大樹ダアト
「志望動機は?」
「はい。先日の一日戦争の時に自分はなにも出来ませんでした。怖かったからです。でも、戦争は終わりました。噂では長引くと予想していたにも関わらず。戦争が終わった時に僕は亜人族の一人として何ができるのだろうか? そう考えた時に精霊族との和平を全力でお手伝いする事なのじゃないかと思い志望致しました」
「ふむ。なかなか立派な志だね」
「ありがとうございます!」
「元気があって良いね。どう思います。ルード教官?」
「ええ。悪くないと思いますよ。綾人教官」
「ですね。君採用。ようこそ我が亜人帝国に! ところで名前なんていうの?」
「ありがとうございます! 名前はピピンと言います!」
気弱そうな犬族の青年ピピンが頭を下げる。
それを見て満足そうに頷くのは亞人帝国の濃緑色の軍服を羽織る空上綾人。ルードはいつものように片端に浮いている。
精霊族と亜人族の戦争から数週間が経過した今日。戦争時のような暑すぎる日差しが亜人帝国を照らしている。
場所は中央広場に設えたテントの中。軍人を募集する際の面接ように仮設されたテントの一つ。
戦争の後処理で人手が足りなくなった亜人族は軍人という形で国に奉仕する人材を募集した。
ピピンのように集まった人数はそれなりにおり。急遽多くのテントが仮設され、募集に集まった者たちはそれぞれ指定されたテントに赴き面接をしている。
「あの、すみません」
五、六人も入れば窮屈だと感じるテント内で、ピピンは迷いながらも教官二名に声を掛ける。
「なにかね? ププン君?」
「おいおいルード教官、名前を間違えるなんてコスタリカ君に失礼じゃないか」
「名前はピピンです。あの、そちらの幼竜の方はともかく、人族の方ですよね? どうして面接官をやられているのですか? というか、どうして軍服を着ているのですか? それは亜人族しか着られないはずだと思うのですが?」
至極もっともな意見だ。
「あれ? 君知らないの? 軍人において情報は大事だよ。ピプランカ君」
「ピピンです」
「一日戦争を止めた英雄の話を知らないのはいただけないな。ねぇ? ルード教官?」
「全くですね綾人教官。歴史に残る偉業だよ。パパン君」
「ピピンです。教英雄というのは、それって、もしかして——」
ピピンの目が輝く、ピピンは十代の少年だ。英雄という言葉に胸が熱くなるのは自明の理と言える。熱量のある眼差しを向けられた綾人教官は、さながら洋画の吹き替えを誇張した、大げさな態度で返答した。
「おいおいおい、やめてくれよ。君が憧れるのは勝手だが、そういう質じゃないんだよ。英雄は君一人のものじゃないんだから。皆の英雄だからね。そうですよね? ルード教官?」
「いやはや、全く。若さとは時に羨望を憶えますな綾人教官。体面を取り繕などせず素直に尊敬を送れるのですから。君も皇帝邪竜の信者になるかい?」
「何言ってんだこの黒豆竜? お前は何もしてないだろ」
「おい相棒、今なんつった?」
「さて、バカなチビ竜は無視して、どれ、握手でもしてあげよう——」
「はっ! 泣き虫は無視して、どれ、君も皇帝邪竜と握手でも——」
「英雄ブットル様ですね!」
「ん?」
「へ?」
偉そうに差し出そうとした右手は上空に上げられ自身の頭の上に置かれる。という全く同じ行動をとる愚か者二名。
「いや、英雄は空上綾ッ——」
「英雄は皇帝邪竜のルーッ——」
「僕はブットル様のようになりたいです。憧れています! 長い間タルウの魔の手にも屈せず道場や仲間を守り抜く芯の強さ! 僕はブットル様のようになりたいです!」
タルウのこれまでの行いは全て露見されている。
大樹ダアトに火を付けた首謀者でもあり、ブットルを悪と仕立て上げたやり方も、サクゴウの残した道場を追い込んだ事も、それだけではなく今まで隠蔽していた罪状を上げればきりがない。推定見込みだがタルウによって人生を狂わされた人数は数万人。暗躍によって殺された数は数千人とされている。
大罪人という言葉では済まされない。今のタルウの価値は道端に転がる石よりも低いといえる。
一方ブットルは亜人帝国の英雄として祭り上げられている。
タルウの卑劣な行為にも屈せず、亜人帝国に裏切られてもなお帝国に尽くした愛国心の男、また大事な者、大事な道場を守りきった男として広く民衆に知られる事となった。
「もしかして、教官殿はブットル様とお知り合いなのですが? 様々な国に赴いていたと謳われておりますからね、きっとその時に人族である教官殿と出会ったのでございましょうか?」
ブットルは今や時の人、吟遊詩人によって英雄の誉れとして謳われている。
「まぁ。知り合いっていうか、あいつは——俺が育てた、みたいな感じかな。ね? ルード教官?」
「え? ブットル様のお師匠さまは羊人のサクゴウ様だと言われておりますが」
見栄を張ったが故に胡乱な眼差しを向けられ、しどろもどろになる阿呆。我関せずの眼差しでルードは綾人に冷めた視線を送る。
なんとなく気まずい空気が流れるが、それを破るように来訪者が現れる。
「——悪い。遅れちまった」
声と共にテントに侵入してきたのは獅子人のガリオ。
綾人はガリオの登場に。やべ! という反応をする。ガリオがピピンを見ると険しい顔つきになっていく。
「おい、誰だこいつ? ここの中で大人しくしてろって言ったろ。もしかして勝手に面接でもしてたのかよ?」
「いや、ちょっと暇だったからさ、ガリオ君の仕事を減らしてあげようかなと思って」
「おい、頼むぜ。バスクードのおっさんに見つかったら大事だせ? 影武者しかり、替え玉しかり、普通は目立たずにやり過ごすもんだぞ」
ガリオは黒で統一された服を脱ぎ綾人に渡す。
「うるせぇ、うるせぇ! お前がどうしても外せない用事があるっつうから面接官を変わってやったんじゃねえかよ! やるんじゃなかったよ! クソが!」
悪態を吐く綾人は軍服をガリオに投げると先ほど渡された黒の洋服を着る。
「お前らもうすぐ出発だろうが、準備は終わってるのかよ?」
軍服を着るガリオが綾人に問いかける。
「うるせぇな! オカンみたいなこと言いやがって! こんな獣臭い場所なんざこっちから出ていってやるよ! バ〜カ」
悪態を重ねながら去ろうとする綾人だが、入り口近くで足を止めガリオを盗み見る。
「で、大事な用事とやらはどうだったんだよ? ちゃんと済ませたのかよ?」
「ああ。無事に師匠を見送る事ができたよ。良い顔してたよ師匠は——ありがとな。それもこれも、お前のおかげだよ」
ガリオはどこかさっぱりしたような顔で感謝の意を伝え、頭を下げようとした時——。
「あの? お二人はお知り合いなのですか?」
二人の会話があまりにも自然であり、まるで旧友さながらの雰囲気にピピンは疑問を投げかけた。ガリオはここでようやくピピンに向き直る。
「ん? お前は入隊希望者か?」
「は、はい! ピピンと申しまっ——え? 嘘? もしかして、ガリオ大尉でありますか?」
ピピンの目が輝き出す。
「英雄ブットル様と旧知の仲で、一日戦争では精霊族との橋渡しも務め、さらにさらにどんな逆境にも耐える胆力から鋼鉄の二つ名を持つ一日戦争のもう一人の英雄。ガリオ大尉とお会いできるなんて! あ、あ、握手して下さい!」
ピピンは興奮しガリオに詰め寄り握手を求める。傍目から見てもピピンは本気でブットルやガリオに憧れを抱いているのがよく分かる。
そしての憧憬を抱いて欲しかった当の本人はそれを目の当たりにし。
「おい綾人、この子は——って、なんでお前涙目になってるの?」
「うるさいバカ! 羨ましくなんて全然思ってないから! 勘違いすんな!」
足早にテントから去ってしまう。
ルードはガリオと短い挨拶を交わした後、バカを見る目を綾人に向け後を追いテント外へと羽ばたいていく。
「なんだあいつ? 変なもんでも食ったのか?」
「あの、ガリオ大尉。さっきの人族は誰なのですか?」
「ん? ああ、あいつは——そうだな。何て言ったらいいのかな」
獅子人ガリオは笑う。長らく過酷な状況に身を投じていた為に忘れていた笑顔は不意に訪れ、自身でも驚いた。
「あいつは俺らの、いや——亜人族と精霊族の“英雄”だよ」
その声と顔は驚くほど清々しかった。
亞人帝国の街中を走る綾人。住民の大半は復興作業で大忙しの為、往来には人通りが少ない。
食料や物資を運ぶ馬車、商いの声。道行く亜人達の姿を見ると戦争後でも帝国内の暮らしはさほど変わらないように見える。走る綾人とルードを亜人達は気にしていない。
亜人帝国内に別種族がいるのはありえない事だが、帝国からのお達しにより一日戦争に関わった者のみ立ち入りを許されている。故に綾人とルードが往来を走っていても誰も気にも止めない。
「相棒。そろそろティターニの所に戻ろうぜ」
ルードの声かけで綾人は足を止める。
「お、おう。そうだな」
「まだ気にしてんのか?」
「いや。全然! な、なんにも。っていうか何の事を言ってるんだいルード君?」
「え? いや、ティターニに俺達はッ——」
「てめぇ! まだ憶えてやがんのかよ! さっさと忘れろ!」
綾人はルードを捕まえようとするが幼竜はそれを躱し、小さな羽を動かしながら亜人帝国の中心地たる王城に向かう。それを追いかける綾人。
今日は旅立ちの日となっている——。
亜人族、精霊族、双方の和平は締結の形で進められた。
戦争勃発から僅か数時間で終結したこの出来事は一日戦争と名がつけられる。
一日戦争では特A戦犯としてタルウ公爵の名が公開された。
当初はタルウの死刑を望んでいたが方向が変わり、死よりも重い苦痛をというのが精霊族側の和平への第一段階とされた。亜人帝国はこれを承諾。
タルウ本人は今、拷問室で死よりも辛い責め苦を受けている。
何故精霊族側が死刑ではなく拷問を選択したのかははっきりとした理由は語られていない。
同じようにタルウの指揮下で動いていた奴隷商人コウレツ。この男には精霊族の奴隷紋解放が命じられた後に、重罪としてタルウと同じく拷問の処置が行われる。だが三日と経たないうちに何者かに拉致される。現在の消息は不明。
その後、戦争に関わったタルウの配下、貴族などは戦争終結の翌日には死刑が執行される。その数は二千六百。彼等はタルウから溢れた甘い蜜に群がる者として汚名のなか死刑が執行された。
一日戦争の終結で次に話題が出るのはタルウにもっとも苦しめられた者達。
サクゴウの弟子、ブットル、ガリオ、ティッパ。
サクゴウは大樹ダアトを燃やした大罪人という汚名は返上された。根も葉もない嘘は全て露見しその首謀者がタルウというのも亜人帝国の周知の事実となる。
ブットルは最も亜人族に貢献した男として民衆から英雄と呼ばれ、ガリオはこれまでの功績が認められ特進を果たし大尉となる。周囲は除隊するものとばかり思っていたがどうしてか除隊はせず、軍に残る事になる。
その理由は本人曰く、軍も悪い奴らばかりじゃないからとの事。
最後の一人。蝙蝠人のティッパは奴隷紋を施されてからの記憶は殆ど無い。
気が付くと病床の寝台の上におり。事の顛末を聞いた時は酷く狼狽したという。動けるようになった後、師サクゴウが残した道場に戻ると入所希望者が殺到。その対応に今日まで追われている。
亜人帝国はホローロ枢機卿の指揮の元、復興と和平に力を入れている。
皇帝であるマルシェは常時なにかに怯え、自身の部屋から出て来ようとしない。バスクード元帥が常に側におり皇帝を守っているとの事。
精霊族は代表者エアリア。サポート役のサラマンを残して全ての者達は本拠地へと帰還している。
本拠地に帰った精霊達はそれぞれの家族と無事に再会できている。
綾人を助けた女、サギナは傷を負いながらもどこかえと消え、そのまま消息不明となっている。
綾人の腹部を、正確にはサギナの腹部を刺した精霊はあれ以来姿が見えない。
——ルードを追う綾人は亜人帝国後方に聳える枯山を見て足を止める。
「ん? どした相棒?」
足を止めた綾人を不思議に思いルードは問いかける。
「ん? いや、ちょっと思い出してさ」
「思い出す? 何をだ?」
「いやっ、なんつうか。不思議な——夢だったのかな?」
要領を得ない回答に首を傾けるルード。
綾人が体験した不思議な出来事が分かるものは、一人しかいないだろう。
——戦争終結から一週間後の夜に不思議な体験をした。
綾人は日中、戦争の中心地である中央広場で復興のボランティアをし、日が暮れた頃に寝食の世話になっている王城に戻るという生活をしていた。
浴場で湯に入り疲れを癒し、明日もガリオらと復興作業に精を出そうと考え部屋へと戻る。
「空上綾人。今、時間あるか?」
部屋でくつろいでいた際に脳内に声が響く。
「ったく。魔法使いって奴は変態ばっかりだな。プライベティーというものを大事にしろよケロ助!」
「プライベティー? よくは分からんが不快な思いをさせてしまったのなら謝罪する」
綾人に与えられた一室。毛並みの良い絨毯の一部が水溜りとなり。顔半分を出したブットルが現れる。
ブットルの謝罪を片手を上げ、気にしてないとポーズをとる。
「で? 用って何だ? 明日も朝一から訓練の後に、瓦礫の撤去やら炊き出しで忙しいんだから。俺は早めに寝たい」
手早く用を伝える。どうにも勤勉な面を見せる綾人。それは農業に勤しんでいた時にも証明されている。
「合わせたい人がいるんだが——付き合ってくれるか? その、できればでいいんだが、師匠はその——」
ブットルが言い淀む。
機敏に察する綾人は続きを促す。口下手な男は重い口を開く。
「俺の師匠に会ってくれないか? 手間は取らせない。会ってお前の冒険譚を話してほしいんだ。師匠は気骨がある者が好きでな。空上綾人の事を気にいると思う。それに単純に合わせたいんだ、俺ら三人と師匠の残した道場の恩人でもあるお前を、その——会わせたいんだ。師匠に、お前を」
ブットルは普段から口数が多い方では無い。ましてや舌が回る方でもない。それでも必死に言葉を選んで思いを伝えた。裏側にある師であり、父でもあるサクゴウの今の容態を言うのは憚られた。そんな状態で会っても意味は無いと言われればそれまでだから。それはブットルには触れられたくない領域でもある。
下手くそで、鈍臭い説明だが、伝わるものはある。故に——。
「うし、じゃあさっさと行くか!」
——空上綾人はその機微が分からないような男では決してない。膝を叩き寝巻きからいつもの黒一色の洋服に着替える。
一日戦争で傷付き破れた服ではない。亜人帝国お手製の最新最高の黒服。注文の多い男の要望通りスカジャン仕様で背中には大鷲の刺繍。黒のティーシャツ。スキニーのように伸縮自在のズボン。ブーツや他の服にも最高峰の繊維が組み込まれておるため。他愛ない攻撃などは弾いてしまう。
「どうした? 早くいこうぜ?」
「すまない。師匠も喜んでくれる——」
ブットルの言葉尻は綾人の足元に現れた水溜りによってのまれていく。
聞き返すも次の瞬間には大きな水の塊にのまれていた。視界は全て水色に変えられ、塊の中には小さな波が起きている。原理は不明だが呼吸はできる。そして非常に居心地が良い。まるで母の胎内のような安らぎに目を閉じ、綾人は少しの合間眠る。
「ここは?」
ブットルの声で目を覚ます。視界に飛び込んできたのは夜山の只中。
緑が茂り、木々があり、山特有の青くさい匂いと湿気を含んだ土の感触が五感を刺激する。夜行性の動物が鳴き、尾っぽを光らせる虫がそこかしこにおり周囲を照らしている。
この場所にブットルは覚えがあった。背中に尊大な生命力を感じ振り返る。
「ダアト——」
一本の樹があった。
大きな、とても大きな樹だ。天にまで届くほどの大きな樹はその存在だけで他を圧倒している。視線を上げると若々し緑の葉の間から夜空が広がり、美しい星々が瞬いている。
「ここは緑山? どうして? それにこの姿は生前の姿。ダアトもある?」
ブットルの記憶では緑山は焼け、ダアトも焼け崩れている。その犯行はタルウが悪魔の手を借りていたのは明白となっている。だが目の前にあるのは生前の姿をしたダアトであり、同様に一番美しかった頃の緑山の姿だ。
「転移結界?」
ブットルは思い当たるならと、その言葉を口にする。
転移結界は発動した者の心象風景の中に対象者を強制的に転移させるという高度な魔法。そうそう扱える者は少ない。
そもそも魔法移動に合わせ強制的に割り込むには、絶対的な魔力干渉か発動者の魔法の基礎構築を知っていなければならない。
ブットルに魔法で干渉できるものなどそうそういない。魔法使いとしての練度があるからだ。となれば基礎構築の段階で介入するしかない。
思考は徐々に冴えていく。戦争孤児であった自分を拾ってくれた人、生きる力と、魔法と、家族という居場所を作ってくれた人物しか介入できない筈だ。
だとしたらそれは——。
「し、師匠」
あまりにも弱く、脆く、崩れた声。
「なんだ? チビ助」
暗闇から現れたのはブットル、ガリオ、ティッパ三人の師であり親でもある羊人の亜人。
「師匠、意識が戻られたのですか?」
「んっ? ——んん」
サクゴウは病床の衣類を着ている。裸足で土の感触を確かめながら少し歩くとダアトの前で立ち止まる。
「ありがとうな、チビ助」
「——え?」
ブットルは混乱していたが、呼ばれ慣れたチビ助という言葉に反応する。
「戦ってくれて。ジッケとロンの、カーチェの意思を継いでくれて、良い土産ができた——彼奴らも、きっと喜んでくれるだろ。チビ助に伝えたくてな、一人じゃ無理だったがダアトが力を貸してくれたんだ、やっぱりダアトは偉大だな」
サクゴウの言葉はブットルには理解できない。首を捻るが師匠から続く言葉は無い。
「彼奴ら、とはガリオとティッパの事ですか? そうだ! 今すぐ二人を呼びにっ——」
「いい。大丈夫だ。チビ太とチビ子にはさっき会ってきた。呼びに行かんでもいい」
「——そう、ですか」
サクゴウはダアトを見上げ、時折触れて頷いている。
ブットルはそんな師匠の動きに都度反応する。声をかけたいがどうしたらいいのか、話したい事は山のようにあるが、何を言ったらいいのか迷っている。
「なあ、ケロ助? あの人が俺に会わせたい人か?」
綾人は状況が飲み込めていないが故に問うた
「あ、ああ。そうだ! 師匠! 紹介したい者がおります。人族の男ですが中々に気骨がある者です。きっと師匠の好みそうな武人です!」
ダアトを見上げていたサクゴウはゆっくりと視線を下げ、綾人を見る。次には体を向け一礼する。
「ありがとう。人族の方。息子と娘を守ってくれて——。あの時助けてくれて、再開の時間までいただけたのは全部貴方のおかげだ。ありがとう」
人から感謝を受ける事が少ない男である。いつもの戯けた返しを出来ずにテンパってしまう。サクゴウの死刑執行を助けた事を綾人自身は忘れているがそれを言うのは違うと、この男にしては珍しく紳士に対応する。
「いえ、あの、ご丁寧にありがとうございます。えっと、えっと。こちらこそケロ助君には助けられているんで」
綾人の頬は赤い。素直に礼を言われ素直に喜び。素直に感謝の意を伝える事がどうにも照れくさいからだ。綾人をここまで素直にさせるのは、サクゴウという男から溢れ出す偉大な父性がそうさせているのかもしれない。
「空上綾人! 俺の名前はブットルだ。師匠がつけてくれた名前があるんだ!」
サクゴウ同様に綾人も頭を下げ礼を言うが、ブットルが直ぐに正す。
「分かってるよ! わざと言ってるんだろうが、空気読めよブットル。あと俺をフルネームで呼ぶな、綾人様と呼べ」
「どうしてお前に敬称をつけなきゃダメなんだ? 綾人と呼ばせてもらう」
頭を上げていたサクゴウは二人のやりとりを微笑ましく見た後、ダアトに触れ目を閉じた。
——あぁ。分かっているよ。ジッケ、ロン。今いくよ——。
「ブットル!」
「はい! 師匠!」
唐突に名を呼ばれたブットルは背筋が伸びる。その声には張りがあり、生前の強く、逞しい姿を彷彿としたからだ。
「授けた流派の名は?」
「水神流です!」
「水神流とは?」
「最新最強たれ!」
「受けた恩は?」
「倍以上で返す! です!」
「よろしい!」
強く頷くサクゴウの姿を見てブットルは身震いする。
それは久々の師との交流もあったが、もう一つは通信魔法が送られてきたからだ。送り主は——。
「ティッパか! ガリオもいるのか? そうか、それより今っ——え? 嘘だろ? だって今、俺の目の前に、そんな——」
通信魔法の送り主はティッパとガリオ。二人との会話は少なく、直ぐに終わった。
ブットルは信じられないという顔でサクゴウを見る。師はダアトを見上げていた。
「そんな——」
ブットルの口から言葉が溢れる。震えた声には様々な感情があった。一番強い気持ちは信じたくないという想い。
「——し、師匠」
またも震えた声で言葉を漏らす。あまりにも弱々しい声は嗚咽交じりとなる。
「——————ししょう!」
ブットルは叫んだ後に大声で泣いた。膝を付き、子供のように泣いた。縋るようにサクゴウに手を伸ばすが——決して触れる事はできない。
「ありがとうブットル。俺の息子。最後に良い思いができた。ありがとう」
サクゴウは夜空に手を伸ばす。
「あぁ——カーチェ。今行くよ。待っててくれてありがとう」
夜空が役目を忘れ、空が白く輝く。黒から白へと変わる世界は強い光に満ちている。眩い光が緑山全体を照らす。
「カーチェ。君は少しは褒めてくれるかい?」
光の中でサクゴウの声が聞こえた。
目を開けられない程の光は徐々に収束していく——
サクゴウは最後に「ありがとう」と言った。
綾人が目を開けると王城内の部屋におり、あまり寝心地が良くないベットの上に大の字で寝ていた。
さっきまで山にいて、ブットルとその師匠と居た筈だったが? と考えを巡らすが急激な睡魔に襲われる。
あれは夢だったのか? という腹落ちしない感想のまま眠りに落ちた。
「——相棒?」
ルードの声で意識が戻る。あれは——と考えたが答えは出なかったので考えを止め、走り出した。
生命の大樹ダアトの周りには緑がめきめきと成長している。それは誰かの願いと比例するように。
綾人は背中に熱を感じ振り返るが何も無い。まあ、いっか。と笑い飛ばし目的地の王城に急いだ。




