マリアンヌ
初めて天使様の声を聞いたのは、私が年端もいかない子供でした。
その時の言葉は今でも憶えています。
君がマリアンヌかい? 初めまして天使の寵愛を受ける者よ。です。
それからも天使様は定期的に私にお言葉を下さりました。
そういえば、一度お姉様に相談した事がありましたよね。
結局取り合ってもらえませんでしたね。お姉様に伝えておりませんが、あれ以来何度も声を聞いております。
天使様の願いはただ一つ。この世界から悪魔を滅すること。
近い未来、この世界は悪魔によって支配されると天使様は仰いました。
最初は怖かったです。子供に悪魔という言葉は少し刺激が強すぎますもの。
だから私は、お姉様に相談して以降、なるべく声を聞かないようにしていたのです。
そうしたら天使様が仰ったのです。
マリアンヌ。君は私の存在が信じられないんだね。じゃあこうしよう。これから起こる未来の事を君に伝えよう。未来は誰の者でもない、先を見通せる種族など存在しない。でも私たち天使には未来の出来事が見えるんだ。もしも、これから起こる事全てが現実になったら、君は信じてくれるかい?
そして私は、未来が見えるようになったのです。
見えるというのは言葉通りです。私の瞳に天使様が未来の出来事を見せてくれるのです。
映像が瞳に映り、このような未来になるからこうしなさい。というお言葉もいただけるようになりました。
未来の出来事は、初めは些細な事でした。
道を歩く途中で小動物を見かけるといった可愛いらしいものです。
言うまでもなく、瞳に映った映像と同じような出来事が、少し先の未来で起こりました。
初めはそのような、他愛もない映像でした。
やがて人との別れ、友情、恋愛、生死など、事細かな未来も瞳に映るようになりました。
数年前の大祖母が亡くなった時を覚えていますか?
あの時私は、大祖母が亡くなる前日に大量の花を用意していたのも覚えておりますか? 天使様より未来とお言葉をいただいたからです。
私はすっかり天使様のお言葉を心待ちにしているようになりました。
だって、天使様の言う通りにしていたら間違いはおきませんもの。
ですので、私の中では天使様は絶対の存在となっており、身も心も委ねるようになりました。
この格好も、まるで冒険者のようでしょう? 現に私は冒険者となっております。
もちろん、天使様からの助言によるものです。
本来の私は花を愛でるよりも剣を持ち、魔物を狩る事が得意なようです。
お姉様、そんな悲しいお顔をなさらないで、私は私の意志で剣を持ち、天使様に忠誠を誓っているのです。
天使様の見せてくれる未来は絶対なのです。例外はありません。
だから、お父様やお母様、他の兄弟達には非常に心が痛みました。
何の事を言っているのか分からない、今のお姉様はそんな顔をしています。大丈夫です。聡明なお姉様は直ぐに理解していただけますわ。だって、天使様がそう仰っていたんですもの。
ここにいる横たわる家族の皆は、魔に堕落する前に天使様へと魂を捧げたのです。
お父様やお母様、兄弟達は、将来悪魔に取り憑かれこの世界に、天使様に害をなす存在になってしまうのです。
正確に言えば、魔人族の奴隷となり、この世界に危害を加える存在になるのです。
本当です。天使様のお言葉、いえ、御告げは絶対なのです。
未来でお父様は多くの亜人族を殺し、お母様は多くの人族を殺す。他の兄弟達は、精霊族、海人族を次々に殺していくのです。
最終的には皆、大罪人となり、世界の敵とみなされ、それでも悪魔の魔手から逃れる事が出来ず、ついには疑心暗鬼に拍車が掛かり家族同士で殺し合いをしてしまうのです。
生き残る者は誰もいません。
そんな未来、悲しすぎませんか?
そうなる前に、いま、幸せの只中にいる今、この時、この幸せな瞬間に人生を終わらせておく方が幸せだと思いませんか?
泣かないでくださいお姉様。
ティターニお姉様、マリアンヌは間違っているのでしょうか?
え? お姉様ですか? そうですね。
天使様の映像にはお姉様とセルロスお兄様、それにレダお姉様はおりませんでしたので、おそらく悪魔に加担する事なく過ごされるのでしょう。
私はそのように理解しました。と言っても、セルロスお兄様は亜人帝国に、レダお姉様はどこにいるのか分かりませんからね、仮に手を出すとなっても大変ですね。ふふ。未来の映像に姿が見えないから手を出さない。というのも、なんだか可笑しな話ですね。
でも、やはり家族を手に掛けるのは心が痛みます。皆が悪魔に関わらずに生きていれば、こんな事をせずにすんだのです。
だから、私は映像の中にティターニお姉様がいなかった時、どれ程嬉しかったか。それはもうとびきりですよ。
幼い頃に二人でお花を摘みに行きましたよね。ティターニお姉様は不器用ながら花冠を作って下さったのを覚えていますか?
作ったソレを私に下さったのです。あの時と同じ、いや、それ以上の喜びでした。
だから、そう。だからあんな事まで出来たんです。
お姉様が私の背中を後押ししてくださったんです。
そうでなければ、私はあんな事、できませんでした。出来るはずがないのです。
え? それは——言えません。この事は流石に、お姉様といえど憚られます。でも——もしもお姉様が理解していだけたら、私の心には羽が生えどこまでも飛んでいく事ができるのでしょう。
聞いていただけますか、お姉様?私は酷い女なんです。
今、こうしてお姉様の頭を撫でる手がどれほど汚れているか——ですが、天使様の悲願を叶える事ができれば、世界は救われるのです。
世界を悪魔の手に渡してはいけないのです。
だから、私は、多くの、そう、本当に多くの同族を手に掛ける事ができたのです。
全ては天使様のお力によるものです。
あの大虐殺をしなければ、多くの、それこそあの森に住んでいた全てのエルフが悪魔の言いなりとなり、世界を滅ぼす役割の一端を担ってしまうのです。そんな事許されません。
そうです。エルフの大虐殺です。
お姉様、そんな顔をしないで。マリアンヌの思考は正常ですよ。
お姉様なら分かってくれると思います。だから己の罪と咎を告白しているのです。
天使様のお力を借りれば、今より三百年前に飛ぶことなど造作もないのです。
勿論、膨大なエネルギーを使いますので、当分は過去に戻る事はできないしょう。私が二、三度生まれ変わらねければもう一度過去に飛ぶ事はできません。
それもこれも、かの牢獄から天使様を開放すれば全てが、そう、全てが解決するのです。
そうなればマリアンヌの使命も終わります。
お姉様。一緒に行きませんか? お姉様が側にいてくれるだけでマリアンヌの体は羽が生えたように軽くなり幾万の敵も、道端に転がる石同様となります。お姉さまがお側にいてくれれば、マリアンヌはどこまでも頑張れるのです。
え? もし、お姉様が悪魔の手先になっていたらですか?
どうしてそんな無益な事を聞くのですか? さぁ、早くこの手を取ってください。
お姉様、お姉様。お姉様!
答えても無意味と言っているのです!
現に未来の、悪魔の手先となったお姉様はいなかった。それでいいじゃありませんか! どうしてそこに拘るのですか! さぁ、そんな事より私の手を——え? お姉様? どうして? どうして私の手を弾いたのですか? 私の手は天使様との契約ですよ、それは拒否しているのと同じですよ、お姉様! どこに行くのですか⁉︎ 話はまだ終わっておりません! お姉様! ティターニお姉様!




