大胆になる時も必要
レヴィに背を向け走り出してから陽の光が幾分か傾いた頃、綾人は再び中央広場に戻ることができた。
「どけどけ! 邪魔だお前ら!」
中央広場は多くの亜人族、精霊族がごった返している。だがおかしな事に両種族は殺し合いの手を休め、広場中央に向き歓声を飛ばしている。
疑問に思いつつも人山を掻き分け中心に行き着くと——。
「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そこには両種族の代表が激戦を繰り広げていた。
唸りを上げる剛剣とそれを引き裂く颶風。互いが満身創痍になりながらも己の種族をかけた殺し合いに命をすり減らしながら一手一手を繰り出している。
宝剣を豪快に振るう亜人族元帥バスクードに対抗するのは、風で生成された翡翠色の刃を当てる精霊族代表エアリア。
この戦闘の結果で戦争の行く末を決定すると見て、両種族の兵士達はそれぞれ武器を握りただ見守っていた。
エアリアが展開する翡翠の刃がバスクード目掛け飛んでいく、宝剣で捌き難を逃れるが幾分か鎧が砕かれ、その奥にある鋼のような肉体に大小の傷を負わせる。
バスクードが反撃に転じると宝剣がエアリアを襲う。獅子の一撃は熟練の技により逃れることができず、風の衣を何重にも纏いその一撃を受け止める。
猛撃の一閃は衣を裂きエアリアの肩に傷を生む。
両者は一度離れ、一呼吸置く。
そして次の一撃で決めるべく、ゆっくりと間合いを詰める。宝剣を握る手に力が込められる。圧縮された風は強固な刃となる。
あと半歩、互いが進めば必中の間合いになる。そうなれば無事では済まないだろう。だがそれでも前に進むしかない。それが死闘であり、戦争なのだから。
幾分か傾いた陽の光は一向に弱まる気配はなく、遮蔽物がない中央広場を炎熱の空間へと仕立てあげていく。
ジリと間合いが詰まる、両者の吐く息は熱く、互いの額から流れる汗はどこかしらかの傷の血と混じり石畳の地面を濡らす。
疲弊と疲労と傷付いた身体はただ呼吸するだけでも辛く、それでもと自信を鼓舞し必中の間に進む前に——その声は天に響いた。
「間に合ったぁ! そこまでだ! もう止めろ!」
逼迫した空気の中で響いた声に誰しもが反応した。
「お前らは騙されてんだよ! だからもう戦争はやめろ!」
争いの中心地に現れた綾人は声高らかに叫んだ。
必殺を繰り出す直前だったエアリアとバスクードは視線を一瞬だけ綾人に投げたが、直ぐに正面に向き獲物を睨みだす。まるで何も無かったかのように振る舞い。再度己の必中の間合いに歩を進めようとする。
「おい! 無視してんじゃねぇぞ! 殺し合いする理由なんて無いんだよ」
無遠慮に両者の間に立つ綾人は死闘の空間にのまれまいと言葉を続ける。
「悪魔なんだよ! この戦争を仕組んだのは全部悪魔だ! だからくだらねぇ争いはもうやめろ!」
周囲がざわめく。悪魔という単語にどう反応して良いのか分からないのだ。
加えて人族の言葉に耳を貸すまいとヤジを飛ばす亜人なども入る為、殺し合いの余韻は薄れ大衆の声がそこかしこにこだまする。
そんな中でもバスクードとエアリアは反応せず敵を見続けている。目を離せば瞬く間に隙が生まれ殺られてしまうと判断しているからだ。
「うるせぇな! 人の話を聞けよボケカスが!」
周囲の喧騒に反応し綾人も徐々に熱が上がっていく。
「殺し合いをするのは無意味なんだよ、お前らは悪魔に操られていたんだ! あの豚の、鏡の映像を見たんだろ⁉︎ あいつがここのトップを操って戦争をけしかけたんだ、それから木だ! あのデカい木はお前らの大事な木なんだろ⁉︎ その木を燃やしたのもあの豚なんだよ、怒りは豚と悪魔にぶつけろよバカ野郎共が!」
バスクードとその後ろにいる多くの亜人に向け綾人は熱を飛ばす。
大雑把な説明ではあるが”あの木“という単語で何名かは帝国後方にある山の連なりに視線を向ける。
何もレヴィに言われたから木の説明をした訳ではない、説明をする道筋で大樹ダアトの説明をする必要があったというだけである。悪魔の思想通りに動くなど奴らに踊らされているような感覚になる為、それは今綾人が最も嫌悪する感情である。
説明は続く。タルウ、悪魔、ダアト、本当の黒幕、何故精霊族との戦争に至ったのかを大声で語る。亜人達にとっては言葉足らずの説明でも鏡から映し出された繋ぎの解釈としては充分といえた。
次に綾人はエアリアとその後ろにいる多くの精霊族に向き直る。
「みんなも聞いてくれ、ぶっ殺す相手は悪魔と豚だ! だからもう罪のない奴らと戦うな無意味な争いはやめろ! 先生だって、もう分かってるんだろ? クソの悪魔に関わってもろくな事にならない、今この状況があのクソどもを楽しませてるだけなんだよ!」
綾人は叫んだ。亜人に精霊に必死で説いた。これで戦争は終わると、終わらせると——
「邪魔だ! どけぇぇぇぇぇ!」
「どいてください!」
——思ったのは本人だけだった。
バスクードは剛剣を握り敵に向かう。エアリアは刃と共に爆風を生み出し突貫を駆ける。
「おいちょっと待てよ! 争う必要は無いっつってんだろ、もう殺し合いはやめろ!」
死闘を囲む亜人と精霊の群れは戦闘の再開に歓喜を上げ、両者代表の勝負の行く末を盛り上げるべく、雄叫びを上げ、地団駄を踏み、武器を鳴らし、魔法を放ち決闘と呼ぶ舞台に相応しいように囃し立てていく。
「おい! 聞けよ! だからやめろ! 意味がないんだよ」
綾人の存在は完全に置き去りとなる。この状況で正論を言っても誰も聞かない。聞こうともしない。それは当然といえる。
「おい! 先生——」
「——どきなさい!」
今までどんな事があっても慈愛で接してくれたエアリアの拒絶の声。
同胞を殺され、殺した相手の種族が目の前にいて、何故仇を討てないのか。本当は黒幕がいて全てそいつが悪いんだ、だから戦うな。そう言われて納得できるには血が流れすぎている。
「精霊の前に先ずは貴様から殺してくれる!」
純粋な殺意をぶつけるバスクード。
今この場で、この殺し合いを繰り広げる場で正論を言うのは的外れというだけではなく、只の邪魔者という認識しかされないのは当然。
バスクードの上方からの一閃が綾人に襲いかかるがエアリアの一撃が宝剣を掲げる老騎士の横腹に深手を負わす。傷を負った為に宝剣の速度が減速。そのおかげで綾人は難を逃れる。
エアリアは何も綾人を助けようとしてバスクードを攻撃したわけではない、今が好機と思った為に攻撃しただけの事。それはエアリアの表情を見た綾人も気付いた。
顔を歪めるバスクードは咆哮を上げる。手負いの老獅子といえどその迫力は充分にある、エアリアも綾人もその圧力に一瞬だけ体の自由を奪われる。
「害虫は纏めて切り捨ててやるわ!」
体の自由を奪われても綾人は叫ぶ。「争う必要は無い!」「悪いのは悪魔と豚だ!」「話を聞け!」「殺し合いはやめろ!」
叫ぶが誰も聞く気がない。バスクードとエアリアの戦闘音、周囲の囃し立てる音に綾人の声はかけ消されていく。
戦闘は苛烈を極めていく。エアリアの魔法がバスクードの宝剣が舞う度に周囲を囲む亜人族、精霊族が一層盛り上がる。
綾人の存在は無いに等しいものとなった。
繰り返し、繰り返し叫ぶが誰も話を聞こうとしない、そもそもが亜人と精霊しかいないこの空間で人族の存在など道端に転がる石ころに等しいのだから。
それからも必死な問いかけは続いたが状況は変わらず。誰も聞かず、ただただ邪魔者扱いされ続けた結果。綾人は下を向き口を噤んでしまう。
両代表の一騎打ちは佳境に入る。次の一撃で全てが決まる。距離をとるバスクードとエアリア。満身創痍の二人は肩を上下させ、虚ろな目で敵を、目の前の敵を睨む。
周囲は驚くほど静かになり次の一撃を今か今かと見入っている。
戦闘の余波で中心から押し出され、対峙する二人から離れた場所にいる綾人は何もできない。
皆この死闘を見る誰もが綾人という人族の存在を忘れている。見えないものとなっている。自分の無力さに、何もできない己に、死闘を、戦争を止められなかった自分に、無力の塊が体を包み、口を、体を、思考を、放棄させる。
自分は何もできない人間なんだ。道端に転がる石ころなんだと思わせていく。
下を向いたまま一歩、二歩と後退する、己の弱さを痛感しこのままここから居なくなるのが一番だと——。
「めんどくせぇぇっぇぇぇぇぇぇんんだよ、このアホ共がぁぁぁぁ‼」
——普通の人間ならそう思うだろう。
バスクードの咆哮とまではいかないが、人族の大声は中央広場に響き渡る。綾人は一歩後ろに下げた足に力を入れ助走をつけ走り出す。
「やめろっつってんだろうが‼︎ このクソ野郎どもが‼︎」
この男にそんな繊細な心など無い。この空間が、雰囲気が、種族が自分を認めてくれないのであれば認めさせるだけ。余りにもシンプルで力任せで雑な考えだが効果は周囲の者の反応でどうなっているかが分かる。
バスクードが、エアリアが、精霊が、亜人が、周囲の皆が綾人を見た。イコール認識した。
走り出す綾人が向かうのはバスクード。面を食らった老獅子は少しだけ反応が遅れる。ほんの一瞬の間、それだけの事、歴戦の老獅子には何ら問題ない間だった。
「——っ!」
ほんの一瞬間に距離を詰められ懐に入られてしまう。気付いた時には拳が自身の腹に迫っていた。
距離はあったにも関わらず、どうして一瞬間に懐に入られたのか。
——それは綾人の足が脚になっているから——。
龍の脚となっている。
サギナとの戦いで敗れたズボンからは龍の拳の時同様に、黒い鱗が足から生えているのが見える。色も太股から膝下までが肌色から灰色に、膝下から爪先までが黒と変色している。ブーツを履いていたはずの足は鉤爪となっている。五指がある黒い脚。
龍化はどんどんと進んでいる事を本人はいまだに気付いていない。
いつもと違うのは周囲が畏怖するような呪いの力を感じない事だ。
それも当然、本人は気付いていない。
「メンドクセェぇぇぇんだよクソが!」
龍の拳を腹で受ける直前に身を捻り宝剣で辛うじて捌いた為、直撃は免れたが少なからずの余波は体に響き老獅子は膝をつく。
「どけぇぇぇぇ!」
エアリアはそれを好機ととり、バスクードの首を飛ばそうと距離を詰める。風の刃が目に見えて集まっていく。断頭と化した魔法を直接バスクードの首に叩き込もうとした瞬間に——。
「止めろつってんだろうがぁ!」
首根っこを掴まれ投げ飛ばされた。エアリアには何が起こったのか理解ができなかった。バスクードに接近した後に掴まれ投げられ宙で止まる。そう理解し、邪魔した者に喝を飛ばす。
「邪魔です! 退いてください!」
綾人がバスクードを守るように立っていた事に腹を立て叫んだ、何故邪魔をするのか理解に苦しんだ故に叫んだ。そいつ——指揮官——を殺せばこの戦争は精霊側に有利に近づくのに何故邪魔をするのか。
烈火の如く叫ぶ今のエアリアには綾人の存在など、どうでもよい。
「貴様ぁぁぁ!」
バスクードが体を起こし綾人に宝剣を振るう——前に綾人は拳を振りかぶりバスクードの頬に一撃を叩き込む。
「黙ってろや!」
その一撃は重く巨躯が地に倒れこむ。バスクードは半ば意識を失いかけたが、気概で辛うじて保つ。
「めんどくせぇぇ! ああああ、もう〜本っ当にメンドクセェよお前らは! 分かったよ、お前らが話しを聞かないんだったらな、こっちにも考えがあっからよ!」
大声で自分という存在をアピールしていく。誰もがこいつはなんだ? 何がしたいんだと疑問と混乱を顔に貼り付ける。
「俺をブッ飛ばせたらもういいよ! 好きにしろよ! 殺しあえよ! クソみてぇに殺しあえば良いじゃねぇかよ! 戦争でもなんでもしちまえよ! でもな——」
周囲を睨む、ここにいる全ての者を敵とみなした綾人の言葉は続く。
「その変わり俺をぶっ飛ばしてからだ! 俺の手の平が地面についた瞬間から戦争でも何でも好きな事しろや!」
両手を周囲に見せ、舞台での独白のように明確な発音と大きな身振り手振りで言葉を伝えていく。
「分かったか! まだ殺しあうんじゃねぇぞ! 俺の手の平が地面に着くまでは殺し合いなんてするんじゃねぇぞ!」
独白の合間に小さな声が綾人の耳に届いた。
「——どきなさい」
それを気にせずにさらに声を大きくし叫ぶ。
「もしも俺の手の平が地面に着く前に戦争した奴は俺が直接ぶっ殺す! 分かったか⁉ 分かったんならさっさとかかって来いよ!︎」
亜人も精霊も、大多数が口を開き阿呆を見る間抜けた顔になっている。中には血気盛んな者が動こうと、綾人を仕留めようとの動きが見えたが——。
「どきなさい」
——誰よりも早く動いた者が、誰よりも血の気が多い雰囲気を纏っていた。
声の主は胃が底冷えするかのような冷たい声で短く要件のみを伝えた。
綾人は小さな精霊に向き直り不敵な笑みを送った。




