皮肉という信頼
白い石に血を塗った瞬間から綾人の視界は色を失った。
闇。純粋な黒のみが周囲を包んでいた。
――な、脱出したのか……どうなってんだ? 何も見えない。でも、雰囲気で誰かが近くにいるのは分かる。ルードか?
気配を感じごくりと喉をならしたあとに、もう一度辺りを見るがやはり綾人には何も見えない。
いつまでたっても目に映るのは無の場景のみ。
――こわい。ここは何処だ?
「ル、ルード。近くに入るのか?」
恐怖に耐え兼ね、たまらずに声を出すと。
「ミ、ミッシェル、くそ、転移は成功した、が、やっぱりだな……」
「ルード?」
ルードの声が近くから聞こえ。少し安堵した綾人だが様子がおかしいと息をのむ。
今にも消え入りそうな声。荒い呼吸音。心臓を鷲掴みにされたような感覚が綾人を襲う。
「だ、大丈夫か、ルード? 何処にいるんだよ。出てきてくれ」
「何処にって目の前に……」
息のつまる声がどちらともなく二人の耳に聞こえ、少しの静寂を流れた。それは綾人、ルード。どちらの喉の唸りなのかは分からない。あるいは二人同時なようにも聞こえた。
「ミッシェル、お前……」
ルードの弱々しい声が綾人に恐怖を与えた。次の言葉を聞くなと本能が指令をだしている。だがルードは実に簡単につげた。
「目をやられたのか」
「目!?」
綾人はそっと指先を両目に近づける。
そこにはあるべきものが無かった。
両目があった眼窩は窪み、本来あるべき形状からは大きく離れている。
眼窩に指を入れるが何も無い。弛んだまぶたの皮膚が押し込まれるだけだ。
ふいに襲う急激な吐き気に綾人は膝をついた。内臓全てを吐瀉物に変えたような不快感。膝を付きえずくが口腔からは何も吐き出せない。それが余計に気持ち悪く、不快感が全身を包む。
「その様子じゃ、体の中もやられたか? 情けねぇな。ミッシェル、あんなに啖呵切っといて、目をやられたくらいで、泣くなんてよ」
「な、泣いてねぇわ! でも、くそ! 目が見えなくなるなんて」
そこで気付く。
「ルード、お前は大丈夫なのか?」
ずっと荒い呼吸をしているルードは「最悪だ」とつげた。
「体の中身、全部持ってかれちまったかも知れねぇ。立てもしねぇよ、多分、もうすぐ死ぬな、こりゃ――」
荒い呼吸は続く。
「――ミッシェル、提案、なんだがお前の内臓俺に貰えないか? 礼は、するから」
「逆だろルード、前途有望な若者の為にお前の目をくれ。お前の分までしっかりと世界を見てきてやるから」
お互い皮肉しか言えないがその皮肉が二人には心地良かった。だが分かっているのはもうすぐ死ぬということ。
「まぁ、お前の内臓なんか、貰っても合わねぇから、結局は死ぬ、だけか……」
言い終えたあとにルードの嘲笑が聞こえ眉を潜める。次にはズル、ズル、と、何かが動く音が綾人の不安を加速させていく。
「ミッシェル、特別大サービスだ、俺の目をお前にやるよ……」
「ルードュっ――! っなにゅ!」
バチん! と綾人の両頬に鱗の感触が当たる。鱗は冷めたく、頬の熱が奪われそうになる。
「その代わり生き、てくれよ無駄死になんて、クソくらえだ!」
「鰐の目とか貰っても嬉しくねぇよバカ! てめぇこそ俺の内臓とってどっか行っちまえ」
頬に添えられたルードの鱗を払い、強がりで中指を立てる。その姿は必死に理由なき反抗をする若者のようで、なんだか照れくさく感じた綾人はすっと中指で鼻をほじる。
「おめぇは、ホントにおもしれぇ、ガキだな。ははっ、普通なら素直に受け取る所だぞ、あとずっと勘違い、してっけど。俺は鰐じゃねぇ、龍だ。三千年以上生きた偉い龍様だ」
「ルード、冗談は顔だけにしておけ。龍ってもっと格好いいから」
「うる、せ、ああぁ~いてぇ、いてぇなくそ」
綾人の耳に不快な音がこびりつく。まるで粘ついた水分に異物を入れ込む音と、ぶちぶちと繊維を切るような音。音の次には感触。眼窩に何かを押し込まれ、たまらず声を上げた。
「ちょっ、てめ! ルード!」
「へへ、怒ったか? 頬に、足当てられた位で怒んな、よ」
「手じゃなくて、足だっ、もぎゅ、ぬぁ、ちょ、なっ、」
ごくん。水分を飲み込む、だが水分というには余りにも舌触りが重く、鉄の匂いが鼻をつく。
「龍の血は、全ての傷を癒す、俺の世界の常識だ、自分自身に使え、ねぇのが、残念だ」
両目の違和感と全身の不快感を無視し叫んだ、せめて言葉でルードの意識を繋ぎ止めよう。直感的にそう考え口を開く。
「クソ不味い血なんて飲ませやがって、礼なんて言わねぇぞ!」
同情なんてしない。そんな安っぽい言葉いまは必要ない、だがうまく考えが纏まらずに咄嗟に口からでたのはまた皮肉だった。
「へへっ、さっさと生きろ、クソガキ」
「ルードお前は俺の中で生きる、なんてくそなことは言わねぇぞ! お前はGみてぇにしぶとく俺の中で這いつくばりながら生きるんだよ、潰しても潰しても死なねぇあのくそみたいなしぶとさな! だから生きてみろよくそGルード」
「G……ってなん、だよ。くそ……ガキ」
そのやりとりを最後にルードは沈黙する。
だが綾人はルードに話し続ける。返ってこない返事を恐れるように話し続ける。
全身を包む不快感に最後まで抗ったが、前触れもなく地面に倒れた。
「ごめん……」
その言葉は誰に向けたものなのか分からないまま、意識を手離した。
ーーー
「何故ですか! 理由を聞かせて下さい、転移した生徒達を探せない理由を、納得行く説明をして下さい」
陽菜高校一年C組の担任教師、忍成慎吾は激怒した。
王宮内にある広い一室、そこには王以外の国の重役と騎士団。それと十八名になった召喚者が席についている。
二度目の転移で飛ばされたのは綾人だけではなかった。
計十五名の召喚者達が再度転移され、デンバース内のどこかに飛ばされた。
「忍成さん、落ち着いてください。我々だってすぐにでも転移された者達を探しに行きたい。ですが現状では人手が足りない。先ずは情報を集め、それから動いた方が確実です」
汗を拭きながら国の長官が答える。
隠密部隊が何者かに全滅させられていて此方も手一杯です。と言い終えた長官が沈痛な面持ちで再度汗を拭う。
「そんな事は分かっています!」
忍成修吾は冷静ではいられない。生徒達を守れずにいた自分にも、
あの転移にも、この国にも、この世界にも、二度目の転移で飛ばされたのが我々召喚者のみの現状にも、全てに憤りを感じている。
そもそも最初から生徒達を戦争になど参加させたくはなかった。
だがあの状況で頑なに断れば、きっと良くない方向に物事が進むと思い、渋々だが従うふりをした。
生徒達はどんどん自分よりも強なるが、それでもあの子達は子供だ庇護する存在だ。
生意気だが自分が守らねばと強く思った、いざとなれば皆を連れて逃げる計画も進めていた。なのに……
長官が皆に聞こえるように大声で喋る。
「先程も言いましたが宮廷魔導師達の話では、手を繋いでいた者はレジストが効いている為、そう遠くには行っていないはずです。遠くないのであれば人間族の領地に飛ばされている可能性が高い。
今は他国や各領地に文を出しています。何らかの手掛かりを見つけ次第直ぐに部隊を派遣させます」
だが長官の言葉は忍成には届かない。
「やはりこの件からは手を引かせて貰います。この子達は子供だ、そちらの常識は我々には通じない。今すぐにでも――」
「それはダメです!」
忍成の言葉を、大臣であるバラビットは大声でかき消す。
「彼等は勇者だ、我々の希望だ。頼れる勇者。頼れる英雄が居なければ我々人間族は終わる。
魔人族を倒さねばこの世界は終わる。その魔人族を倒せるのは勇者のみ。故に勇者は立ち止まってはいけない」
忍成はまたかと憤慨する。
「だからあなた達のエゴを我々に押し付けるなと言っているんです!」
かれこれ一時間以上続いた平行線のやりとりは、唐突に終わりを向かえる。
「先生、俺はやるよ」
言葉を発したのは勇者である青峰斗真。
この一言から話し合いは忍成の考えとは、別の方向に進みだす。勇者は言葉を続ける。
「誰よりも強くなって邪魔しにくる魔物や魔人族を倒す。強くなれば転移に巻き込まれた皆を無事保護できる、皆を見つけながら魔人族を倒していけば当初の目的、魔人族全滅にも繋がる。その為に誰よりも俺は強くなる」
簡単に考えればそれだけだよ。と、斗真はさも大した事じゃないと言った口調で告げた。
だが目の中の熱量は誰よりも熱い、皆が一瞬言葉を詰まらせ間を作るが。
「さすが斗真様です。レイは感動いたしました!」
斗真の横がすっかり定位置ですよ。と、言わんばかりのレイが誰よりも早く声を上げ、斗真の腕にしがみ付く。
「もげろ! あっ、違った。斗真の意見に一票で。飛ばされた皆のことは心配だしさっさと強くなって探しに行こうぜ」
皮肉げに笑いながら意見したのはクラスのお調子者、貝塚翔。
「さすが斗真だな! 皆さんそういうことなんでじゃんじゃん俺らを強くしてください」
斗真の親友である熱血漢古賀一樹が、騎士団に向かって声をかける。
「くよくよなんてしていられないよね、うん! もう大丈夫、訓練しよ! 絶対に皆を探しだす」
目を腫らした坂下美桜は決意を口にする。
「にゅふふ。美桜の場合みんなをの前に、綾人君をって言葉が入るんじゃないの?」
「あ~ウザッ。リア充はこれだから嫌なんだよな~」
美桜をからかうのはクラスで一番背の低い(一部からはロリーター戦士と呼ばれている)七海アスカ
同調するのは女子の中で誰よりもボーイッシュな(一部からは暴力系神官と呼ばれている)園羽真琴
転位の時に美桜を押さえていた二人だ。
ちょっと何で今そう言うこと言うの! 顔を真っ赤にして怒る美桜だが、本当に怒っては無いようだ。
最後に、「我が友は俺が見つけるさ」
綾人と死闘を繰り広げた寛二が喋ると、皆がクスクスと笑いだす。
言葉を出さずにいた生徒達は様々な反応をするが、概ね皆決意したように頷き、目に力を取り戻す。
忍成の不安は膨れ上がる。生徒達の正義感と比例していくように。
ーーー
ティターニは弓を引く、ギリギリと音を立てる樫華の木と引かれる弦が三角の形を作る。
高い高い木の上から狙いを定め弓を引くと、百メートル離れた陰場にいるオーガの脳天を突き抜け矢が地面に刺さる。
数秒遅れて額に穴が空いたオーガが地面に倒れ、砂塵になる。
むき出しの岩肌が目立つ森林地帯。陰場を棲みかにしていたオーガの群れが一瞬で混乱する。集団はどこからか放たれた矢に戸惑いながらも辺りを探る。と同時に別のオーガが倒れる。
額に穴が空き、離れた場所には二本目の矢が地面に突き刺さる。
同じようにまた一匹倒れる、間髪を入れずにまた一匹。
次々と矢が放たれ瞬く間にオーガの数が減っていく。
オーガの集団は固まり咆哮を上げた。草花や木が倒れまいと必死に耐える、鳥や動物が逃げ出すなか、放たれた矢は咆哮の圧に負け目標地点に届く前に力なく地面に落ちていく。
ティターニは嘆息をした。
「やっぱり安物の矢じゃダメね」
木の枝を足場に姿を現すティターニは、弓矢を背中に収める。
左右の腰にある短剣を引き抜き逆手に持つと、オーガがいる地に何の躊躇も無く飛び降りる。
その姿を発見したオーガ三十匹は、奇声を上げながら荒々しい足音でティターニに迫る。
「魔物の声は相変わらず不快ね」
それだけ言い圧倒的なスピードでオーガに近づく。
芸術家がこの光景を見ていれば、筆を取らずにはいられないだろう。
それほどまでにティターニの動きは美しく可憐であり、見るもの誰をも魅了する。
美しいティターニの周りには、オーガ達の血と臓物が飛び阿鼻叫喚が響き渡る。
やがて全てのオーガが砂塵になる。
魔物は死ぬと砂塵になる。
稀に砂塵の上にドロップアイテムと呼ばれる物が落ちる。
それは様々だ、魔物の体の一部であったり、普通では手に入らない鉱物、世間一般でレアアイテムと呼ばれる物を落とす時もある、時には食糧など。
ドロップアイテムの種類は無限にある。
ティターニの倒したオーガの数は50匹、これだけ倒せば本来なら貴重な鉱物やレアアイテムが一つはドロップする筈だが。
「なんで私はこんなにもドロップ率が悪いのかしら?」
首を傾げながらドロップアイテムを見ると、オーガの牙が三つのみ。
非常に納得がいかないが、そそくさとオーガの牙を拾い上げ、腰にあるポーチに収納する。
帰ろうと踵を返すが、先程の陰場に人影を確認する。
しばらく考えた後に近寄ると、人間族が倒れている。
――オーガに襲われた? にしては綺麗過ぎる。
てっきり死んでいると思っていたが、確認すると胸が上下に動き浅く呼吸をしている。
「変わった服装ね……」
意図せず言葉が出たあとにティターニは考える。
――どうしよ……
と悩むティターニ。生きている人間をこのままにして置けば、確実に魔物に食われてしまう。
流石にそれは寝付きが悪い、だが人間を運ぶ手段も無い、何より街まではかなり遠い。
担いで行くのは疲れるから嫌だ、悩んだすえ人間が起きるまで魔物を追い払うことに決める。
人間の顔を見ると目にうっすらと涙の跡。だがそれよりも気になったのは。
――この人間何かが混ざってる?
気配感知のスキルを持つティターニは人間の胸を注視する、その何かは人間を食い殺すかのように体内で暴れている。
――ま、どうでもいいか死んだら供養くらいはしてあげよう。
ティターニは人間から少し離れた場所に座り、ポーチから砥石を取りだし短剣の手入れを始めた。
寝ている人間が何かを呟くがティターニには聞こえない。