一の剣と天使の使徒
「かへっ——」
それが大量の魔物を率いていた魔人族の最後の言葉であった。
上下の歯が二度とつく事はない。上歯から先の頭部が宙に浮いている。下歯から先の体が倒れた数秒後に生首が地面に落ちる——と同時に燃え上がった。
切り口より火が生まれ、やがて炎になり、そして紅蓮になり魔人族の男を消し炭にした。
男を燃やした炎は、アクアの羽織りの淵部分にある赤色の模様によく似ていた。
消し炭にした後でも炎は地面に僅かに広がった後消えていく。
「お見事です。アクア様!」
神の一太刀に、五剣帝・五の剣。コーガ・モトブが感銘を送った。
血振りする刃は血よりも赤い、紅である。赤みがかった柄頭、鍔も炎の形のように見える。
「私の実力ではありませんよ、コーガ。明王の髄液と、炎王バルバトの血肉で固めたこの刀——明炎王刀——のお陰ですよ」
「いえ! 明炎王刀を使いこなすアクア様のお力もまた凄いです! さすがアクア様です」
明炎王刀、紅の刃の周囲は熱により空間が歪んでいる。使用者には相当な熱が襲っている筈だが、アクアは平素と変わらぬ態度である。
コーガの態度だけでも、アクアをどう思っているかが伝わる。口を開けば賞賛するコーガにアクアは少し困惑しつつ辺りを見渡す。
「とりあえず、魔物は全て片付いたのね」
「はい! 今は、他の場所に魔物が発生していないか、憲兵とサマリさんで周囲の確認に行っております」
「よろしい。終わり次第魔物の出どころを探るようにサマリに伝えてください。お願いしますね、コーガ」
「仰せのままに」
コーガは胸に手を当て、浅く頭を下げる。
アクアが明炎王刀を納刀すると、熱波が薄れ通常の空気に戻っていき、それが戦闘終了の合図となる。
半倒壊した研究所からは奇妙な叫び声は既に止まっていた。
魔物の集団は全て砂塵に変わり、ようやく平和が訪れる。
「さて、ご挨拶をさせてください。私の名はアクア・スカイラです。代表の方はどなたでしょうか?」
アクアが声を掛けたのは白服の集団。
現状五剣帝に加勢する形で、共に魔物の駆逐に協力していた者達、アクアにとってはこの集団は敵なのかどうかが非常に怪しい。
「今、代表の者はここにはおりません。僕が代理として任せられています」
「あら、随分と可愛らしいお嬢さんね」
「ぼ、僕はお嬢さんじゃない!」
白の集団から一人の人物がアクアの元に向かって歩き出す。
灰色の髪と瞳の小柄な少女の姿は、実に可愛らしいお嬢さんであるが、どうやらそれが本人には気に入らなかったよう。
強い反発が返ってきたでアクアは少々面をくらう。
サマリの元に駆けようとしたコーガは、その様子に難色を示し護衛の如くアクアの前に立つ。
「貴様、アクア様に向かって何たる言い草だ」
「え、す、っす、すいまっ——綾人君?」
コーガの物言いにたじろぐ少女——六堂飛鷹の前に、これでもかと睨みを利かせた空上綾人が現れる。
「あ! なんだテメェ、やんのか魚野郎」
コーガと綾人は近距離で睨み合う、徐々に距離が近づき両者のおでこはくっついている。
くっついた状態のままお互い右へ左へと首を動かす。
「あ、綾人君。僕は大丈夫だから、ここは抑えて、気遣ってくれたんだよね? ありがとう。凄く嬉しいよ」
「コーガ。魔物の駆逐の手助けをしてくれた方に、そのような態度が五剣帝としての態度ですか?」
飛鷹は綾人の腕を掴み声を掛け、アクアはコーガに強い口調で嗜める。
「すみません、アクア様」
主からの言葉を聞き後ろに戻るコーガ。そんなコーガに睨みを飛ばし続ける綾人も後へと移動する。
飛鷹の後方には白服の集団が揃っており、その先頭にいた猫婆と蛸爺に「コラッ」と叱られるが「だってよ〜」と反論している。
「ごめんなさい。お嬢さんだなんて失礼な呼び方だったわね。これからは一人の女性として相対させていただきますね」
「あ、いや! そうじゃなくて、ですね。僕は、その——な、なんでもないです。お気遣いありがとうございます」
歯切れが悪い飛鷹の言葉にアクアは少し困った顔をするが、直ぐに五剣帝・一の剣の顔つきに代わる。
「まず私から、お礼を言わせて下さい。魔物の駆逐をお手伝いいただきありがとうございました。海国の一代表として御礼を申し上げます」
慇懃に一礼するアクアに、飛鷹も慌てて「こちらこそ」と返し、頭を下げる。それを見つめるアクアの目は優しいが——スッと赤い瞳に険しさが宿る。
「助けていただいた方々に無礼を承知で伺いますが、あなた達は——」
——敵ですか? 味方ですか?
赤い瞳が紅に染まる。紅に捉えられた飛鷹は値踏みされたような感覚を覚える。
静寂が僅かに場を包むなか、一人また騒ぎ出す男——空上綾人——の気配を感じ猫婆と蛸爺が羽交い締めにし口元を塞ぐ。
天使の使徒は全員が飛鷹に注視する。
この場の代表者は飛鷹であり、マリアンヌの愛弟子たる飛鷹の意見は天使の使徒の意見でもあるからだ。
飛鷹は前の世界では感じた事のない高揚感に包まれる。
——凄い胸がドキドキする。高校生時代の僕では考えられないな——。
素行の悪い輩から標的にされがちだった飛鷹の胸中は目まぐるしく変化する。
スッと後ろに視線をやる、そこには蛸爺に羽交い締めにされ、猫婆に口を塞がれている空上綾人がいる。その目は血走っており——やってやれ! と言っているように飛鷹には見えたので少し笑った。
変わらない。助けられたあの日。初めて自分に手を差し伸べたのが彼である。小学、中学と誰もが見て見ぬふりをしていた。そんな折に初めて助けてくれたのが綾人だ。
——彼のようになりたい、強く、格好良い。自分に自信がもてる男に——今は、女だけど。
飛鷹はちぐはぐな自分自身が面白くなり、また笑う。
「大丈夫だよ。綾人君」
その言葉には強い意志が込められていた。それを見た綾人は一人納得し暴れるのを止ねた。
「僕たちは敵ではありません」
飛鷹はしっかりとアクアの紅の瞳を見据る。獰猛な紅色はその真意を問う。
「僕たちはこの海国を救いに来ました。この国は悪魔に支配されようとしています。我々は天使の使徒と申します」
——アクアにとってはつい先日もどこかで聞いたような内容であった。
そこからは飛鷹が淡々と説明を開始する。この場に魔物が現れたのは悪魔の仕業であり、その悪魔の手先となっているのが魔人族の男である。そして悪魔が海国を滅ぼそうとしている、という内容であった。
アクアの中で頭の片隅にあった記憶の欠片と結合した時に——ほう——と返答ではなく。息を吐く音だけが飛鷹の耳に届いた。
——ほう。という、ため息に似たその声はどういう意味合いなのか。
真意を確かめようとするが、先に言葉を告げたのはアクアである。
「なるほど。つまりは先ほどいた魔物は悪魔の手下であり、奴らはこの色街を根城にし、若い男の精を集めているというのですね。そして貴方達、天使の使徒は天使の命令を受け、この海国から悪魔を消し去ろうとしている——」
「はい。大まかな説明となり申し訳ございません。ここ数日で、色街から若者が失踪する数が増えておりませんか? それは色街で働く女性との駆け落ちではなく、悪魔の仕業なんです。若者が消えた数は五十人を超えている筈です」
飛鷹の言葉を聞いたアクアは後ろを振り向く。
コーガと憲兵はその数が正しい数であることをアクアに告げる。これは治安を守る憲兵しか知り得ない情報であった筈なのにと、コーガは眉根を寄せた。
「どうして若者が減った数が分かるのか、ですよね? それは天使様が我らにお告げがあった。という理由しか言えないのです。信じてください」
天使の使徒達は頷き、自分等の行いが正しいという意思を伝える。
少しの間が空いた時に、飛鷹はアクアの後方にある大きな建物を見据える。魔物達が狙った場所であり、奇妙な悲鳴が聞こえた場所でもある。
「それと一つ質問があります。先ほど戦闘前に聞こえた奇妙な悲鳴ですが——え! ひぇ⁉︎」
アクアは足を前に出し、飛鷹との距離を詰める。二人はかなりの近距離となった。
黒い軍服を押し出す程のアクアの胸と、飛鷹の小ぶりな胸がくっついている。急に迫られ顔を赤くする。目の前には美しいアクアの顔。
「話は分かりました」
慌てる飛鷹を落ち着けるような柔らかな音色であった。
「是非、協力をお願い致します」
「え、あ、あの、あ、ありがとうございます!」
飛鷹は感謝の意味で頭を下げたかったが、近距離であるためにそれはできない。慌てる様子をひとしきり見たアクアは微笑み体を離す。
アクアは丁寧に頭を下げ「失礼致しました」と言葉を続ける。
「ごめんなさい。あなたがあまりにも可愛らしかったのでつい近くで顔を見たくなってしまったの」
「い、いえ! そんなこちらこそ! ありがとうございま、す?」と慌てながらも飛鷹も頭を下げる。
——あれ? 僕さっき何を言おうとしたんだっけ?
何かを問いただそうとしたまでは覚えていたが、それが何だったのか? 記憶を手繰り寄せる前に早々に次の展開に話が進む。
「それでは。一度話お互いの情報共有の為、話し合いを行えればと思います。今すぐは——街の復旧や、巡回があるので難しいので、明日でいかがですか?」
「はい! ありがとうございます! 是非話し合いを行いましょう。でも、信じいただけるんですか? 急に悪魔が海国を滅ぼそうとしているなんて、自分で言うのも変ですが、荒唐無稽のような話なのに——」
「信じますよ。何故ならあなた達は身を挺して魔物から街を守ってくれたじゃありませんか。その行為だけで十分に信用にたる行為です」
「ありがとうございます!」
飛鷹の歓喜の返答である。
そして後ろで待機している天使の使徒の面々も「おぉ」と歓声を上げている。皆口々に「さすが海国の至宝、一の剣だ」「お美しい方は考えまで清廉だ」といった賞賛が送られる。
確かに何も知らぬ第三者が聞けば、荒唐無稽な話である。
現にマリアンヌから話を聞いたブットルの反応が普通の反応である。
急に悪魔がこの世界を狙い、天使の使徒と名乗る集団がそれを救うなど、よくある三流の伝記そのものだ。
そんな話を、共に闘ったという理由で信じるのは少し無理がある。
だが、アクアは違う、真摯に飛鷹の話に耳を傾け、実直に対応する姿に虚偽は見受けられない。
天使の使徒たる者達は、五剣帝と共に戦える事を喜び、大いに盛り上がる。
「どうした綾人よ?」
周囲が騒ぐ中、一人浮かない顔をする空上綾人に蛸爺が不思議な顔で問いかける。
「いや、何かあの女を、見てると——」
「なんじゃ、あまりの美しさに面食らったか」
綾人の言う——あの女——とは1の剣アクア・スカイらである。蛸爺は若さゆえにアクアの美貌に当てられたのかと豪快に笑う。
「——いや、右目が熱いんだよ」
その声は誰にも届くことはなかった。




