どんな状況でも男はつい見てしまう。
亜人帝国内の片隅にその戦闘はあった。激しく、大多数で命のやり取りが行われてる中央広場と違い、その戦闘は静かであった。
小気味好いリズムで風を切る長槍、短槍の音、石畳の地面を踊るように動き回る二名の靴音、龍の拳による空気を裂く音。
綾人が右の拳を振るう、サギナは首を動かし回避する。お返しにフルカスと呼ぶ短槍で綾人の腹部を狙う。ガシ! と、綾人は読んでいたように先端を左手で掴む。
左手は今、五指があるだけで人間の手には見えなくなっている。近距離で睨み合う二人。
「貴様、フルカスに触れておいてどうして平気でいられる!?」
サギナの声は長槍の突きと共に飛んで来た。これを綾人は右の拳でかち当てる。
「はあ!? なんだフルカスって!? んなことより死ね!」
古代付与付きであるフルカスに触れれば通常はどんな物でも傷が付く。それは決定された呪いであって、それが通じない相手にサギナは眉根を寄せる。
長槍であるテイバイも同じ呪いが施されているにも関わらず、刃先でかち合う拳には傷が付かない。戸惑うサギナの鼻っ面に衝撃。
綾人が頭突きをしサギナが大きく仰け反る。サギナの鼻からは血が流れ空中に舞う。
「倍返しだボケェ!」
うっぷんを晴らすかのように拳の連打が始まる。サギナはこれを器用に捌く。途中自身の鼻血を舌で舐めとり、
「どれ、お揃いにしてやろう!」
拳の連打をかい潜り綾人の懐に迫るサギナ。下方から上方に伸びた短槍は顔面を的確に狙っていた。綾人はこれを避けるが、
「そら、お揃いだ」
殺し合いの最中でもサギナの声は美しく。綾人が意識を少しばかり持っていかれた結果、鼻と眉間に大きく傷を負い、血が縦に流れる。
次にサギナがとった行動は長槍の突き、状態を屈めたまま狙うのは綾人の顔面。迫る長槍テイバイは的確に標的へと近づく、間近に迫る長槍はどう足掻いても避けれない、サギナは「とったか」と心中で予測。
だが、ガギン! と響く金属同士がぶつかり合う音。見ると綾人が口を開け、歯で長槍の先端を噛んでいた。
「なっ!」あまりの出鱈目さにサギナは間の抜けた声をだす。刃先を噛む綾人の歯は牙となっている。牙は龍のように鋭く、サギナの不安を駆り立てていく。
サギナは油断していたわけではない、だが、槍を歯で受け止めるという、人族らしからぬ行為に、体が硬直してしまった。
当然それを見逃すほどこの男は甘くない。刃先を吐き出し、身体を大きく捻り。
「唸れ俺の中の何か!」
迫る右の拳が妙にゆっくりと近づいてくる、サギナにはそう感じた。
だが、実際には綾人の右拳はトップスピードで迫っており、躱せるものでない。
サギナの頬に当たる拳。龍の鉤爪となった一撃は敵を吹き飛ばした。
その美しい容姿からは想像できないような声を上げ、サギナは後方へと殴り飛ばされる。
直ぐに立ち上がろうとするが膝が笑い、短槍の支えがなければ立てない状態となってしまう。
殴られた衝撃でサギナは長槍を手から離してしまう。長槍テイバイは今、綾人が握っていた。ぶんぶんと振り回す、槍は奇妙に重く。
「よくこんなの振り回してんな」と場違いな感想を抱いた。
「くくっ」
笑うサギナ。綾人はしかめっ面で敵を見据え言葉を投げる。
「なに笑ってんだよ。お前マゾなの?」
「いやなに、中々な男だと思っただけだ。認めよう人族の男、名を教えてくれるか?」
始めてサギナの顔をマジマジと見る綾人。その美貌に言葉が詰まる。割れた黒い鎧からは胸元が見え、深い谷間があった。
この男には少々刺激が強すぎたようで、顔を赤らめ、ついと目を逸らしだす。
サギナの美に当てられ、名前を教えてもいいかなという気持ちになったが、どうにもこの狂った女に名を教えるのは気が引けた、結果。
「……サラマン、名前はサラマンだ」
つい最近知り合った、言い回しの面倒な赤い精霊の名前を拝借した。
「ほう、サラマンか、良い名だ。武勇に猛る猛勇の気概を感じるな」
褒められたぞサラマン。と、綾人は心中で赤い精霊に伝わらない意思を飛ばす。
「私の名はサギナだ。もう少しお前と、サラマンと悦の境地に浸っていたいがな、水王との戦いで私もかなり消耗している」
サギナが己の身体を抱き、悲しげに呟く。綾人はじっとサギナを見る。正確には寄せられた谷間を見る。
「悪いが私にも目的がある。早々に父上と再会し……んっ、サラマン? どこを見ている?」
会話の最中に目が合わず、不審に思うサギナ。サラマン(綾人)の視線を追うと自身の胸元に釘付けになっている事を確認し、くすりと笑う。
「何だサラマン、私の体に興味があるのか?」
「はっ! べ、べ、別に! 全然興味ねぇし! なに言ってんのお前! 巨乳とか全然好き、じゃ……」
綾人の言葉を聞き終わる前に、サギナはさらに胸を寄せ前屈みになる。その行動に綾人の語尾はのまれた。
これではいくら否定しても答えを言っているようなものだ。いわく童貞の遠吠えだ。
「ふふっ。うぶだな。この身体を好きにしていいぞ、サラマン」
「――へっ!?」
サギナの言葉が綾人の耳を舐め出す。花に蜜を塗り、溶かしたような甘言に、綾人は鼻の穴が広がるのを止められなかった。
「抱いても良いと言ったんだ、サラマンの獣を私の中に吐き出してもいいぞ」
ごくり、と喉を鳴らすのは勿論、
「ま、マジ?」
「あぁ、私は強い男に目が無いからな、ただし――」
身体から腕を離し短槍を構えるサギナ、空気が変わるのを綾人は自覚した。
「私より強い男しか、私の身体には触れられんがな」
サギナが短槍を突き出す。短槍全体から渦のように灰色の螺旋が先端にあつまると。水王ブットルの必殺魔法を破ったフルカスが球体となって、刃先に現れた。
「さあ、お互い時間が無いのは確かだ、決着をつけようかサラマン」
サギナを守るように灰色の球体がふわふわと宙に浮いている。全長三メートルの球体の表面に目が浮かび上がる。
大きな一つ目の中に七つの目。多眼孔の瞳は七色に光り、目の中を泳いでいる。
「行け! フルカス!」
サギナの声に呼応するように、フルカスの表面から灰色の触手が生まれ、真っ直ぐに綾人へと襲いかかる。
綾人は握っていた長槍をフルカスに向かって投げる、長槍はフルカスの表面に当たると、ズルズルと飲み込まれ消えていった。
「やることなす事、全部キモいなお前」
気味の悪い球体に野次を飛ばしたあと、綾人は駆けた。
迫る触手を躱し、時には殴り、サギナへと近づいていく。
「呪いを殴るとは、本当に面白い男だ!」
サギナも綾人に向かって走り出す。フルカスも動き、サギナと並走し標的に触手を伸ばし続ける。
「しゃらくせえ!」
言葉とは裏腹に触手の数に圧倒される綾人、殴り、蹴り、撃退していくが攻撃の雨は止む気配が無い。
「ごがっ!」綾人の口内に触手が侵入する。口内に侵入した灰色の異物は水竜の時と同様に体内から標的を殺そうと試みるが、ガチリ! と龍の牙に噛みちぎられてしまう。
痛みのせいか、フルカスはその球体を揺らした。先端を失った触手を、一度体内に戻そうとした時。
「ぐぅがまへた」綾人の両手がしっかりと握り、それをさせなかった。
ぺっ! っと食い千切った先端を地面に吐き捨て、綾人は掴んだ触手を強引に引き寄せた。その間も別の触手が綾人に攻撃を仕掛ける。腕や足に裂傷を負いながらも、時には腹部を貫かれても綾人は一本の触手を離さなかった。
咆哮を上げ、引き寄せる。人族ならざるその力にフルカスは負け、とうとう巨大な球体が宙を舞い、綾人の目の前に落ちた。
「オラァァぁぁぁぁ!」
叫びと共に龍の鉤爪と化した右拳を、フルカスの巨大な一つ目に叩き込んだ。
冷えた臓物に手を入れたような、気味の悪い感触に耐えながら、綾人は奥へ奥へと拳を押し込む。一つ目からは紫色の血が飛び、綾人の体をまだらに染める。
七色の瞳がきちがいじみた動きをしたあと、フルカスは灰色の砂塵に変わっていく。
「見事だサラマン――が、これで終わりだ!」
声は綾人の死角、突き出した右の腕から聞こえた。短槍が綾人の首筋に吸い込まれていく。
完璧に虚をついたこの攻撃は、通常ならば誰しもが防げず、死んでいく。
例に漏れず、短槍は喉を貫き綾人に死をもたらした。喉からは水芸のように血が飛び、漏れ出る声は喉から溢れてカヒュカヒュと小さな旋律を作る。
サギナは油断なく短槍を引き抜き、今度は左胸を刺そうとする――が、綾人の手が短槍を掴み、喉から離れさせてくれなかった。
通常なら死んでしまう攻撃だが、綾人は今、通常とは異なる存在となっている。
「いてぇ」口から血の泡を作りながら綾人が呟く、サギナの直感がこのままでは危険だと判断する。本能に任せ距離をとろうとするが、それよりも綾人は早く動いた。
「いてぇんだよメンヘラクソ女!」
構えも何もない力任せの拳が、サギナの顎にヒットする。綺麗にきまりサギナの体から力が抜け膝を付く、意識を失うすんでの所で己に返り上を見上げる。
綾人が拳を振り上げていた。このままいけば確実にサギナは龍の餌食になるだろう。
「ま、負けられん!」
サギナの勝利への欲は何よりも強かった。どんなものよりも。ボロボロの体に鞭打ち、サギナは右の手の平を綾人に向けた、ズズズズズッと素早く現れるのはフルカスに吸収された長槍テイバイ。
長槍は真っ直ぐ伸び、綾人の脳天を目指し飛んでいく。拳と長槍のリーチを考えれば結果は考えるまでもない。
殴るモーションに入っていた綾人も、この時ばかりは迫る長槍を躱せなかった。絶対死の一撃に綾人の顔が歪む。サギナはどこか残念そうな、それでも安堵した表情で綾人を見上げだす。
そして、この二人の死闘は第三者によって決定された。
「あなた様!」
声の主はエアリア。転移により現れた彼女は直ぐに魔法を発動した。それは突風を起こし綾人に迫る長槍の軌道を変えたのだ。長槍は綾人の頬からこめかみに浅い傷を作ったあと、後方へと飛んでいく。
一秒先の死を免れた綾人だが、視線はサギナから外していない。
サギナもまた綾人から視線を外さない。二人で作り上げた殺し合いの余韻に浸りながら目を閉じるサギナ。
振り下ろされた拳はサギナの顔面を捉たまま、地面に叩き込まれた。石畳の地面は割れ、陥没した箇所にサギナの体が横たわる。
死闘は終わった。必殺の一撃を放ったあと、綾人はふらつきながらも片手を上げ、
「おっす、先生じゃん」
と、気の抜けた炭酸のような声を出した。




