密会②
——無限牢獄。
どうしてかその言葉を呟いたブットルの内心には、不安の種が巻かれた様に感じてしまった。
「無限牢獄——そこに行き封印を解き、天使様達を解放する事が我々の真の役目。でも悪魔達を見逃す事はできない。だから我々、天使の使徒が天使様の手足となって悪魔を滅するのよ」
マリアンヌは言い切った後に微笑み十字を切る。
「そ、そうか」
自分の返答が実に間抜けである。とブットルは感じた。
悪魔の全体像は理解していた。攻撃が効かず、人を玩具にする最低の奴らだという事を認識している。
魔人族の傭兵をしていた時も、仕えていたレットが悪魔がどうとかと言っていたので、本当に実在すると信じていた。
——が、天使。並びに天使の使徒という新しい単語、並びに人物達には戸惑いを感じている。その思考が顔に現れており、マリアンヌはそれを見逃さなかった。
「その顔は半信半疑といったところかしら。でも私は嘘をつかないわ。貴方も天使の使徒になれば天使様からの御告げを聞けるわよ、天使様は我々使徒を実の子のように可愛がってくれるわ、どう?」
「悪いが遠慮しとくよ。そう言う類のものは信じない事にしてるんだ。もしいるのなら、俺が苦しんでいるあの頃に声を掛けてほしかったよ」
「天使様達も全ての子を救済できやしないわ」
ブットルは神も信じない。当然マリアンヌの言う天使も信じてはいない。
亜人帝国で過ごした辛い時期、傭兵時代の過酷な日々。その時誰も助けてくれなかった事がブットルに先程の回答をさせている。
「それで、俺にどうしろと? その天使の使徒の一員になれとでもいうのか?
マリアンヌはブットルが誘いにのってこなかった事を少し残念がりながら答えていく。
「天使様の御告げがあって、私は海国を離れなければいけなくなったの、でもこの国には悪魔と魔人族の陰謀が蔓延っているわ」
「そうか。やはりこの海国には魔人族と悪魔がいるのか」
「この地に降り立ったアスモデアという悪魔は、魔人族を使って色街に通う人間から魂を抜きとっているわ」
「なるほど。それが高齢者がいなくなったカラクリか?」
「高齢者? いえ、狙われているのはこの色街に性を発散しにきた若い男よ」
「ん? そ、そうか。すまない。話を遮ってしまったな、続けてくれ」
ブットルの表情は明らかに曇りだす。
マリアンヌは首を傾げたのち再度語り出した。
「アスモデアは若い男から精を抜き取るわ。奴らの方法は実に悪辣なの、先ずはアスモデアの力を借りた魔人族は若い男の体内に侵入していくの、侵入された当の本人は全く気がつかないというのが実に厄介。取り憑かれた若者は自分の意思と見せかけて、魔人族の指示に従い悪魔がいる色街のどこかに行き、魂が吸い取られ死んでいく」
「随分と雑なやり方だな」
「雑なやり方でも準備はそうとうなものよ。先ず我々がどんなに探しても悪魔の根城を見つける事はできないの。それに取り憑かれた若者は見た目は変化がないから、取り憑かれているかの判断が難しい。加えて色街の中で死んで行方不明となっても、女と共に駆け落ちしたと周囲に思われて終わり、結果いつまで経ってもこの街から若い男は減らないわ。悪魔らしい手の込んだやり方だわ」
「なるほどな」
ブットルは頭の隅で高齢者と若者が消える理由を結びつけようとするが、それが上手く進まない。この二つはどこかで交差するはずだが決め手に欠けている。
「この国の魔人族と悪魔の現状は分かったよ。俺もそれを知りたかったから助かった、ありがとう。で——結局俺を呼び出したのは、どうしてなんだ? そろそろ本題を聞かせてくれ」
「そうね。私はここを去るけれど、他の天使の使徒達はここに残って引き続き悪魔と魔人族の討伐をするわ——」
「その手伝いをしろと?」
「女の話は最後まで聞くものよ。それが良い男の条件よ」
マリアンヌの色気たっぷりの微笑みを受けても水王は動じない。
仮にこれが空上何某という男であれば、慎みをもてし! と騒いでいる所だろう。
「ふふ。別に協力してほしい訳じゃないわ。私が鍛えたあの子達なら魔人族の数名くらいどうという事はない。お願いしたいのは、事が大きく動いた時。仮に悪魔や魔人族の腕利きが現れた時はそれとなく引くように誘導してほしいの、あの子達は強いわ、でもまだ未熟。私が欠けたら状況を正しく判断する存在が必要なの。それをお願いしたいわ」
マリアンヌの願いをようやく聞き終えたブットルは二、三の質問を返す。
「なるほどね。話は分かった。しかし俺のメリットが無い。これでも傭兵上がりなんでね。無料でお節介をするほど良い人間ではないさ」
「あら、報酬ならもう上げたじゃない。貴方が知りたがっていた海国の悪魔と魔人族の詳細よ」
ブットルは少し面をくらい次にはやられたと顔を顰める。
確かに知りたかったと言ったのは自分であるが、それを事もなげに対価と言い切るマリアンヌはそうとうに度量がある。
ここで、反発しても利益は何も無い。断れば逆に情報量として対価を請求されそうな気配がある。マリアンヌは女神の微笑みのまま言葉を繰り出す。
「貴方が知りたいもう一つは悪魔の狙いが何か? でしょう?」
強引に話を切り替えられた。それはもう、ブットルが天使の使徒らが窮地に立った時に救う段取りで話が終わったかのようである。
「悪魔の狙いは実にくだらないわ。性の支配よ。アスモデアという悪魔は処女の血を溜めて風呂に入るようなイカレ野郎よ。それも、そんな行為をした理由が楽しいからという理由だけなのよ。吐き気がするほどに目障りな悪魔と言えるわ。大方男の性を集めるのも面白いからというのが理由じゃないかしら。この色街は世界中の性に飢えた若者が集まる場所でもあるもの、格好の餌場といって良いわね。性を支配した後に遊び方でも考えるのでしょうね。くだらないわ」
確かにくだらない理由であった。だが同時に実に悪魔らしいといえた。
ブットルは綾人らが語った悪魔像を思い出す。彼らは面白いという理由だけで多くの人間に責め苦を与え、殺すとい輩である。
そう考えれば、マリアンヌの語った悪魔アスモデアは実に悪魔らしい。
——悪魔の行動理念に疑問をもっても無意味よ——。最後にマリアンヌはそう結んだ。
なるほどと呟いた後、ブットルは黙ってしまう。それを見越してマリアンヌは言葉を続ける。
「貴方は今、こう考えているわ。仮に私からの依頼を引き受けたとして、そうそう都合よく天使の使徒なる者達が窮地の時に、たまたま自分が居合わせる事ができるのか。違う?」
ブットルは答えない。何故ならその通りであるからだ。
「あくまで保険と捉えてもらっていいわ。それに幸か不幸か貴方はこの一連の騒動に必ず巻き込まれるわ。これは確定事項よ」
「天使様の御告げというやつか?」
「そうよ」
「仮にだが——」
マリアンヌの物言いにブットルは少々反発を覚えた。
「仮にだが、俺の気が変わって天使の使徒等に危害を加えたらどうするんだ?」
「仮に——あなたに関しては、そんな仮の話はおこらないと思うけど、もしそうなったら私が貴方に危害を加えるでしょうね」
途端に星が煌めく世空に、灰褐色の分厚い雲がマリアンヌの頭上に集まり、地雷の音が色街の一帯に響く。見上げるブットルの顔が歪む。
「ダークエルフで積乱雲を呼べるのはこの世界に一人だけだ。あんたが噂に聞く雷蘭の姫か? それでは俺程度では適わないな」
「謙遜はよして水王。貴方と私が本気をだして闘ったら、私の方が少し強いというだけじゃない」
ブットルは呆気にとられたような表情でマリアンヌを見る。
銀色の髪を払うと指先同士が擦れ音がなる。地雷は止み雲が消え、夜空が戻りだす。
「雷蘭の姫がいれば、悪魔も引くだろうに、あんたがここに残れば全て解決だ」
「天使様の言葉は絶対よ。必ず御告げには従わなければならない。どんな御告げだろうと、例え親が、兄妹が、祖父母が、親戚が、一族が将来悪魔に加担するとなった場合は、処罰の対象となる」
その言葉はまるで、その行為を、親を兄妹を祖父母を親戚を一族を処罰したような口振りだった。
「もう、行くわ」
マリアンヌは目を閉じ何かを思い出さないように努めた後、水王に背を向け立ち去ろうとする。
「一つ聞かせてほしい。人族の若い男を知らないか? 髪は金色で、目つきが悪くて、どうにも横柄な態度をとる若い男だ。心当たりはないか?」
「知らないわ——それと。私と密会した事は誰にも言わない方がよいわ。言ったら必ず厄災が貴方と周囲に及ぶから」
立ち止まりそれだけを言うとマリアンヌは闇へと消えていった。
「まいったな」
一度に多くの情報を得たブットルはため息混じりにそう呟いた。
何から手をつけていいのやら、見上げる星空は美しく。それがブットルの重くなった心を少しばかり和らげてくれた。




