皇
大きな赤子が盛大に泣く。
きちがいな声量にブットルはたまらず耳を塞ぐと違和感に気付く。
交戦しているティターニとシンラは赤子の叫びがまるで聞こえていないように平然としていた。聴覚が機能を放棄する程の泣き声にも関わらず、おかしいと水王は視線を転じる。
そこには研究員が戦闘に巻き込まれないよう離れた場所で固まっていた。
そして研究員全員もやはり平然としている、おかしい。まるで自分以外に赤子の泣き声が聞こえていないかのようだ。
「————」
赤子は叫びながらブットルに向かっていく。赤子らしく四つん這いでハイハイをしながらだ。
移動の度に地面軋ませ、軽い地響きが起こる様が赤子の質量を物語っている。
ブットルは水魔法を生成。瞬時に水の剣が数本出現。
指先で標的を指すと剣は赤子目掛けて飛んでいく。
「やはりダメか」
結果は水の剣は赤子の体内に侵入するが、そのままズルズルと引き込まれ、小さな赤子達が群がり舐めたり、触るなどで遊んでいると数秒で血に変わり消えていく。
水の剣という玩具がなくなった事により、群がる赤子たちの泣き声は一層強くなり、ブットルはたまらず膝をつく。
ポタリと地面に落ちるのは己の血。目、鼻、耳から血を流している自分に気付く。
「呪いではない。じゃあ一体何なんだ⁉︎」
吐血しながらも自問自答をするが回答など無い。
見上げると赤子の大きな手がブットル目掛けて振り下ろされた。
ーーー
——不味いわね。
ティターニは交戦中にその結論に至る。
短剣の猛攻を防がれ、返す刀で反撃される度に首や体を捻り、時には後退しながら躱していく。
現状は膠着状態である。自身の腕に覚えのある同士の戦いでは安易に勝敗が決まらないのが常であるが——エルフは一旦下がり首元から流れる一雫の鮮血を指先で拭う。
相性が悪いとティターニは感じている。
本気になった二の剣はやはり強い。
刀を構え、刃のように鋭利な集中力で一手一手を繰り広げる。
外傷は一切な無い。
一方のティターニは美姫を隠す兎面はボロボロであり、身に纏う簡易の鎧も幾分か破損している。
見ると状況は不利なのは確実である。
これは一対一に特化した者と、一対多に特化している者の違いが出ている。
ティターニの場合、ほとんどの戦闘は一対多である事が多い。
先の亜人帝国での、兎族キャロとの激戦も一対多であった。勿論一対一の戦闘も大いにある。
実際に魔人族の二名。ティターニ曰くおっぱいお化けと、こす辛い先方を使う者などは一対一である。
だが冒険者という仕事柄、どうにも複数の敵と対峙する場面が多くなってしまう。
一方のシンラは言うまでもない。真剣勝負は常に一対一である。
ほんの些細な違いである。足運び、武器を振るう角度、視線、それらの蓄積が現状へと繋がっている。
戦闘スタイルの差が明確に表れてた結果である。
「シンラは貴様の実力を認めます。ふざけた面の強者よ。死んだ後にゆっくりとその顔を拝んでやる」
「あら、心外だわ。もう勝った気でいるなんて。勝負はまだこれから—— 」
[——いえ、もう勝負はついています。お前ではシンラに勝てない。短剣の技術は褒められるが特化に欠ける。今まで魔法とスキルで応用していたのだろうが、シンラにそれは通じない。シンラの先読みの前では全てが無意味だ]
スキル:先読み
一〜二秒先のお相手の行動を読む事ができる。
冷静な判断力と何度も乗り越えた死戦で発動可能な能力である。
先読みでティターニの動きは読まれている。
現に短剣の猛攻だけではなく、弓矢や魔法で攻撃をしても避けられていた。大技のスキルを繰り出す前に距離を詰められ、迫る刀によってスキルを発動できない状態となっている。
——不味いわね。
ティターニは再度そう呟いた。
ーーー
——おぎゃあ、おぎゃあ! と母性を求めるような泣き声と母を求めるような手がブットルに振り下ろされる。
目から溢れる血を拭い、真上から振り下ろされる重圧を回避しようとするが、吐血し膝を吐く。と同時に赤い大きな手がブットルを押しつぶす。
——おぎゃあ、おぎゃあ! 赤子は再度泣く、両手をバタつかせ駄々を捏ねるように何度も地面を叩く。叩かれている場所には勿論ブットルがいる。
赤子の手の平はブットルよりも大きい。質量を考えるとかなりのダメージといってよい。泣く赤子の叫びに体の自由は奪われ、重い一撃が何度も水王に叩きつけられる。
ブットルの体は曲がってはならぬ方向に曲がり、ありとあらゆる箇所から血を流しながらも何とか息をしている。瀕死の状態であったが赤子の攻撃は止まない。
しかし赤子は玩具が壊れないことに首を捻る。何度痛めつけても壊れないのが不思議なようで、赤子は苛立ち攻撃の手を強めていく。
「やれやれ。色んな仕事をしてきたが、赤子をあやした事はないな」
無傷のブットルが赤子と叩きのめされている自分自身を見る。
水魔法中級:水分身人形
赤子が一心不乱に攻撃しているのはブットルが水魔法で作り上げた水人形である。
叩いても叩いても死なず、手足も手切れないのは全てが水という物質であるからだ。
ブットルは鼻の穴から流れる血を指先で救う。
少なからず赤子の叫びをくらった余波が表れるてい。
ため息をつくと哀れな者を見る目が赤子を捉える。
「呪いでもないなのは、確かだな——」
この世界での呪いは、人体に影響を及ぼすものである。
先の亜人戦争での、ティッパの奴隷紋や野々花凛の身体中に与えられた傷がそうである。
この赤子には実態が無い。複数の赤子が集合し結合し一つ実態になる種族など存在しない。
ブットルは一つの推測をする。おそらくこの赤子は——。
「可哀想にな、お前らも俺と同じで、親の顔を知らないんだな」
水人形を攻撃し続ける赤子に近づく。
「俺は師匠に愛情を注いでもらったが、お前らにはそういう人がいなかったのか」
ブットルの歩みは続く。歩きながらも足元には水色の魔法陣が現れる。赤子は泣き叫びながら攻撃を続ける。
「産まれたかったのか? そうだよな。あの白い刀が、お前らを呼び寄せ、血を与え、苦しみから解放しないのか? それともお前らの意思でこの地に残り母を探しているのか?」
ブットルは皇から生まれた、血で作られた赤子の正体をおおよそで推測しそれを述べる。
この色街では、極めてよくある話である。
客との間にできた新たな生命は、仕事の邪魔との理由で流される。赤い赤子は、流された者達の集合体である。
「最大限で送り出すから、来世は上手くやれよ」
ブットルの無尽蔵の魔力が大幅に削られていく。
足元にある魔法陣は一つに留まらず、一つ、一つと増えていく。重なり合うアラベスク模様は淡い光が発生すると、天まで届く。雲が割れ、空の一部が乳白色に包まれると、水で形作られた女性が天より降りてくる。
水魔法極級:水女神抱擁
ブットルの完全オリジナルの極級魔法である。
水竜を形作り、全てを飲み込む攻撃性を誇る、狂水竜の顎とは正反対の魔法である。
天より舞い降りた水魔法たる女性は天女の衣を翻しながら、ブットルの近くに降り立つ。
水神ハクバリウのように美しく気高い品格が伺える。水女たる者は後ろからブットルに優しく抱きつき、両腕を回す。水女の指先がブットルの鼻先に触れると、流れていた鼻血が止まる。
「すまない。あの赤子を連れて行ってやってくれ」
頷く水女は、名残惜しそうにブットルから離れると泣き続ける赤子へと向かっていく。
その横顔は、水王の幼なじみの女性によく似ていた。
水女は宙を泳ぐように移動し赤子の正面に回る。唐突に現れた物体に赤子はさらに泣き叫ぶ。
全てを包むように正面から赤子を抱きしめると、やがて泣き声は止み、穏やかになっていく。
空がもう一度乳白色に光ると水女と赤子は地面からゆっくりと離れ、宙に浮く。
二人を照らすように空からは白光が降り注ぐと、水女と血の赤子は光に誘われるように空へと昇りやがて消えていく。
後にはただただ静寂な時間が流れた。
「来世では良い形で会おう」
ブットルの言葉は空に向けられた。
水女神抱擁という魔法を一言で表すと浄化の魔法である。
死してなおこの世に魂を彷徨わせる者を極楽へと導く、空から現れた水女は極楽への案内人であり。慈愛の導かれた赤子は極楽へと導かれる。
傭兵時代に多くの戦争で、多くの死人を目の当たりした男が編み出した優しさの極級魔法といえる。
「貴様! 皇をどうした!」
ブットルの背にシンラの声が当てられた。水王は明確な怒りを全身から発する。
「赤子を使って、血を吸わせるなんて、随分とふざけているな。その刀はへし折らせてもらう」
振り向いたブットルは、飛び込んできた惨状に顔を顰めた。
運営さんからの警告を受けて部分を改稿しました。
これで、大丈夫だと思うけど……。
もしダメならその時はその時でぃ!




