃に迎えるにあたって、彼女の周辺については当然調べさせていたが……)
調査結果を見返してもジローという人間は欠片も見当たらず、それゆえにグレンリードは悟ってしまった。
公には知られていない愛しい相手。
即ち秘密の恋人、ないしは思い人に違いない。
あふれるほどに愛しくて、しかし祝福されない恋であるがゆえに哀しい声色で、つい相手の名前を呟いてしまっていたのだ。
レティーシアはかつて、王太子フリッツの婚約者だった。
別の男性に恋愛感情を抱いても公にすることはできないだろうし、実際に彼女の周りに、それらしい色恋沙汰の噂は見つかっていなかった。
グレンリードがジローという名を知ったのだって、ぐー様がただの狼であると思っていた頃のレティーシアが呟いていたからだ。
近くに人間がいるような場所で、レティーシアがジローの名を呼ぶことは無かったに違いない。
聡い彼女は徹底的に、周囲に恋心を隠し成功していたのだ。
ジローという名もおそらくは本名ではなく、万が一他人に呟きを聞かれても思い人が誰かバレないよう、あだ名か何かで呼んでいると考えると自然だ。
結ばれることはなく、報われないと知っていても、恋心は簡単に消えないものだと聞いている。
グレンリード本人も痛い程実感しており、レティーシアを責める気にはなれなかった。
(レティーシアの性格的に、婚約者の他に恋人を作るとも考えにくいからな。ただひっそりと恋心を抱き、思い続けていただけだ……)
故郷を遠く離れ、形だけとはいえ結婚した後でさえ。
いまだ大切に思っている男性がいることに、グレンリードは気づいてしまっていた。
冷たくも熱く、焦げ付くようなその感情。
嫉妬の炎がグレンリードの胸に燻り、時に燃え上がるようになっていた。
(ジローというあだ名の男性、レティーシアの心を射止めた者は、きっと私とはまるで違う人柄なのだろうな)
焼けつくような思いで、冷えきった頭で、グレンリードはそう考えていた。
レティーシアは何度か、獣人の騎士キースを見つめジローの名を呟いている。
おそらく、キースのどこかがジローに似ていて感情が刺激され、思いが呟きとなり零れ落ちたのだ。
キースは明るく闊達、感情豊かで賑やかな性格だった。
口数が少なく陽気とは言えず表情も硬いグレンリードとは、対極と言っていい人柄だ。
(私のような人間は、レティーシアが恋愛感情を抱く対象ではないと言うことだ……)
そう気が付いた時、燃え盛る嫉妬は身を切り裂くような、凍えた炎になり果てていた。
狼の聖獣の先祖返りであるグレンリードの鼻は特別だ。
人の心や精神、あるいは魂と呼ばれる存在が放つものを匂いのように感じ取ることができた。相
手がどのような感情を抱いているか、ある程度推察可能だった。
故にわかる。わかってしまっている。
レティーシアはグレンリードに好意をもっている。
しかしその好意は恋愛的なものではないのだと、嫌でも理解してしまっていた。
(これは本当にどうしようもないな……)
ある意味、嫌われていた方がまだマシだ、
嫌悪の原因が無知や誤解であれば、改善の末に好意へと変じる可能性が存在している。
しかしレティーシアはグレンリードに好意を抱いているし、共に食事を楽しむなど交流もしている。
その上で恋愛感情はないという、詰んでいるとしかいえない状態だ。
「……」
グレンリードに体を預け眠るレティーシア。
彼女が恋する相手はグレンリードではないのだと知っていてなお、レティーシアの放つ香りは異質で甘く、惹きつけられて仕方なかった。
今だって気を抜けば体に触れ、抱き寄せそうになってしまっている。
(心と言うのはままならないものだ……)
ため息をつくグレンリード。
自らの心が制御できず体が動いてしまうなら、他のもので抑えるしか無さそうだ。
感情を暴走させレティーシアに触れたりしないよう、グレンリードは努力することにしたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
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凪先生のイラストや書き下ろし番外編なども収録されているので
なろう版と合わせて楽しんでいただけましたら幸いです。




