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思い届かず


「シ、シンラさん! どうしてそんなにボロボロなのですか⁉︎」


 サマリが声を張り上げる。

 その声に反応できずに、シンラは目線を落とす。


 シンラは今まで身を隠していた。

 自体が落ち着くまでは身を隠そうと思っていたが、アクアに会いたいという思いに我慢が効かず飛び出してしまったのだ。


 サマリやコーガはシンラの姿に驚く。どうしてそんなにボロボロなのか? 誰にやられたのか? 色々な疑問がよぎるがアクアは違う。


 アクア・スカイラに関しては頭の中で筋道ができている。


 シンラは暴蘭の女王と水王に負け、あわやヒルコの存在が露見し。魔人族と悪魔にヒルコを奪われる可能性もあった。という筋道を導き出していた。


「シンラ」


 その声は氷のように冷たかった。


「あなた、負けましたね」


 その言葉にシンラの肩が跳ねる。おずおずと視線を迷わせ口を開くが言葉は出て来ない。怯えている子供である。

 サマリとコーガはアクアが発する怒りに物怖じする。

 五剣帝にとって敗北は避けなくてはならないものだ。だがそれほどに怒りを表すものなのだろうか? そしてそれほどまで怯えるものなのか?


 普通に捉えればそうだが、アクアとシンラにとっては違う。

 二人にはヒルコの存在がある。


 アクアの切り札。海国を破壊へと導くヒルコ、邪魔するものを薙ぎ払う存在のヒルコ。アクアにとっては我が子のような存在であるヒルコ。


 その存在が下手をすれば露見しかねない事態だったからだ。ヒルコの存在と共にアクアの計画も筒抜けになる。捉えている研究員が安易に口を割るのは想像できる。

 アクアの夢が壊される。夢を壊す原因を作ったことにシンラは怯える子供のようになっている。


「アクア、様、シ、シンラは」


「黙りなさい!」


 アクアが大きく声を荒げる。一の剣の激情をコーガとサマリは初めて目にする。


「あなたは、私の敵なのシンラ?」


「ち、違います! シンラはアクア様の味方です。他全員が敵です! シンラにはアクア様だけが——」


 シンラの言葉は止まる。


「アクア、さま」


 喉元にアクアの赤刀——明炎王刀の切っ先が当てられていた。


「私の味方ならば、どうしてこのような事態になったのです」


「も、申し訳ございません。アクア様。許してください」


 懇願を受けアクアはシンラに一歩近づき、声を抑える。


「貴様は敵だ。二度と私の前に姿をあらわすな。裏切り者」

 

 増悪を固めた怨嗟の言葉を聞き、シンラは子供のように泣きじゃくる。

 大声を上げて泣くシンラに一切の感情を見せずにアクアは離れる。


「あなたは重大なミスを犯しました。今後五剣帝を名乗るのは許されません。あなたを除名します。二度と私の前に姿を現さないでください」


「アクア様! いやっ! ごめんなさい! もう二度とミスはしません、許してください! お願い致します、私を——私を見捨てないで」


 シンラは心の底から叫びアクアに懇願する。

 だが歩みは止まる気配がない。泣きながら、よろけながらアクアの元に向かう。




ーーー




 シンラ・クォートにとって、アクアは何よりも大事な存在である。



 母親は色街で働くどこにでもいる娼婦である。父親は数ある客の中の一人。

 当然父親の顔は知らない。母親は幼いシンラを残し遊び呆けるような人物であった。


 シンラの側には常に孤独がいた。母親は酒を飲むと暴力を振るう悪癖があった。

 シンラの側には孤独と増悪が側にいた。


 自分の置かれている環境がおかしいと気付いたのは 十歳になった時だ。

 同じ年代の子は母親と父親から無償の愛情を与えられているのに対して、自分は一度も受けたことがない。


 母親に甘えてみると「気持ちが悪い!」と罵られ暴力をふるわれる。


 ——おかしい。シンラの中で孤独と増悪意外に、無償の愛を求める感情が芽生えた。


 それから何度か母親に甘えてみたが、その都度、悪態と暴力を振るわれた。ある日母親はニヤニヤと笑みを貼り付けたままシンラの前に立つ、母の近くには男が数名、同じようにニヤニヤと笑っていた。


 戸惑うシンラに母は言った。


 ——あんた、あたしに甘えないで男に甘えてごらんよ。金を稼いだら私にも甘えていいからね。


 そう言うと母は部屋を後にした、残ったのはシンラと数名の男。

 男たちは笑みを張り付かせたままシンラに手を伸ばす。



 シンラの心は孤独と増悪と母を求める気持ちと、男への嫌悪で満たされていく。


 ——シンラ。今日もしっかり稼ぐんだよ。


 あれから数日が過ぎた。精神が壊れたシンラへ母がそう告げた。


 ——なんだい壊れちまったのか? つかえないガキだね。


 ——自分の娘にそんなこと言うなんて、ひでぇ女だな。


 母親の後ろからいつものように数名の男が現れる。

 男たちは慣れた様子でシンラへと手を伸ばす。


 いつもの時間が始まる。シンラはそう思ったがこの日は違った。


 シンラへと手を伸ばす男の腰に短剣が下げられていた。

 それを見た時に、特に意識したわけでもなく、何の気なしに、手が伸び、短剣を掴み、腰から引き抜き、男の頭頂部に刺した。


 男は発狂し頭から噴水のように血を流す。


 また。おもむろに短剣の柄を握り、今度は引き抜く。すると男の発狂と血吹雪は一回り大きくなる。


 ——うるさい。


 男をよく見ると、あの日、母親が初めて男を連れてきたあの日。一番初めに自分に手を伸ばした男であった。


 まるで目の前の男が、あの日の自分と重なる。ただ叫ぶしかできない哀れな生き物。


 発狂する。男の口内に短剣をねじ込むと、血の固まりが喉からこぼれ、男は動かなくなる。


 ——死んだ。


 シンラはこれといった感情の起伏もなく、そう思った。

 絶命した男から視線を外すと、驚愕する母親と男達の顔。

 その時、シンラの中で憑き物が落ちる。孤独が、増悪が、母を求める気持ちが、男を嫌悪する感情が落ちる。

 

 ——なんだ。そうなのか。自分が孤独で辛いなら、孤独を共有すれば良い。自分が増悪で心を病むなら、増悪を分け与えれば良い。自分が母を求める気持ちを欲するのなら、その気持ちを形に表せば良い。自分が男に嫌悪するなら、嫌悪を突き返せば良い。


 シンラを見る大人は怯えている。それを見てにっこりと笑う。


 これからは孤独を従え増悪を愛で、母を求める気持ちを前に出し、男を嫌悪する気持ちを跪かせれば良い。

 シンラはそうして生きることを決意した。


 そしてその考えを覆したのがアクアである。

 アクアがシンラを初めて見たのは地獄絵図を現した状態であった。


 ——誰?


 シンラがアクアに向けて発した第一声である。

 アクアの後ろには憲兵がいる。


 ——貴方は私ね。


 それがアクアが初めてシンラに向けた言葉である。

 

 目の前に広がる異常な光景よりもアクアはシンラへの共感が前面に出た。

 後ろにいる憲兵達は、部屋に充満する悪臭に耐えかね嘔吐する者がいた、他には衝撃的な行為に気絶する者もいた。


 アクアが五剣帝になって最初の任務の時である。

 色街の一角からどうにも悪臭がするとの依頼を受け、アクアは憲兵数名を引き連れて調査に赴く。


 海沿いに面した掘建て小屋である。


 扉を開けると腐臭と悪臭、糞尿を混ぜた臭いであった。

 狭い家の中で男が数名死んでいた。やや白骨し、人肉に蛆が湧いている。中央で小さな女の子が女の腹を裂き、肉片を食していた。

 女の手足は切断されて、目は抉られ、歯は抜かれ、手足はボロ雑巾のようによれていた。

 数名の男も同じような状態であった。


 驚愕なのは女がまだ生きていたことだ。少女が女の腹に刃こぼれした血に塗れた短剣を刺し、肉片を切り取る度に女は——うぅ——と呻く、喉も潰されていた為叫びもできないのだろう。


 ——ねぇ、それ美味しい?


 ——おいしくない。けど食べるものがないからお母さんを食べてるの。


 ——そう。ますます私と似ているわ。どう私と一緒に来たらもっと美味しいものを食べさせてあげるわ。一緒に来ない。


 シンラは自分に差し伸ばされたアクアの手をじっと見つめた。

 この時、無償の愛をアクアの中に見出した。愛に飢えたその心に染み渡る温もり、この人の側にずっといたい。


 小さな手で伸ばされた手をギュッと掴む。もう二度と離さないでほしい。という願いを込めて。


 アクアはシンラを伴って外に出ると炎刀を引き抜き、掘建て小屋に斬撃をおくる、

 瞬時に炎が発生し供養代わりの乱暴な送り出しが行われた。


 ——凄い。シンラもやりたい!


 ——あら、貴方も刀を扱いたいの?


 その声に力一杯肯くシンラ。それを見て柔和な微笑みを返すアクア。


 ——では、刀の握り方から教えてあげます。


 無償の愛と共にシンラ・クォートという刀剣士が誕生した瞬間である。




―――




 シンラは蹌踉ながらアクアの元に向かう。

 無償の愛を与えてくれる存在に縋ろうとするがアクアは止まる気配はない。


 足がもつれ地面に転ぶ。


 ——アクア様! と大きな声で泣き叫び名前を呼ぶ。するとアクアは立ち止まった。

 そして振り返ったと同時にシンラの右目から熱。


 熱の次には痛みに変わる、触れるとヌチョリと嫌な感触は指先に伝ってくる。それは血である。アクアの右手には炎刀が握られており、その切っ先にはシンラの血が滴っていた。


「これまでの罪はその右目を持って許してあげます。これ以上近づくならば容赦無くその首を跳ねます。死にたく無いのなら今直ぐ立ち去れ!」


 シンラの残った左目からポロポロと涙が溢れる。


 アクアはそんなシンラに一瞥だけを送り、さっさと背を向け立ち去っていく。


 シンラは一人取り残された子供のように、ただただ動けなくなった。

 その様子を見ていたサマリはシンラの元に駆けつけ応急処置をする。コーガは迷った末にアクアの後ろについていく。だが何も語りかけられない。


 アクアの赤い瞳はより獰猛な紅に染まる。それは何かを決意するように赤々と燃えていた。


 様々な問題を抱えたまま海国に嵐が到来する。天候の悪化が、これからの波乱を体現しているかのようであった。


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