夜の海国では
時刻は真夜中である。
周囲の闇はどこまでも暗い。海国の夜は昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
色街の外れの場所では、ある事がおこなわれていた。
「お疲れ様です」
赤茶けた大きな建物である。入り口扉の左右に立つ門番が建物に侵入する人物に挨拶をした。
大きな建物の大きな扉を開けると、そこはただただ広いエントランスであった。
「アクア様。お疲れ様です」
建物に侵入した人物は五剣帝・一の剣。アクア・スカイラであった。
昼間の巡回時と同じように軍服に白い羽織。腰には赤みがかった刀を差している。
美しい顔にある瞳は赤く濁り、女性らしい体型を隠すような姿も、その立ち振る舞いも全てが魅力的な海人族の女性である。
「どう?」
アクアは先ほど挨拶をしてきた人物にそれだけを聞いた。
その人物も海人族の女性である。黒い軍服に緑と赤の格子柄の大きな羽織を肩に掛けている。
薄赤い肌。白い瞳。腰に下げる刀もまた白い。
彼女は五剣帝の一人であり、名をシンラという。
「予定通りでございます。ヒルコ様の復活はもうすぐであるとシンラは予想します」
「なによりだわ」
アクアは移動し、通り過ぎ際にシンラにそう伝える。
シンラは一礼しアクアに付き従う。
二人は大きな屋敷の地下に向かう。辿り着いた場所は広い地下室である。
地下室の中心には大きな繭玉があった。水色の繭玉である。
繭玉は水の粘膜に包まれており七色に光を放つと同時にドクンと動く。そして数秒後にはもう一度ドクンと動いた。
動く感覚が心音に似ておりどうにも不気味に見える。
「美しいわ」
「はい。シンラもそう思います」
繭玉を見て、アクアは狡猾な笑みを浮かべる。
水色の繭玉がまた一段と光を強くする。大きな地下室には多くの研究員が慌ただしさを絵に描いたように作業をしている。彼らは繭の現状を調査、検証しデータをとっている。
「あとどれほどで孵化するの?」
「オイ! お前ら、ヒルコ様はどれ位で復活するんだ⁉︎ アクア様の質問には速やかに答えねばシンラは許さないぞ」
アクアの質問をシンラが研究員に問う。
彼女の独特な言い回しは非常に緊張感に欠けている。
研究員の代表者が「二週間ほどです」と答えた。代表者は明らかな疲労が見える。頬はこけ、目の下の隈は酷い。
代表者だけではない、研究員全員が顔色が驚くほど悪く、疲労で覇気はない。その雰囲気から不眠で働いているのが分かる。
「遅いわ、一週間で孵化させないさい。ぼやぼやしていると天使や悪魔に遅れをとる羽目になるわ」
研究員達を人とも見ていない発言がアクアから発せられる。昼間、ブットルやティターニと接していた時のような、正義を絵に書いた態度は少しも見当たらない。
無慈悲で冷酷なアクア・スカイラがそこにいた。
「やっと悲願を叶えられるというのにのんびりはしていられないわ」
「アクア様。シンラもそう思います。オイ! お前達——」
先ほどと同じようにアクアの言葉をシンラが伝える。
一週間短く。という言葉は今の研究員にとっては計り知れない重荷であり苦渋である。
研究員達に未来は無い。あったとしても死ぬまでアクアの悲願に付き合わされるのであろう。
「嫌だ! もう嫌だ! 嫌だ! いやだ、うわぁーーーーーーーー‼︎」
一人の研究員が唐突に叫び出した。アクアの命令への反発なのは間違いない。
「もう嫌だ! もう嫌だ! 俺はもう誰もあの化け物の餌食にさせたくない! お前があいつに喰われろ!」
アクアに未来を奪われただけの反発ではない、彼は何かに悩み、苦しんだ叫びとなっている。彼が指差す場所は中央にある大きな繭である。繭は一瞬だけ不気味に光ると眉の中が透けて見えた。そこには大きな胎児を思わせる影が浮かび、直ぐに消えた。
「俺は昨日、自分の! 自分の爺ちゃんと婆ちゃんを——」
彼の言葉は最後まで聞くことはできなかった。何故なら頭と胴体が離れているからだ。
「うるさい。お前の汚い声でアクア様のお耳を汚すな。シンラは怒りを込めて太刀を振るう」
「はっ、へ?」
それが反旗を翻した彼の最後の言葉だった。
彼の首は今床に転がっている。続いて首が無い体も床に倒れた。一瞬間の出来事であった。
「シンラ。研究員を減らしてどうするの。もっと効率よく頭を働かせなさい。二の剣なのですから」
「すみませんアクア様。以後気をつけるとシンラは誓います」
シンラが抜刀した刀は全てが白かった。刃も波紋も鎬の部分も全てが純白である。
刃先に付着した血をシンラはつまらなそうに見つめた。ズズズと蕎麦でも啜る音が刀から聞こえる。
——それは刀が血を啜る音。
時間を掛けずに刃先から血が消えていく。
シンラはそれを見届けた後、白い鞘に白い刀を収める。よくよく見ると倒れた死体からは血が一滴も流れていない。おそらく白い刀の力であろう。
研究員達は固唾を飲んで先の様子を見守っていた。
逆らえばああなる事は目に見えていた。現にアクアに逆らい殺された研究員は多くいる。海国を守護する立場であるはずの五剣帝とは思えない素行である。研究員達は、明日は我が身と恐怖に慄きつつもくもくと作業を開始する。
「あら、皆よく動くじゃない。恐怖による支配はあまり好みじゃないけれど、検討しておく必要がありそうね。よくやったわシンラ、お手柄よ」
「褒められてシンラは嬉しいです」
数秒。二人は見つめ合う。合図を送りあうように目配せをした後に研究員らに言葉を飛ばし部屋を出ていく。
「一週間後よ。いいわね」
「アクア様の命令が聞けないようなら。シンラは許さないからな」
二人が出ていくと、研究員達は黙々と作業始める。
繭がもう一度不気味に光、中を照らす。
中身の——胎児に見えるソレは肩を揺らしている。その姿は笑っているように見える。
アクアとシンラは早足で大きな建物内を歩き、ある一室に向かう。
その場所は建物に常駐しているシンラの寝室である。二人は部屋に急いで入り、熱にほだされた視線を交差させながら口づけを交わした。
「そうぉいえば、あの気味の悪い大男の予言、当たっていましたね」
シンラが甘えるように声でアクアに問うた。
「そうね。名前は——ベルゼだったかしら?」
「あぁ、アクア様。くすぐったいです」
アクアは指先の力を抜きシンラの首をなぞる。シンラはお返しとばかりにアクアの腰をなぞる。
「水王と暴蘭の女王が私の邪魔をしにくる。だったかしら?」
「はいそうです。シンラは憶えています。褒めてくださいアクア様。それと天使の使徒と魔人族にも注意しろと言っていました」
「天使側の目的は悪魔の殲滅と色街の破壊。悪魔側の目的は色街を手中に収める事と天使の殲滅。こんな感じかしら?」
「シンラもそう思います」
アクアの首に腕を回し甘えるように頬を合わせるシンラ。
アクアの赤い瞳の奥には闘志が沸き立つ。
「あの大男の目的は分からないが邪魔をするようなら殺すだけだわ。天使や悪魔もそう。立ちふさがる輩は一刀にして斬り殺してやるわ」
「アクア様のお手を煩わせる前にシンラがやります」
「水王に暴蘭の女王か。やつらも腹の中では何を考えてるのか知れたものではない。いつでも殺せるようにしておく。この国をすきなようにはさせない。その為のヒルコ様だ」
「アクア様カッコいいです〜シンラは惚けが止まりません」
——誰にも譲れないわ。この国を壊すのは私以外許されない。
「いいシンラ。天使や悪魔、異邦人の水王と暴蘭の女王が少しでも動きを見せたら直ぐに私に知らせなさい」
「はいです。シンラの全てを賭けてアクア様にお答えします」
シンラの頭をなでると、再び憂の視線が交差し、行為の続きは行われた。二人は目配せで語り合う。
——そんな事より。今はこの幸福に身をゆだねよう——。




