旅立ち
「さて、あまり時間を長引かせてもいけませんね。——マルシェ皇帝」
エアリアは先ほどから空気と化していた亜人側の一団に視線を動かし皇帝の名を呼ぶ。
バスクードから半身を出す龍人は、現亜人帝国皇帝マルシェ・デミ・カイザーである。
限りなく人に近い龍人であるマルシェの大きな目が綾人を見据えている。身長はおおよそ百十センチほど、見上げる瞳は潤んでいる。
「マルシェ皇帝」
エアリアの声に肩を跳ねた後に、意を決したようにバスクードの陰から抜け出し綾人の前に出る。
「ん? なんだチビっ子? 何か用ッ——」
「猊下。怖がらずとも大丈夫でございます。このボッチキングは私が抑えておりますので」
綾人が気さくに声をかけた瞬間にマルシェは身を固くする。それを悟ったティターニは瞬時に綾人の頭を掴み強引に下げさせると自らも傅き言葉を待つ。
「てへぇ! 舌噛んだじゃねぇか!」
「黙りなさいボッチキング。本来はお姿を見るのも憚られる猊下に悪態を吐く貴様が悪い」
ティターニの目があまりにも真剣だったので、綾人は不承不承で口を噤む。
その様子を見たエルフの視線は亜人帝国の顔役、バスクードの気配を感じた後に目を閉じる。
ティターニは根っからの皇帝教という訳ではない。
兄が評議委員の一員という事もあるので勿論敬ってはいるが、諸点を亜人帝国に置かない身としてはどうでもいい些事である。
だが、この場で亜人帝国に根まで浸っているバスクード元帥や他の評議員もいるが故に、目立つ行動は避けたく、皇帝に従順なフリをする。
その対応が結局は綾人の為になると分かっているからだ。
この場で人族が皇帝を敬わないのはあまりにも不適切といえる。
——バカのお守りは終わりそうにないわね——と胸中で思っているのだろう。
横目で綾人を盗み見た後、静かに目を閉じる。
マルシェはバスクードから一歩前に出るが、何かに耐えかねるような苦痛な表情をすると直ぐに元いたバスクードの後ろに隠れてしまう。
老獅子の後ろから見ているのは綾人とルード。目があうと直ぐに隠れてしまう。
謁見の間にいる面々はその様子を微笑ましく見守っている。
子供特有の人見知りか何かだと考えているからだ。
長らく掛かっていたタルウの催眠が解けたマルシェはここまで他者を拒絶しない。
子供とはいえ王族であり、亜人族ただ一人の龍人族の根には高潔という言葉がある。
故に毅然とした態度で望はずだが、どうしてか体の震えが止まらずバスクードから離れようとしない。
マルシェは再度大きな黄金色の眼で綾人とルードを見る。
言いようのない不安に駆り立てられる。
龍という記号で繋がる三者。
マルシェが怯えるのは、ティターニやエアリアが感じている綾人の呪いか、それとも幼い竜の見た目からは想像できないが、前世界で皇帝邪竜と呼ばれたルードなのか——。
「あげる!」
マルシェは意を決して綾人に近づき、何かを渡した後に全力で謁見の間を去っていく。
皇帝が走り出したので、バスクードは慌てて皇帝の後を追う。
「何だあのチビっ子?」
強引に押し付けられた贈り物を見ながら綾人は首を傾げる。
——マルシェが何に恐怖していたのかは。結局知ることが出来ずに終わる。
強引なプレゼントは古紙だった。
綾人は古紙を広げる。絵画の号数で表せば三十号ほどの大きさの古紙には絵が描かれている。
「熱いな」
その絵を見た直後に右目が熱くなりそう呟く。
モネを彷彿とさせるタッチで描かれているのは天使が獣を撫でている絵画だ。
緑の中で鹿に似た獣は目を閉じ天使の寵愛を受けている。
大きな岩に腰掛ける天使は女である。白い薄布を纏い愛おしく獣を撫でている。
特段おかしな事は無い普通の絵だ。
だがこの絵を見ると——熱いな——と呟きそっと視軸を動かす。
「これ何?」
謁見の間に残る亜人族はセルロスとホローロ枢機卿のみとなっている。
「英雄殿の望んだ品ですよ? 我々が今回の礼をしたいと伝えた時、英雄殿はご指定なされた絵画ではないですか」
ホローロの話を要約すると、王城の客間に飾られている多くの絵画の中でこれを指差し、綾人本人がくれと言ったらしい。
だが当の本人はそんな記憶は当然無い。
直ぐに察しはついた。思考の片隅に現れたのは軽薄な口ぶりの骸骨マスクを被る悪魔。
心根で悪魔に唾を吐き、絵画をつき返そうとしたが。
ベルゼに繋がる手がかりかとも思えば無下には出来ずに、渋々受け取り収納の機能が付く腰袋に収める。
「私からも絵画の贈り物があります。あなた様がご指定いただいた贈呈品になりますが、問題ございませんか?」
エアリアから送られた品も同様の古紙であった。
「我が種族では、絵画を飾るという文化は特にありませんが。祖先からの言伝で何点かは保管しております。これはその一枚でございます」
話半分に聞く綾人を察し、エアリアは言葉を続ける。
「本当にこれがお礼の品でよろしいのですか? あなた様が望むならば我が一族に伝わる——」
エアリアの声は途中から届いていない。綾人は熱が上がる右目を抑え絵画を見ていた。
また天使が描かれている絵画だった。背中から生える大きな両翼を広げ、空を自由に羽ばたいている絵画となっている。その躍動感にはミレーを感じさせる。
亜人族の絵画と違うのは天使が男であるという事と獣はおらず、天使の周囲を楽しげに旋回する小さな精霊が描かれている。
この絵画も特別な何かを感じる気配は無い。
エアリアが何事も言わずに手放す辺り、精霊族にとっても特別な絵画というわけではなさそうだ。
だがどうしてか——熱い——綾人は絵画から目が離せなくなっていた。
「あなた様?」
「王子?」
「綾人?
「相棒?」
皆に呼ばれてようやく自分が絵画に見入っていたことを智覚する。
「ん? あぁ。わりぃ」
絵画に吸い込まれた意識を振り払い、あまり気にしてもと己を納得させ、両種族からの贈り物を纏めて腰袋に収納する。
「では、海国へは私の転移魔法でお送りいたします」
綾人らの足元に魔法陣が現れると、ホローロ枢機卿は一つよろしいですかなと言い。旅立ちを妨げる。
「英雄殿」
「何だい婆さん?」
ホローロは綾人をジツと見詰める。
「私は若いころから呪いが得意でしてね。英雄殿はこの世界で非常に困難な道のりを歩むとそういった未来が視えます」
その言葉に綾人はあまり興味を示していないようだ。
「英雄殿の困難に少しでも抗っていただきたく思います——ブットルいるんだろう!」
ホローロは言葉を区切ると大声で蛙族の英雄の名を呼ぶ。
皆が集まる中心の床に水溜りが発生すると、いつものように蛙顏が現れる。
「流石ホローロ婆さんだ。完璧に気配は消していると思ったんだけどな」
「めざとい小僧だよお前は、英雄殿の旅立ちは部外秘だってのに」
ホローロはどこか攻める口調だが、しわの多い表情は柔らかい。
「あんたの考える事は分かってるよ、どこまで不器用なんだい全く。いい加減出てきな」
ブットルは水溜りから浮上し床に足をつける。
長年使い込まれた茶色の革鎧の上に白い魔術師のローブ、そして背中には大きなザックを背負っている。
「師匠ともどもバカだよあんたは」
その言葉は色々な含みがあるが、決して悪感情での発言ではないのが分かる。
ブットルは反論せず瞑目しホローロの言葉を受ける。
「英雄殿。一つこの婆からお願い事がございます。あなた様の困難の道程にこの蛙族のブットルを同行させてはいただけませんか?」
ホローロは綾人に向き直り真摯な態度で一礼する。
「実力は保証します。亜人帝国内でもこの者と肩を並べられるのはほんの一握り。きっと英雄殿の力になるはずです。如何でしょうか?」
そう問いかけに綾人は逡巡する。ルードやティターニを見るとお前が決めろとばかりの顔。
「俺は別にいいけど、ケロ助には色々助けられてるから信用できるし。クソ野郎をブッ飛ばす力になってくれると思うけど、お前はそれでいいのかよ?」
綾人の目とブットルの無機質な目が交差する。
「空上綾人。前にも言ったが俺の名前はブットルだ」
「分かってるよ! 冗談だって。相変わらず淡々としやがって」
綾人はブットルに近づき肩を組むと、周囲を見渡した後にブットルの耳元で声を潜める。
「いいのかよブットル! 俺はてっきりお前、あの時の女の人に告白してよろしくやってるのかと思ってたのによ。わざわざ俺が恋のキューピットをしてあげたのにどうしてお前は——」
「いいんだ。その事はもう解決したんだ。ティッパの事はおいおいけじめをつけるさ。それよりもお前に恩を返させて欲しいんだ。あの時助けてくれなかったら俺は死んでいた。お前のおかげで願いも叶えられた、今度は俺が綾人の願いを叶えてやる」
どこまでも実直な男の嘘偽りない言葉に、綾人はそれ以上何も言えなかった。
「断られても付いていくさ」
ブットルはそっけなく言葉を足す。
知らぬものから見れば少し無愛想な言葉使いだが、根はどこまでも真面目である。
故に力になりたいとの言葉だ。
綾人は何度かのやりとりでその事を理解している。ブットルの首に回していた腕を離し、背を向ける。
「けっ。ストーカーかよお前は! 勝手についてくるより堂々と肩を並べる位の気概を見せろケロ助め」
「そうさせてもらう」
ブットルの語尾が僅かに跳ね上がる。淡々とした態度と口調だが、恐らく内心は高揚しているのだろう。
微笑みながら綾人の横に並ぶ。
「ブットル。水神流の、サクゴウの作り上げた技を汚すんじゃないよ」
「言われるもでもないよ。ホローロ婆さん——」
その後にブットルは小さく、ありがとう。と呟きガリオとティッパを頼むとホローロに頭を下げる。
「本当にあんたら弟子達は揃いも揃って、お互いの心配ばかりだね。昨日はガリオが私に頭を下げて、一昨日はティッパ。今日はあんたかい。ったく仕様のないよ——」
ホローロは綾人に向き直り深々と一礼する。
「英雄殿。どうかこの不器用な男の事。よろしくお願い致します」
「任せとけよ婆さん。うし! 湿っぽいのは嫌いだし、先生! さっさと転移頼むよ!」
「かしこまりました。どうか無茶はせぬようお気をつけて」
旅立つ者達の足元に、アラベスクを思わせる魔法陣が現れる。
「野々花凛! 待ってるぜ」
綾人は凛に言葉を贈る。凛は首を縦に振り精一杯答えた。
その光景を微笑ましく見守るエアリア。
「ティターニ、これを」
兄はティターニに大きなザックを渡す。
「旅には危険が多いからね。色々と贈り物を入れさせてもらったよ」
「ありがとうございますお兄様。ですが過保護が過ぎますよ」
「兄が妹の心配をするのはれっきとした義務だよ。今度会うときも無事な笑顔を見せておくれ」
「もちろんですお兄様。暴蘭の女王の名は伊達ではございませんので」
ティターニはザックを背負い。兄に微笑みを贈る。兄は妹が大きな存在に感じ心配は要らぬと身を引く。
「ルード! ——王子をよろしくね!」
「任せとけ!」
別れを惜しむように凛はルードへと声を掛ける。ルードは真摯に答える!
ホローロはブットルに近づき布に包まれた小包を渡す。
「いざとなったら使いな。それと、けじめをつけたら戻っといで。あんたにはやらせたい仕事が山ほどあるんだ」
「怖いな。ホローロ婆さんが死ぬ前には戻ってくるさ」
一通りの別れを済ませるとエアリアは転移魔法を発動する。
一瞬間、隣に立つ者すら視認できない眩い光が、謁見の間を包むと次の瞬間には綾人、ルード、ティターニ、ブットルの姿は消えていた。
旅立つものが去った謁見の間は、酷く寂しい雰囲気に覆われた。
「直ぐに追いつくから」
しばしの別れを惜しむ力ない言葉を聞き、エアリアは凛に寄り添う。
こうして亜人帝国での激動の日々が終わった。後に残ったのは大きな被害という結果だがそれでも被害は抑えられたと言ってよい。
英雄は不意に現れ不意に去る。本人にその気はなくとも一日戦争を止めた功績は吟遊詩人によって永久的に語り継がれていくだろう。
お付き合いいただきありがとうございます。
まだ続きます。
良ければもう少しだけお付き合いください。




