怪しむ奴は急に現れる
「あなた様!」
エアリアは綾人の元へと急ぎ回復魔法を施す。淡い乳白色の光は死の淵までどっぷりと浸かっていた体に生を戻す。裂傷だらけの顔。腹部に開いた穴。ひしゃげている拳。
それらが順々に回復していき。口内から鉄の味が消えた辺りでようやく綾人は喋りだした。
「――先生ありがと。ノリと勢いで戦ってたけどマジで死ぬかと思った」
傷は癒えたが、綾人の目と拳部分は人間の形状では無い。龍の瞳孔を連想させる金色の瞳。鉤爪のような右拳。左の拳には黒い鱗がまばらに点在している。その姿にエアリアの眉根が寄る。
だが当の本人は気づいていない。いや。そもそも気付いていないのではなく、その目には通常の手のように見えているような態度だ。
別段いつも通りといったような。
「いえ、礼など必要ありません。ご無事で何よりです。ところで――」
これはそういった力なのだろうと己を納得させ、ついと視線を切り地に平伏すサギナを見る。
「あなた様と闘っていたあれは何者でしょうか?」
綾人も同じように視線を動かしサギナを見る。口をだらしなく開けしばらく晴れ渡った空を見上げた後――ふと思った。
「こいつ何者なんだろね?」
「へっ?」
質問を質問で返された為、エアリアから間抜けな声で出る。
「お判りにならない者と死闘を? いえ、ちょっと待ってくださいませ。そもそもあなた様はタルウを追っていたのでは?」
戸惑う口調をぶつけられた当の本人は。あれ? そういえばと事の成り行きを思い返していく。
「あっ~そうだ、あれだわ! ケロ助だわ!」
「へっ?」
唐突な単語にまたしても間抜けた返事を返すエアリア。
「それがさ、もう大変だったんだよ。本当にさ――」
“綾人君恋のキューピット伝説”と銘打ち始まった冒険譚だが、いかに自分が頑張ったかを語るしょもない内容でしかなかった。
・幾つもの困難を乗り越えタルウを見つけたこと(道に迷っただけ)
・タルウを見つけた後既に一触即発だったこと(正面から揉め事に突っ込む)
・惚れた相手にうじうじする蛙に喝をいれたこと(自分は告白すらしたことない)
・そしてイカレ女ことサギナと堂々の勝負を繰り広げたこと(本来なら瞬殺されています)
これらを延々と話すのだが、途中からは大規模な脚色と美化があったことにエアリアは気付いていたが、敢えて口を出さずに頷き話が終わるのを待った。
三流の冒険譚が終わる頃には精霊族代表の聡明を絵に描いた者の状況整理は当に終わっており。
「――ということは、タルウはそのケロ助なる人物とどこかに消えたという事でしょうか?」
一応確認の為問いただす。
「そだよ。ここにいればそのうち戻ってくると思うよ。それにルードもついて行かせたから問題ないって感じかな」
真剣な問いにどこか調子の外れた口調で答える綾人。
話の中盤からこめかみに当てていた小さな手が震えながら離れるとエアリアは下を向き、小刻みに震えだす。
「せ、先生?」
「なんてことを――」
「え?」
「あなた様はなんと愚かなことをしているんですか! みすみすタルウを逃がすなど正気の沙汰ですか‼ それに奴隷商人の男を捕まえねば凛や精霊達の奴隷紋は一生消えないのですよ! その蛙のケロ助なる者が善意者とどうして言い切れるのですか! 愚かですあなた様は愚かです‼」
烈火の如くとはまさにこれだ。エアリアの憤怒に身を固める綾人。何をしても怒らなかったエアリアが始めた見せた怒りに開いた口が閉じられない。
「あなた様の話を聞く限りではその蛙は良き亜人なのでしょうが――そんなもの私には関係ありません! 亜人である限り殺戮の対象でしかありません! どこにいったのですが⁉ 私の怒りは亜人を見るたびに増していきます。囚われ拷問を受けた同胞。獣如きに殺されてしまった我が愛おしい同胞達。あの子らの仇はやはり私がとらなければ!」
綾人に詰め寄り荒れ狂う感情をぶつけるエアリア。タルウを捕まえるという重要な役割を任せたにも関わらず裏切られたという気持ちになり、深い絶望を抱いている。
「ご、ごめん。ケロ助は信じられそうだったから、いいかなって――」
「かなって何ですか! 信じられるかなって‼ せめて完全に信用できる者に託してくださいませ!」
あまりの剣幕に素直に謝らない男である筈が素直に頭を下げた。それほどの剣幕ともいえる。
小さな体の周囲からは「殺」文字が可視化できるほどだ。
「仲間を殺されて抑えられない気持ちは分かるけど、でも亜人だって全員が全員悪い訳じゃないだろ。ほらライオンのガリオなんて良いやつじゃん、協力してくれてるし」
獅子人ガリオの存在はエアリアも認めている。同族を憎む経緯は謎だが、精霊達や凛を救うことにガリオは協力してくれた。
その意識がある為、エアリアは二の句を告げられずに押し黙る。
「亜人たち全員殺すって訳じゃないんだろ? 中には信頼できる奴だっていると思うぜ」
「それは、確かにそうですけど――」
「それにさ、俺の世界にはこんな言葉があってさ」
「言葉?」
「あぁ。人を呪わば――穴――」
「人を呪わば穴?」
「穴――」
考え込む綾人を繁々とみやるエアリア。異界の文明に興味があるエアリア故に綾人の言葉をじっと待つ。
「穴――七万って言う言葉があるんだよ」
「人を呪わば穴七万ですが? 一体どういう意味なのでしょうか?」
怒りは消えた訳ではないが一旦横に置き、好奇心が渦巻く胸中をぶつける。言葉を待つ彼女の瞳には興味の二文字が張り付いている。
「えっと、人を恨むなって事、かな――?」
馬鹿なりの諭し方だが、言葉も違えば意味もやんわりとしか合っていない。テンパる愚か者の態度を見て、あっ、この人絶対意味わかって無い。とエアリアは一人納得する。エアリアもまた綾人の言動に馴れてきたようだ。
「つまりさ。人を七万回恨むくらいなら、もっと違うことに目を向けようって事。その方が、なんか楽しいだろって。じいちゃんが言ってたぞ。それにさ――」
綾人なりにエアリアを負の連鎖から救いたく必死に放った言葉。それからも言葉を変えてはあれこれと宥めていく。助けたいという一心で身振り手振り時には全身を使い感情をストレートにぶつける。その思いは伝わり――。
「分かりましたから落ち着いてくださいませ。あなた様」
観念したように、いや。子供の駄々っ子に付き合う母のような母性を向ける。ほぅ――と胸を撫で下ろし一息つく綾人。なんとか凌いだと勘違いしているが、それを注意する者はここにはいない。
どこともない亜人帝国の一角。石畳に腰を落とす綾人。その視線の高さに浮くエアリア。破壊の限りを尽くされた街角。気を失うサギナは目を覚ましていない。
「人を呪わば穴七万ですが。良き言葉ですね」
エアリアは分かっているが返事を返す。
「あぁ。うちの爺から教えて貰った言葉だよ。あのエロ爺もたまには良いこと言うよな」
「お祖父様ですか?」
「あぁ、ジンっていう俺の爺ちゃん」
「え?」
綾人の言葉にエアリアは茫然とした態度で返す。まるでその名を知っているような反応だ。
「ジン。あなた様それは――」
「ほうほうほう。これはこれはこれは。奇想天外予想外。これはこれで悪いくない。と言った塩梅じゃな」
エアリアの疑問は明るい少女の声でかき消さる。唐突な第三者の声に反応し直ぐに臨戦態勢をとる綾人とエアリア。
「むぅ。なんじゃその反応は? もっとこう、おぉ! とか、あぁ! とかのオーバーリアクションで迎えてくれんかの?」
「何者ですか?」
警戒しながらも冷静に相手を分析するエアリアは奇抜な服装に目を奪われる。
「この世界にもゴシックロリータは存在するのか?」
綾人が呟く。
その言葉通り不意に現れた少女は白と黒のゴシックロリータを着用していた。
ドレスのような服同様に白と黒の傘を差し軽快に歩き、二人に近づいていく。歩くたびに袖口や花のように膨らんだスカート部分のふりるが軽やかに動く。
傘を差している為、顔は認識できない。背は小学生低学年程度、百二十〜三十程。
「ううむ。まずはあの女だな」
悩ましげな声を出した後、視界を確保すように傘を上げると、白すぎる肌と大きな瞳が見えた。捉えているのは綾人とエアリアの奥にいるサギナ。
「あなた様」
「あ、あぁ」
刻一刻と状況が変わるこの現状で少女の存在は怪奇に過ぎる。
可愛らしい黒のゴスロリ靴でトコトコと呑気に音を立てながら歩く少女は綾人とエアリアを無視してサギナが横たわる場所で足を止めた。
「ふ~む。第一の不確定要素といえば、まずこの女だったのかの? 早めに対処すればよかったのかのう?」
誰に問うわけでもない少女の言葉。背を向ける姿は非常に華奢である。
「まあ。終わったものはしょうがない。そう思わんか――空上綾人?」
ふわりとスカート部分を翻し、それらしく半回転する姿はアイドルのような愛らしさがある。
「――おいクソガキ。何で俺の名前知ってんだよ」
不愉快を絵に描いたような顔で相手を睨む。
傘を浅く肩にかけると少女の容貌が見えた。
顔は幼く愛おしさが詰め込まれている。
見た目は人族。白すぎる肌に灰色の髪はツインテールで纏められ小さい黒のハットを斜めに被っている。可愛らしく小ぶりな鼻と口。庇護欲をそそる大きな目。瞳の色は原色の赤。
恐怖は感じないがそこはかとない異常性は感じる。
「どうして知っているのか? 答えるのは簡単じゃが素直に言うのはあまりに面白みに欠けるというものじゃな」
少女はゆっくりと綾人に近づく。それを止めたのは――。
「何者ですか? と聞きましたけど? 耳はついておりますか?」
明らかに挑発するエアリア、少女よりも小さい精霊は綾の前に浮き。片手を突きつける。その行為はこれからあなたを攻撃します。と態度で示している。現に掲げた手には微風が集まっている。
「好戦的じゃの小っこいの。名でも名乗ればよいか? 妾の名前はレビィじゃ」
傲岸不遜な態度で胸を張るがペッタペタなのを綾人は見逃さなかった。




