うざい奴が直ぐ去るときはだいたい何かある
真っ白で何も無い、音も消えた空間で因縁の相手と対峙する事が出来たが、指一本も動かせない状態での対峙となった。
因縁という言葉はあまりにも半端な表現といえる。綾人にとっては殺すべき相手というのが適切な表現だろう。
その相手に何とか挑もうとするが大の字で寝そべる体は、まるで自分の体ではないような、それこそ鉛にでも変えられたような感覚に奥歯を噛む。
それを全て分かった上で悪魔は飄々とした態度で言葉を送る。
「ベルゼ君は〜久々に会えて〜嬉しいのに〜綾人は〜つれないな〜」
小バカにした言い回しでベルゼは綾人の顔を覗き込む。前回会った時同様に緑色のパーカーにハーフのチノパン、足元はスニーカー。
「てめぇ、相変わらず人をおちょくりやがって、なんだよこの真っ白な場所は、さっさと死ねよ」
「いやんいやん! 大好きな綾人キュンの為に用意した場所なのに! ベルゼ君ショック〜」
わざとらしい抑揚で答え、これまたわざとらしくシナを作るベルゼは真面目に返答する兆しがない。
「殺す。てめぇだけはマジで殺す」
「ハッハー! 綾人は相変わらず楽しいな〜! ゆかいゆかいっと!」
「——っぐ!」
動かぬ体のまま声だけを凄ませるが、ものともせずベルゼは靴底で綾人の胸を踏みつける。
「——っ、ころ、す!」
「も〜殺す殺すって、それしか言えないのかい? もっとバラエティに富んだ語彙が必要だぞ綾人キュン、そんなんだから君はいつも死にそうになるんだぞ、プンプン。これはさながら魔女の予言を信じすぎたマクベスか! ってね? でも大丈夫!」
ベルゼの言葉尻と同時に綾人は血を吐き出す。治りかけた内臓が圧迫されていく。スニーカーが綾人の胸中にゆっくりとめり込んでいく。
「君の人生は影法師で終わらせないからね! ベルゼ君そこは約束するよ」
足が退く。綾人はベルゼを睨む。ベルゼはあの洞窟の時のように綾人の周囲を楽しげに歩く。
「今回は少し乱暴な演出だったかな? レヴィってば僕の許可もなく君に会いに行くんだもん。困ったもんだよ、しかもネタばれするし〜そりゃこんな結末になっちゃうか。でも、まあ、面白かったから〜良かったとしよう!」
骸骨のマスクが綾人の顔を覗き込み言葉を続ける。
「さてさて、亜人族の試練をクリアした綾人キュン。次回、海人族の闇を暴く! 良い! 実に良いタイトルだね。ベルゼ君感動〜。ということで綾人キュンはこの後、海人族の本拠地、海国に行くように! シュビッ」
下手な敬礼で煽る悪魔は楽しげに笑う。
「うるせぇ、黙れ! てめえの所為で何人死んだと思ってるんだクソ悪魔!」
「ハハッ。うける〜。君はお肉を食べる時いちいち家畜の数を数えながら食べるのかい?」
「——ッ」
その一言は悪魔ベルゼの根幹にある考えだと綾人は感じた。
「全く、僕がどれほど苦労して君をこの戦争に巻き込んだか分かってるのかい? レヴィとコンタクトを取って、色々手を回して戦争を起こして、緑色の精霊にコンタクトを取って君に繋がるようにしたり、今度は亜人族の婆さんと精霊達を繋げて内々で話し合いを終わらせて君をスムーズに巻き込むように手配したり、もぅ本ッ当に大変だったんだからね! そこのとこ分かってるの? 綾人キュン!」
エアリアが綾人に連絡したのは全てベルゼが裏で手を回していたから。それだけの事だった。何も綾人が特別な存在で、選ばれた訳ではなかった。
初めてエアリアとコンタクトを取ったあの日から、ベルゼの魔手はゆっくりと綾人の首を真綿で絞めていた。
「でも〜そろそろご褒美をやらないといけないかな? ロバの前に人参を吊るあれの要領だね。うん! そうしよう! 海国に行ったら君と勝負してあげるよ。僕をぶっ殺せるチャンスだよ〜それに、海国には君のクラスメイトがいるからね。その子を助けてあげないとね?」
嘘だらけの男だが、クラスメイトに関しては本当の事だろう。この悪魔はその気にさせる事は長けているのだから。それは綾人とて重々に承知している。
「さて、そろそろ行こうかな。綾人キュン、次は海国で会おう!」
ベルゼの割にはあっさりと手を引く様が実に怪しさを物語っている。綾人は不審に思うがどうにもこの状況では部が悪い。ならばと考え——。
「待て、ってもどうせテメェは待たないだろうから、もうどうでもいいけどよ。最後に一つだけ聞かせろ」
白い空間に靄がかかったように全体がぼやけだすとベルゼの体も同様に薄くなり始める。
「テメェは俺に、いや——違うな。テメェが望んだクソなシナリオだと最終的にこの戦争はどうなってたんだよ?」
和平への道はおそらくベルゼの望んでいた結果ではない。
綾人が戦争に巻き込まれるまではベルゼの計画通りだった筈。だがそこから幾つもの、奇跡と呼ぶには些か陳腐な出来事が、重なりに重なった故にこの状況は作り上げられている。
悪魔の声が変わる。わざとらしい抑揚などなく、落ち着き払った声。
「勿論、君が亜人族と精霊族の両方から——嫌われて、殺される予定だったんだけどね、惨めに滑稽に僕を楽しませてくれると思ったんだけどね」
「じゃあお前のクソ計画は狂わせたのかよ、ざまぁ!」
——殴れないならとせめて別の手で一矢報いようと考え、綾人は問いかけた。
全てがベルゼの思想通りとは行かず、そこを指摘できた綾人の読みは的を得ていた。
ベルゼはうふふふ。と笑う。
「必ず海国に来なよ綾人。君のクラスメイトも救えるし、僕と勝負できるチャンスだしね」
白い世界の空間にヒビがはいる。強化ガラスをハンマーで殴ったような細かなヒビは無数に現れ邂逅の場が終わりだと告げていく。
「——そうそう、暴力エルフに伝言よろしく。君の聞きたかった事を教えてあげるって言っておいて、そしたら余計に海国に行く理由が増えるしね、あぁ、そうだ。僕からプレゼントがあるからきちんと受け取っておくんだよ。それと、日本に戻れる手段はちゃんと憶えているかい? 絵画を集めるってやつ? 綾人キュンは頭の回転は早いけどそういう所はバカそうだから、ベルゼ君が段取りつけてあげるよ。優し〜」
絵画を集める。その言葉はうっすらと記憶のある単語だった。
「待ってるよ。綾人」
その言葉と同時にベルゼは消える。
直ぐに、瞬きする間もない早さで白い空間も消えた。
まずは色が蘇る。空の青色。治療が間に合わず血を流すがそれでも笑う者の赤色。
「あなた、様?」
「どうした? 空上綾人?」
エアリアとブットルの緑色。
「あ、ああ」
綾人は返事といえない返事を返すと次には歓声が耳を襲う。
戦争終了の余波はどんどんと広がっていっているのだろう。
歓声、笑い声、怒鳴る声、泣き声、様々な声がこの中央広場を包んでいる。
ベルゼと会う前に戻った事を改めて確認する。
エアリアとブットルの魔法で幾分か回復した綾人は何とか立ち上がれるまでに回復する。一息つくと周囲の歓声に混じり少女の悲鳴が聞こえた。
喧騒にまみれたこの場所でどうして少女の声が聞こえたのか。その声がこの場にはそぐわない金切り声だったのが理由にはあるだろう。
「納得がいかない!」
声の主が綾人に近づいていく。
「私のお兄ちゃんが死んだのに! どうして生きてるの⁉︎」
綺麗な羽の少女がそう叫んでいた。
少女は綾人に睨みながら近づいていく、綾人も少女の元に近づく。癒えない傷のせいで足元は覚束無い、それでも近づかなければならないと足を前に出す。
ブットルとエアリアは、そんな綾人の行動を止めはしなかった。
「守るっていったのに! 嘘つき!」
その少女との約束は果たされなかった。
少女は泣いている。泣きながら綾人に近づく。
綾人は少女に誠心誠意謝る事しか出来なかった。
少女と綾人、どちらかが触れる瞬間に——両者の間に黒い影が割って入った。
「——ッ! ふふ。こんな子供を泣かすとは男としては褒められんぞ、サラマン」
綾人の目の前には精霊族の少女を抱きしめる黒い女——サギナがいた。名前は今だに間違えたままだ。
「——痛いな、生身の箇所が傷つくのは随分と久しい」
精霊の少女の手には刃物が握られており刃先は赤く、血が滴っている。
サギナは腹を抑えながら膝をつく。倒れる寸前で綾人が抱きかかえる。
「おッ! おまっ! な、なに——」
突如の事態に綾人は考えが追いつかない。精霊族の——約束をしたあの子が自分を殺そうとした事も、それを殺し合いをした女に助けられたのも、何がどうなってこうなったのか理解が出来ない。
「落ち着け。それでも私に勝った男か? 堂々と胸を張れ。お前を殺させる訳には行かないからな——」
サギナの血に塗れた手が綾人の頬に触れる。
「お前といると楽しい事が多そうだ、悪くない。現に追ってきて正解だった」
サギナが視線を外した先に精霊のあの子がいた。サギナの腹を抉った刃物で今度は自身の首を跳ねようとしていたが、それをエアリアとブットルが止める。
少女の目は伽藍堂のように色をなくしている、
綾人はどうして? と回らない頭で必死に考える。行き着いた先は一つの言葉。
——プレゼントがあるからきちんと受け取っておくんだよ。
どうしてあの一言に注意を払えなかったのか、悪魔を信じてはいけないのだと分かっていたのにと――悔しさのあまり震えが収まらない。
——結局俺は、誰も救えていねぇじゃねぇか。
いつの間にか血の味が口内に広がっていた。唇を強く噛んでいたようだ。
荒い息を吐くサギナを抱きしめる。悔しがる前にやる事がある。そう己に言い聞かせサギナの傷を見た時に、遠くで聞きなれた声が聞こがした。
「相棒! ここにいたのか! 一緒に来てくれ」
ルードが小さな羽を必死に動かしながら上空より綾人の元に急降下する。
「ティターニが、ティ、ティターニが!」
全速力で移動したのだろう、ルードは息継ぎばかりして二の句が告げづにいた。
血の気が引くのが理解できた。傲慢なエルフの顔が脳内で崩れていく。綾人にはどうしていいのか分からなくなった。自分の所為で傷ついたサギナ。
戦争に巻き込んでしまったティターニの安否。
俺には何もできない。どうすればいいんだ——無力感と焦燥に駆られると途端に体を動かなくなった。
「何をしている早くいけ」
——その声はサギナ。
銀鈴のような儚さの中にも熱量が込められた声は綾人を叱咤する。
「嘆く暇があるなら向かえ、成すべき事があるなら行動しろ。それが私を倒した男の義務だ」
狼狽していた綾人はサギナの言葉に救われ短い返事をする。
「どこだルード! ティターニは何処にいる!」
「——お、お、おう。こっちだ!」
気迫に押されたルードは声が裏返りながらも綾人を先導する。
サギナから離れ綾人は移動する。
再生されたばかりで何処か借り物のような違和感のある足は、上手く動かせずに引きずって移動する。
もどかしいと気持ちばかり焦り叫ぶ。
巻き込んでしまったという後悔の叫なのか、慟哭の叫びなのかは分からない。
綾人の叫びは抜けるような青空にただただ響くのみだった。
———
陰湿で湿った空気に血と糞尿の臭いが混じる。鼻を曲げたくなるこの場所の視界は常に薄暗い。
ここは亜人帝国の拷問室。
五メートル四方の一室は牢獄を連想させる。苔の生えた壁や床は土で出来ている。
壁際に手足を鎖で拘束された者がいる。
「殺してくれ」と何度も叫ぶが受け入れてもらえない。
体内を植物と虫に食われていく拷問は亜人族のやり方ではない。精霊族のやり方である。
痛みは想像を超える。己の体が虫に食われていく苦痛。不快感。絶望。殺せと叫べば口からは蛹や蛭に似た虫がぼとぼとと湿った拷問室の床に落ちる。
虫は体内の栄養分でしか生きられない為、外気に触れると数秒で死んでいく。
自分の口から虫が出る光景は見ていられない。だが目は閉じられない、眼球周りに蔦が絡まり目を一度も閉じさせてはくれないのだ。蔦は眼球の奥から生えている。器用に、視覚を奪わずに生えている。その蔦も体内の養分を糧として成長していく。
穴という穴は虫と蔦の出入り口となっている。栄養分を全て持っていかれているのだか通常であれば一日と持たずに死ぬだろうが——。
——ころしてくれ。
死ねない。死ぬか生きるかの瀬戸際、端的に言うならば一番苦痛が伴う状態で常に回復魔法を施され生きながらえているからだ。
そういった呪いを施されている。
——ころしてくれ。
枯れた声は虫や植物で正確に聞き取れない。ともすればただ唸っているだけのように聞こえる。
——ころしてくれ。
また叫ぶがそれは誰も聞くことが出来ない。何故ならこの拷問室には誰一人いないのだから。
つい数日前まではもう一人いた。
その者も同じように手足を鎖で繋がれ、体内を虫と植物に食われて、同じように——ころしてくれ——と叫んでいたが唐突に消えた。
屍体となったわけではない。手足が鋭い刃物で切断された跡がある。
その者の名はコウレツ。
一昨晩に何者かがこの拷問室に侵入し拉致したという報告が亞人帝国の上層部に挙げられている。だが帝国側は特段動くことはなかった。
精霊族代表にコウレツも等しく拷問を受けさせる旨を伝えられ、それに従ったまでだからだ。お溢れのようなコウレツが誰に拉致された所で帝国側からすれば些細な事である。現に精霊側でもコウレツの生死は特別視されていない。
余談ではあるが、報告によると黒い影のような者が侵入したという目撃情報は取れている。
——ころしてくれ。
誰もいない空間に虚しく響く呻き声。
——たすけてくれ。
頼りにしていた悪魔は現れない。
今日も豚族の男は苦痛に耐えながらも唸り声を上げるのみの一日となる。




