嘘
海国の先々を決める会議には、貴族数名、華族数名、各地区を纏める代表者が集まり会議をしている。
舞踏会でもできそうな広い部屋の中央には大きな丸机。それを囲むようにそれぞれの代表者が座る。
会議の中には五剣帝・一の剣。アクア・スカイラも参席していた。
五剣帝は国力といって良い為、当然といえる。
「え〜では、今年は憲兵の募集を取り止める。という方針でよろしいですか?」
「異議なし」
進行役の男が決定した事実を伝えると、怠慢な態度で椅子に座るそれぞれが答えていく。その中で——。
「異議ありです」
真っ向から反論する声。会議場にいる唯一の女性。アクア・スカイラの声であった。
「憲兵を募集をしない動機があまりにも曖昧です。予算は潤沢な筈ですが? 先の亜人帝国の反乱が海国で起こる可能性も十分にあり得ると思いますが?」
アクアの鋭い声に煩わしさを見せる会議場の面々。
「そうなってからでは遅いです。今から憲兵を集め、そういった自体に備える事が大事かと——」
「ははっ! いや、さすが国力を担う者たる、責任あるお言葉だ」
アクアの言葉を止めたのは貴族の男。魚人の男は仕立ての良いスーツの襟元を正し言葉を続けた。
「アクアさんの言葉は尤もです。亜人帝国内で反乱が起きるなど、本来起きるべきでは無いが、実際に起きてしまった。海国もそうなる可能性は十分にある」
だが——と男は続け、粘っこい視線をアクアに送る。
「反乱が起きたとて、たかが知れてますよ。亜人帝国の産業は軍事力ですからね。力が金になるからこそ、反乱が脅威となった。個々の力がものをいう、あの国らしい顛末でした」
「何が言いたいのですか?」
「嫌だなアクアさん。聡明なあなたなら、もう気付いているでしょう。この国の産業は色ですよ。海産物なんて色の収益に比べれば微々たるものです。そうですよね?」
アクアは反論できない。実際にその通りだからだ。
その姿を見て、貴族の男はこれ見よがしに横柄な態度をとりながらアクアに近づいていく。
「つまりは、反乱が起こっても色狂いの奴らしかいないのなら、今の戦力で十分に対応できる訳ですよ。だからこれ以上憲兵を増やす必要がない。そもそも五剣帝がいれば例え反乱が起きても直ぐに制圧できるでしょう?」
「ですが、もし国外から敵が攻め込めば——」
「いやいやいや、それは無いでしょ! この国が、海国ができて以来攻め込まれた事がありますか? ないでしょうに。仮に攻め込まれても貴方達、五剣帝が頑張ればいいだけの話しですよ」
貴族の言葉に周囲の男達も「そうだそうだ」と声を荒げ出す。
その状況を見てアクアは溜息を吐き出し、これ以上は無意味と感じ瞑目する。
その様子を見た貴族の男は満足したように肯き、アクアを全身を舐めるような視線で見つめだす。
「アクアさんの言いた事もわかりますが、この国には女を金で抱きたい男と、金で売られる女しか集まらない国です。それが海国です。だから武力なんて本当は必要ないんですよ。それはあなたがよく知っていますよね? アクアさん」
貴族の男の手がアクアの肩に触れる。
「僕は昔の、男に媚びを売る、あの時のアクアさんの方が好きだなぁ」
男はそっとアクアの耳元でそう告げた。男の目はアクアを同じ立場というよりは、性の対象、否、性の玩具として見ていた。
「そうですな。あの時の、きみがまだ店で努めていた時のように儂に甘えてくれれば、憲兵募集を検討してみよう。どうする?」
貴族の男ではない、別の男の下品な声であった。欲望を包み隠さずにアクアにぶつけると、次々に男達の声が上がる。
「ズルイですよ! アクア君。私に相談したまえ。悪い様にはしないさ。ただ君も大人になったからね、昔のように泣いて喚いても私の趣味に付き合ってもらうがね」
「はははっ。皆さん。あんまりですよ。彼女はもう商売女ではないんですから程々にしないと、どれ今日の予定は空いているかいアクア君? 今夜は当時を思い出して皆で楽しむなんてのはどうだい?」
「それは良い。また昔みたいに可愛がってあげるよ。今より昔の、男を相手にしていた時の方が可愛げがあるというもんだ」
この会議場ではアクアは物としてしか見られていない。赤い瞳は閉じられ、会議が終わるまで開くことはなかった。
——このくだらない時間も直に終わると思うと心地が良いな。貴様らのおかげで私は生きていける。ありがとうと感謝の言葉を送りたいくらいだよ。どう殺してやろうか。
そう考えているアクアの思考は、会議場の男達には永遠に悟られる事はないだろう。
―――
海国は今日もいつもの日常を予感させていた。
高齢者が一人もいないのに、誰も気にも止めずに日々を過ごす日常。
いつものように、海産物や行商人の声、人々の声が雑多に混ざり合い喧騒を起こしていた。
「随分と酷い顔ね。ブットル」
「そういうティターニも、いつもの華やかさがないな」
「あなたって、以外とアレなのね」
「アレとは?」
ティターニの目がすっと細められる。
「いえ、何でもないわ。今度綾人に女の口説き方でも教えてあげたら」
「ん? 女を口説くのが得意なつもりはないけどな。まぁ、戻ってきた時にでも伝えるさ」
ティターニとブットルは今日も五剣帝の二名サマリ、コーガと共に巡回となっている。
この不毛な日々に嫌気が差している両名だが、従わなければ、街を破壊した犯罪者として捕まってしまうので仕方がない。
「ねぇ。ブットル?」
「どうした?」
待ち合わせ場所に赴く途中でティターニは足を止める。
いつもの日々ではあるが、昨日は大きな変化があったが、二人とも何があったかを明確には伝えていない。
ブットルは海国に潜む悪魔の存在を伝え。
ティターニは魔人族の存在のみを伝えている。
互いに大事な部分。ブットルでいえば天使の存在。
ティターニでいえばベルゼからの言葉を伝えていない。
それはどこか後ろめたさ故の黙秘なのか、それとも別の理由なのかは当人以外は分からない。
ただ一つはっきりしているのは、二人ともが悪意が無い。要らぬ心配事をかけぬよう気を配った故の沈黙である。
ここで、そういった機微に敏感な男。空上綾人がいれば多少なりとも進展があったかもしれないが、あの男は現在も行方不明となっている。
ティターニはブットルに昨日何があったかを問おうとしたが、それが発せられずに終わる。人に事情を聞いて自分が言わないのは公平に欠けると思ったからだ。
それはブットルも同じであり、互いに真面目が故にその結果に至り、どうにも気まずい沈黙のまま目的地まで歩き、いつもの二人、サマリとコーガと合流した後、本日の巡回は行われた。
小一時間経った後、ティターニは足を止め、五剣帝の二人の名を呼ぶ。
「憲兵は同行しないのかしら?」
「はい。本日は私達のみで巡回となります」
「いらん事を言わんでくださいよ。サマリさん。エルフもさっさと歩け」
ティターニとブットルはお互いの意思を合わせるように目配せする。
二人のやり取りはここ数日でかなりの練度となっている。おそらく互いが何を求め行動しようかの意図を理解している。
——二人は確実に動くなら今だと考える。
「あぁ、だからか。さっきアクアにすれ違ったわよ。その際に伝言を頼まれたのを今思い出したわ」
ティターニは唐突にそう切り出した。宿から行動を共にするブットルは、これが明らかな嘘だと知っている為、難色を示す。
「え? そうなのですか?」
「えぇ」
サマリが反応しティターニが返答する。
「アクアが今日の巡回は一名のみで、もう一名は同行してほしいと言っていたわ。人手が足りないからとか何とか」
「アクア様がですか?」
「えぇ。私は伝言を頼まれただけだから、確かに伝えたわよ。急いでいたみたいだから内容は聞けなかったけれどね。もしアクアの元に向かうなら早く行った方が良いと思うけれど」
サマリの質問に答えたティターニはそれ以降黙ってしまう。
ブットルは下手に関わらない方が良いと判断し明後日の方向を向く。
サマリとコーガが顔を見合わせ、どうするべきかを検討する。
「おい、エルフ。それは本当なんだろうな? いや、仮に本当だとしてもどうしてアクア様は我らに直接言わずに貴様に言ったんだ」
「たまたまよ、アクアには本当に偶然に会ったのよ。本人も急いでいたみたいで至急貴方たち二人に伝えてと頼まれたのよ」
コーガの意見にティターニは困惑した様子で返す。すると五剣帝同士の話し合いを続ける。
「コーガ君。今日のアクア様のご予定って」
「はい。本日は要人警護とそれに伴った会議への出席。警護ですから確かに人手は多いに越した事はありませんが。しかし——」
二人は軽く打ち合わせをした後に結論を下す。
アクアの予定を把握している二人は今日が大事な日というのを知っている。要人警護は五剣帝の本分でもあるがらだ。
ティターニがついた嘘はたまたまだが、信じさせる要員の後押しとなった。
「サマリさん。この二人が少しでも怪しい行動をとったら直ぐに斬り捨ててやって下さい」
結局コーガがアクアの元に向かい、サマリが残る事で話し合いは終わった。
二人を騙した当の本人は、しれっとコーガを見送った後にサマリに向き合う。
「ねぇ、サマリ。実はアクアにもう一つお願い事を頼まれていたの」
「は、はい。何でしょうか?」
サマリの眉根が寄るがティターニは無視して続ける。
「昨日話をしていた、二の剣が常駐しているという研究所に案内してほしいの」
「え? シンラさんの所ですか?」
「そう。場所は分かる?」
「わ、分かりますが」
「そこに、向かうように私とブットルはアクアに頼まれたわ。事情は分からないけれど、とにかく急いでいたわ、もしかしたら火急の用件があるのかもしれないわね」
「そ、そうなのですか。確かにアクア様はあの研究所によく行っているようなので、何かあるかもしれませんが——」
掛かった。とティターニは内心でほくそ笑む。横に立つブットルは再度難色を示した。
「でも研究所には、近づくのは禁止とシンラさんより、厳しく言われておりまして」
「そうなのね。私は頼まれただけだから強くは押せないけれど、他国から来た私やブットルにお願いする位だから、何か身内に知られていないマズいものかもしれないわね——なんなら今日は私とブットルで巡回するから、貴方だけでその研究所とやらに行ってみたら?」
「え? で、でも!」
「大丈夫よ。任せておいて——」
ティターニは快活な笑みを送り背を向け歩き、雑踏の中に消えていった。
残されたサマリは困ったようにブットルに視線を送る。
どうしたらいいのですか? と問うているサマリの視線をブットルは肩をすかせた後に、ティターニと同じように背を向け、行き交う人々の中に消えていく。
——随分大胆だな
ティターニの聴覚に直接ブットルの声が響く。
伝達魔法を駆使している為、ブットルの声はティターニにしか聞こえていない。
——多少強引な手を使わないとね。
ティターニはブットルに返答する。
この声も伝達魔法を経由している為、ブットルにしか聞こえていない。
——もし五剣帝同士が、伝達魔法で会話していたら一発でばれるだろうに。
——そこは心配いらないわ。五剣帝って魔法には疎そうだから、どうせ使用できないわよ。
——暴蘭の女王は慎重を重ねると聞いていたけどな。
——時には大胆になることも必要でしょ? まぁ、コーガが先に消えてくれたのは助かったけれどね。サマリがアクアの元に向かって、コーガが残っていたら少し骨が折れそうだったもの。
——恐れいるよ。おっ、動いたようだな。サマリには悪い事をしたが、こうなった以上は利用させてもらおうか。
サマリはしばらく右往左往し、時には女性にあるまじき顔で悩んだ挙句に歩き出した。その方向は色街であった。
離れた場所で監視していた両名はサマリを尾行する。
——さて、いよいよアクアの秘密に迫れそうね。何かあった時は頼むわよ。ブットル。
ティターニの顔が、昨日見たダークエルフの顔と重なり、ブットルはしばし呆けてしまう。
——ブットル?
——あぁ、いや。何でも無い。行こうか。
どうにも引っかかりを感じたが強引に押し込め、サマリの尾行を開始した。
——キキキキ。
ティターニとブットルのはるか後ろから、猿に似た声が街の一部に響く。
一流である者でも、獲物を狙う時は集中力が獲物に行く為、獲物のみに注意力がそそがれる。二人は自分たちが尾行されている事に気がつかぬまま歩を進めていった。




