そうして始まっていく。
「ったく! あいつらは、人の事なんだと思ってんだよ! ったくよ〜」
暗闇が空を覆い出し始めた時に、その声は地に向かって吐き捨てられた。
今日の昼にこれでもかと童貞いじりを受けた末に、一人取り残され不満をぶちながら歩いている。
「娼館なんてこれっぽっちもだぜ。はぁ〜嫌だ嫌だ。俗物達とると気苦労が絶えないぜ」
「お兄さん! 新人の子がいるよ! どうだいうちの店は」
「——そもそも俺はやる事があってこの国に来たんだよ、女にかまけてる暇なんか——」
「人族のお兄さん! 決まってないならどうだい? うちは人族、亜人族、海人族、地底人、加えて精霊族と幅広いよ!」
「——あぁ〜なんか、色々あったから疲れたな〜。宿に行く前にどっかで休もうかな〜」
「そこの人族のお客さん! 疲れたんならうちの店はどうだい? ゆったりコースで疲れもとれるよ、その股の間にあるものもスッキリしていかないかい? 腰の怠さは残ってしまうけどな、ダハッハッハツハッ!」
「あれ〜? どこだここ? 見知らぬ場所に来ちまった! どうしよう迷っちまったな、闇雲に歩いてもしょうがないし、やっぱりどっかで休もうかな〜」
実にわざとらしい抑揚で声を出し、実にわざとらしく辺りをキョロキョロと見渡す童貞が一人。海国の色街いる。
わざとらしく客引きの声に反応する様は実に童貞の体をなしている。
娼館エリアをうろうろするのは、店に入りたいんのだけど入る勇気がないという、心地よいほどの童貞あるあるを体現している。
一人では心細いのだろう。同じ通りを行ったり来たりするうちに、やがて客引き達も、また彼奴かと声をかける事を止め出す。
それはそれで店に入る切っ掛けを無くし。うらぶれてトボトボ歩く姿は実に阿呆である。
「お兄さん」
そんな阿呆に甘言の蜜が放たれる。
「へっ?」
その声はレンガ造りの建物同士の間から聞こえた。
建物と建物の間は人が横に二人並べば少し手狭に感じる空間となっている。
夜であるからこそ空間は闇に覆われ、妖艶と不気味さを演出している。
「こっちに来ない?」
その声に阿呆は、罠に掛かる野うさぎの如く、歩を闇の隙間へと進めていく。
思ったよりも小綺麗である。
赤土の地面は乾燥しひび割れているので湿度が無い事が証明されている。
適温となっており、匂いもカビや腐敗を感じさせない。
奥は黒を濃くした漆黒であるために、どこまで続いているのかを確認する事ができない。
——ここで商売をしているのかと、妙な興奮が阿呆を襲う。
「いらっしゃい」
隙間の——女の世界に侵入した——阿呆は声の主と対峙する。
紺色のフードを目深に被っているため、顔は認識でいなが鼻梁から下は露わになっている。
スッと通った鼻筋、男を誘惑する唇は艶々と潤っており、性への興味を引き出していく。
細い顎を見るに声の主は線の細い女である。
「お兄さん。どう私と——気持ちいいことしない?」
阿呆の動揺をよそに、女は無遠慮に近づく。
闇から這い出た女の全容が少しだけ見えた。
紺色のフードは胸元で途切れている。
上半身は実に簡素な出で立ちだ。
胸元に黒い布地の胸当てのみである。
胸は小ぶりで形が良い。
綺麗な谷間が見え阿呆の視線は釘付けになる。
細い首、腰、腕、指は白く。男の理想が詰め込まれている。
ヘソが見える腰をくねらせ、女は阿呆の肩に手を置く。
下半身もシンプルである。青いショートパンツと、白いハイソックス、黒のブーツという、絶対領域の服装となっいる。
女は体を前に出す。もう僅かで密着する程の距離となる。
「どうかな? 私、色々と上手いから後悔はしないと思うよ——」
女の甘い匂いと誘惑の色香に、自身の生唾を飲み込む音のみが耳に貼りつく。
男は典型的な反応しかできない程、頭にはそれの事で一杯になる。
「いい?」
女の責めは途絶えない。
するりと蛇のように両腕が男の首に回される。
「支えて」
女は男に体重を預ける。男は女の体が自分から離れないように腰に腕を回す。
「しよっか」
その声も女。
自らの唇を舌で湿らせ、ゆっくりと男に迫る。
誰の邪魔も入らない隙間の闇の中で、男と女は口づけを交わす。
互いの舌が、互いの口内を陵辱する途中に男の腕——腰に回していた手がだらりとさげられる。
続いて唇も離れ、乾いた赤土の地面に膝を付く。
地面に正座し全身を脱力する男は、顔のみが天を仰ぐ。
白目をむき、口をだらしなく開け。僅かに呻き声を上げている。
「ハズレか」
女はそう呟くと男に唾を吐きかける。
その行為は、これでもかと増悪が込もっている。
腰にある布袋から水入れを取り出し口内へと水を流し、消毒するようにうがいをした後にそのまま地面に水を吐き出す。
女は男を見下す。
男は変わらずに、脱力したまま天を仰ぐ。
まるで魂が抜かれたような人形然とした男の態度に、女は侮蔑の込もった含み笑いを送る。
「ば〜か」
女はもう一度男に唾を吐きかけると同時に悪態を吐く。
隙間の空間は色街とは思えない程に静まり返っている。
客引きの声も聞こえなければ通りの喧騒もどこか遠い出来事とばかりに静寂を保っている。
まるで隙間の場所だけに、結界が張られているような静けさとなっている。
「どう?」
結界内に声が響く。それは別の女の声。
フードの女の声が幼く、鼻にかかる甘えがあるとすれば、もう一人の声は、夜のみに咲く花である。
それは大人にしか見ることのできない妖しい魅力に満ちており。
男の耳朶を優しく愛撫するように、雄の本能に雌の性を叩きつけられたような声である。
声は隙間の奥。暗闇から聞こえる。その姿は見えない。
フードを被る女は闇に振り向くと傅く。主従関係は明確である。
「外れでした。悪魔の使徒ではないようです」
「そう。無駄な犠牲を出してしまったかしら?」
「でもこの場所にいる男は悪魔に魅入られている可能性があるので、当然の報いです」
「なら問題ないわね」
「はい」
淡々と繰り広げられる会話はどこか事務的である。
「次も抜かりないようにね?」
会話を終えるとフードの女は両手を交互に組み天を仰ぐ。
「天使の御心のままに」
「天使の御心のままに」
フードの女と、暗闇奥の女は同じ台詞を言うと瞑目し祈りを捧げる。
体をだらりと弛緩していた人族の男は、地に伏せておりいつの間にか絶命していた。
「来たわね。頼むわね」
「はい」
次の標的が現れたようである。
男の屍体は奥の暗闇。
女の声の方向に引き寄せられていき闇にのまれ消えていく。
フードの女は隙間から見える表通りである繁華街を睨む。
これから現れる標的を葬るために。
「いらっしゃ——え?」
標的を捉えたフードの女は、当惑の声を出すと暫く思考が停止してしまう。




