記憶違い?
「待てって!」
綾人の声は海国の空へ虚しく響く。
ティターニ、ルード、ブットルは背中を向け離れていく。
綾人は三人を追うが、物資を運ぶ馬車に行く手を遮ぎられ立ち往生をくらい、馬車が通り過ぎる頃には傲慢エルフ、ベジタリアンの幼竜、天然蛙の姿を見失ってしまった。
雑に童貞いじりをされた故に、怒りが収まらぬまま闇雲に三人を探し歩く。
だが見知らぬ土地で無闇に歩く行為は、当然のように迷いに迷う事になり、結局は迷子となってしまい——。
「なんじゃ、ここ?」
綾人は間抜けたように口を開け。目の前をただ見つめる。
そこには派手な光で彩られた色街が広がっていた。
なんの因果か結局は色街にたどり着いてしまう童貞野郎。
辺りは暗闇。
「もしかして、ここは娼館という場所か?」
油が切れた機械のように辺りを眺める。
通りからはいかがわしい雰囲気が多分に溢れているので、この男には少々刺激が強すぎたのであろう。
気後れし、そそくさと退却しようと試みるが——。
「ちょっ! 押すな! テメェら、殺すぞ! ちょっ、ちが、俺、違うから!」
まるで漫画のように——ドドドドドドッ——という擬音がピッタリの人山の集団が目の前に迫り、その波に流されてしまう。
人山の正体は、仕事終わりに色街で遊びたいと駆けつけた労働者の塊。
一気に押し寄せた大量の人の波にのまれ、幸か不幸か。
本人の意図とはしないところで色街の中に侵入する羽目になる。
「ここはどこだ?」
揉まれに揉まれた綾人は、気がつくと色街の中心に立っていた。
辺りは色とりどりの光が溢れ、いかがわしく淫らな雰囲気が溢れ出ている。
当然のように雰囲気にのまれる綾人。
——ビビってんじゃねぇよ俺! と己を鼓舞させ、いつものように喧嘩上等の風体で、肩で風を切って歩くのだが流石にこの場所では場違いに過ぎる。
チワワの遠吠えとはまさにこの事である。
客引きの声に、あぁ! と凄んでも、溜まってるようだから一発抜いたらどうだい? と言われて終わりである。
ついこの間。ファーストキスを終えた男にとってはもはや異次元の空間である。
綾人はどこをどう歩けば出口に着くのかも分からぬまま、ふらふらと歩いていると声を掛けられた。
「お兄さん」
その声は少し幼く、跳ねっ返りを連想させた。
「こっちに来ない?」
それは建物と建物の隙間から聞こえた声だった。
綾人は声に反応し隙間を見るがそこには闇しかない。
隙間から手招きをする声に綾人は眉根を寄せる。
思案の後、声の人物に出口の場所を聞けば良いかとの結論に至り隙間へと歩を進めていく。
思ったよりも小綺麗である。赤土の地面は乾燥しひび割れているので湿度が無い事が証明されている。
適温となっており、匂いも、カビや腐敗の臭いはしない。
奥は黒を濃くした漆黒であるために、どこまで続いているのかを確認する事ができない。
故に綾人は薄ら寒い感覚で辺りを見渡し疑問を覚える。
どうして路地裏の隙間の空間が、こんなにも小綺麗に整えられているのかと。
「いらっしゃ——え?」
「あっ⁉︎」
隙間の奥からの声に怪訝な雰囲気をたっぷりのせて短く答えた。
奥から現れたのはフードを被った女がいた。
フードの女の格好は実に露出が多い。
綾人から見れば、黒いブラジャーと短パンしか着ていない痴女が現れた——といった具合である。
だが、目の前で異性が水着でいる。この男には十分な刺激である。
程よい大きさの胸、細い腰、スラリと伸びた手足。顔はフードで見えない故に、余計に性的刺激を受けてしまい、思わず顔を背けてしまう。
「そ、空上君?」
「あ?」
親しく呼ばれていなかった名字である。
綾人は酷く動揺しフードの女を見る。
「空上君だよね?」
もう一度女の口から苗字で呼ばれ、さらに女が無遠慮に近付いた為、綾人は逡巡する。
「お、お、お前、誰だ?」
カラカラの喉から出た言葉はありふれていた。
「僕だよ——」
女はさらに綾人に近く。二人の距離はかなり——かなり近いといってよい。
女はフードを外した。
「僕だよ。同じクラスの六堂飛鷹だよ」
「え? 誰?」
一年C組のクラスメイトとの再会だが。
雰囲気をぶち壊す事しか言えない男である。
「覚えてない? あの日、入学式の日。君が僕をっ——」
「入学式?」
被っていたフードを脱ぎ、女は半歩綾人に近づく。
「そう。君が僕を助けてくれた!」
薄暗い隙間の中でも、女の顔はやけにはっきりと認識できた。
女。というよりは少女に近い。
全体的に幼く、十代の顔立ちである。
灰色の髪は肩口で切りそろえられている。髪と同じ灰色の瞳を潤ませる少女の背は低い。
華奢であるが、正しく女性の体が綾人に近づいていく。
絵に描いたように動揺する綾人は一歩後ろに下がる。
「覚えていないの?」
少女は愛くるしい顔立ちで綾人を見上げる。
線の細い体にほどよい胸、小さなお尻。
一部の人間からは絶大な人気を誇る事が予想される。
少女は瞳は大きく揺らぎ、綾人に手を伸ばす。
「お、お、おぼ、覚えてま、すん」
腕を掴まれた綾人は体面を取り繕うが声が裏返り、妙な発言となる。
「やっぱり。綾人くんは面白くて、格好良いな」
少女から寂しげな雰囲気が漂う——憶えてなくて当然だよね——そう呟く。
その声は綾人には聞こえていない。
「僕の名前は六堂飛鷹。入学式の日、不良に絡まれた時に、君に助けてもらった、同じクラスメイトなんだよ」
「あ? そういえば、そんな事もあったような——あれ? あの時ボコられてたのってお前なの? あれ?」
綾人の海馬がフル活動し、あの日の、入学式の、坂下美桜を助け出した日の事が思い出されていく。
確かに助けた記憶はある。
不安がる女子生徒を助けた記憶。
でもそれは坂下美桜である。
六堂飛鷹という人間ではない。
いや、もう一人、間接的に助けた人物がいる。その者に手を貸し、肩を貸した覚えもある——だがそれは、このような華奢な少女ではなく——。
「俺、男を助けたような気がするんだけ、どっ! どぉ!」
語尾が跳ね上がる。綾人の背中に回された両手は小さく。細く。少女の手にしか見えない。
ましてや抱きつかれた感触。
小ぶりだがしっかりと鳩尾に当てられた両胸の感覚は、綾人の思考を鈍らせる。
「こんな場所で会えるなんて。運命なのかな?」
灰色の瞳がさらに滲む。綾人の思考は未だに混乱のままだ。
抱きつかれたままの状態で、少しばかりの時間が流れる。
飛鷹は綾人の胸に顔を埋め、すすり泣く。
綾人は何が何やら分からぬまま、抱きしめてよいのかと腕を回しかけるが、どうにもその度胸はなく両手をふわふわとさせるのみ——しっかりと、胸の感触は記憶に刻み込んでいる。
だが、いつまでもこうしていられない。意を決し声を掛けようと試みるが——。
「飛鷹? どうしたの?」
混乱の答え合わせはさせてもらえずに、第三者の声により別の展開へと発展する。
「マリアンヌ様⁉︎」
隙間の奥——暗闇からその声は聞こえた。
綾人に抱きついていた体を離す六堂飛鷹。
胸の感触に終わりを告げた事に落胆しながらも、綾人も暗闇に視線を転じる。
「飛鷹? 知り合いなの?」
声は徐々に近づいてくる。
「は、はい! マリアンヌ様。この人は恐らく悪魔の使徒ではないと思われます」
「——悪魔?」
この世界にきてから何度か言葉にしたその単語を綾人は口の中で反復する。
六堂飛鷹は暗闇に向かって声を飛ばす。
「そうです。きっと何かの間違いです。綾人君がここにいるはずがないんです!」
「知り合いだから真実の目を曇らせたい気持ちもわかるけど、真偽は正しく見極めなくてはいけないものよ」
女が動く気配を感じ綾人は身構える。
「おい! なんだ姿も見せないでさっきから、話があるならきちんと顔くらい見せろよバーカ」
僅かな沈黙が場を包む。
「飛鷹の知り合いにしては、随分乱暴なのね」
その言葉と共に闇から現れたのは美しい女だった。
美しいといえばそれまでだが、それしか言いようのないともいえる。
簡易の鎧をまとう女はただただ美の塊であった。
九頭身はある女の手足は細く長い。
美術品のような姿形であるが、簡易の鎧から覗く小麦色の肌が女に生が淀っている証明になっており、またそれが一段と美しい。
腰まである銀色の髪を手で払うと、銀色が夜気を吸い光り輝く。
髪と同じ銀色の大きな瞳が綾人を見据えており、美しい鼻筋の下には男を魅了する唇がある。
六堂飛鷹が綾人を庇うように前に出ると、マリアンヌと呼ばれた女と飛鷹は対峙する形になる。
美が綾人の視覚を奪う——が、それよりも気になったのは女の耳である。
「どきなさい飛鷹。その男、悪魔に取り憑かれている可能性が高いわ」
「マリアンヌ様。お待ちください! この人は僕の、恩人でもあります。どうか任せてくださいませ!」
「その耳——」
人族の姿形をしているが、女の耳は横に長く、先が尖っていた。
「えっと、何だっけ、その耳? え、エ、えろふ——じゃなくてエルフか!」
一瞬間に極寒の空気が流れるのは当然の結果である。
赤面後、取り繕うように綾人は声を張り上げる。
「にしてもアレだな! エルフってのは失礼な奴しかいないのかね! 侘び寂びの心を持ってほしいぜ! まぁそれは一旦置いといくして、六堂飛鷹だっけ? お前男じゃなかったっけ? 俺の記憶が確かならさ、肩貸して保健室に行ったのは男だと思うんだけど。というかちょっと待て、その前にあれか——お前もあの転移で飛ばされた系か? 災難だったな。まぁ俺も飛ばされて大変だったんだよ。でもずっと野菜作ってて健康的だったけどさ、見知らぬ土地での一人辛いよね。あっ! そういえば野々花凛って知ってる? 亜人帝国会ったぞ! 色々あったけど元気そうだったよ。しばらくしたら合流すると思うけからさ、というかさ——」
一息でまくし立てた後、にマリアンヌの足元を見る綾人は睨みを効かせる。
「というかさ——お前ら、こんな所で何やってんの?」
そこには、虫の息となった人族の男が横たわっている。




