それは偶然ではなく必然
「はははははは! さあさあどうしたフルカスよ! 私の全てを吸い尽くしてでもこの水竜を食らってみせろ!」
呼応するように短槍は灰色の光を強めていく。
水竜と短槍との衝突は、当事者には数時間もの感覚を与えていた。
纏う黒鎧は衝撃に耐え兼ね箇所ヶ所が破損する。サギナの数少ない人である部分の顔や腹部は、水竜の余波による傷が生まれ、血化粧を施していく。
着々と傷が増えるが、先に引いたのはサギナではなく水竜。
怪異に当てられ続けた水竜は、堪えきれずに身を捩る。それを好機と捉え、大きく一歩踏み込み、あらん限りの力を込め短槍を振るう。
上から下へと軌道を描く怪異に、水竜の鼻面には深い傷が生じた。
傷を負った水竜は大きく叫んだ。 石畳の地面が軋み、距離を置く家々を揺るがす程だ。
それほどの叫びを近距離で受けた為、サギナの両耳からは血が流れる。
が、本人はその事を気にもせず、足りないとばかり一方踏み込み、華麗に体を回転させる。
水竜は再度大口を開け、サギナに襲いかかる。
回転で勢いをつけると同時に短槍を水平に構える、黒い肩先がギギギと不快な音を立てる。が、その事もサギナには粗末な事だ。
水平に構えられた短槍は規格外な力を借り、水竜の口内へと侵入した。
「最高の馳走だ! たらふく喰らえ!」
サギナが叫ぶと水竜の口内で何かが目を覚ます。
次には何本もの灰色めいた触手が水竜の体内から鱗を破り、外へと飛び出した。
暴れ叫ぶ水竜を見るサギナは口から血が吐きながら、奥へ奥へと短槍を押し込む。
その顔は狂喜に充ちていた。
体内から無数に伸びる灰色の触手。飛び出した次には折れ曲がり、ぐるぐると巻き付き水竜の体を包む。
灰色の塊となった水竜は、身動きができない赤子のようにぐらぐらと動き、数秒後に動きが止まり。
断末魔が辺り一帯に響く。
天地を震わせた叫びの後、水竜は水の塊へと姿を変え、四散していった。
水竜が消えたと同時に、触手もその灰色を薄くし、景色と同化しながら消していく。だらりと短槍を下げサギナは笑う。
「ははははは! 素晴らしい! 素晴らしい! あはははは!」
その光景を見るブットルは、ただただ口を開ける事しかできなかった。
――俺の、師匠の魔法が負けた。
至ったのは恐怖や衝撃よりも茫然だった。
ブットルは師匠サクゴウを、世界一の魔法使いと認識している。
その弟子である自分は、負けることは許されないと自負し、自身に絶対勝利の鎖を施していた。
万全の状態での戦闘、では無いとはいえ。それでも負けは許されなかった。
中央広場での時とは違う、正面からのぶつかり合いで負けた。
見た瞬間に異常だと感じた。格好もそうだが、漏れでる強者の出で立ちにも異常性を感じた。
それでも狂水竜の顎を使用すれば、勝てると算段をつけていた。なのに……
――負けた。
自身の切り札をたった一本の槍に破られた。
この事実を受け入れられず、ブットルの心はこの事態から緩やかに離れ、ただただ茫然とした。
外気の温度がまた一段上がる。太陽はこの騒動の始まりよりも高い位置に場所を移し、じりじりとブットルを照らす。
その熱を感じるブットルだが、心根の整理が追い付かず、まだ茫然としていた。
己の水分でできた雫か目に入り、ブットルは意識を戻す。膝と両手を地面に付く姿は、敗者そのものの格好であり。
立ち上がろうとするが、魔力を使い果たし力が出ず。やるせない状況に真底腹を立てた。
――何を呆けてるんだ! 今は戦闘中だぞ。
茫然としていた為に気付かなかったが、照りつける日の光が自分に当たっていないことに気づく。
ブットルにだけ影が落ちていた。
顔を上げる、視線の先にはブットルに影をかける影よりも黒い女。
「気付いたか? 意識無いまま終らすには少々寂しくてな、行為後は男の話に耳を傾ける。それが女の努めだろ?」
握る短槍は変わらずに怪異に過ぎ。後ろ首に当てられたそれが、この常態の全てを物語っていた。
胸元の鎧は数ヶ所割れ、顔には幾筋もの血の痕が残っている。その姿は異常性に拍車をかけるがどこか美しく見える。
「水王と戦えた事に感謝を」
そう言うとサギナは短槍を高々と掲げる。灰色の穂先が光を反射しブットルの目を細める。
――体が動かねぇ、魔力も底をつきた……俺はこんな所で死ぬのか……
「言い残す事は無いか?」
――いいのこすこと……
しばしの間を待つサギナに返答は無い。
「水王の口は達者ではないようだな。ではさらばだ、貴様の魂は私の中で永遠と――」
「ティッパを……」
「ん?」
サギナは顔を顰め、ゆっくり短槍をブットルの首もとに当てる。善戦した相手を称え、サギナは行儀良い子供のようにブットルの言葉を待つ。
「奴隷紋が施された女……ティッパを助けてやってくれ、頼む。もし誰かの奴隷になるようなら、助けてやってくれ……」
「ふむ。水王の願いは惚れた女の幸せか? 悪くないな。女の事は任せろ。そうだな……私の世話係にでもしよう、どうだ?」
サギナの提案はブットルを笑わせるには十分だった。
「できれば奴隷紋を解放してほしい。そのあとは好きに生きさせてやってくれ」
「相分かった」
短槍が動く。もう一度高く掲げられると日の光が当たる。
短槍が光を嫌うように拒絶すると、下を向いたブットルの口元が照らされる。
僅かに動いた口元だが、何を言ったのか、近くにいたサギナにすら聞こえなかった。
その五文字はこの先も永遠に聞けなくなる。
――かどうかは、全てこの男次第だ。
「だからこっちの方だって言ったろうが! 何で人の話しを聞かねぇんだろうな~この黒豆竜!」
「違いますぅ~! 最初にこっちってルード様は言いました~! 道間違えたのは設定自慰野郎の方です~!」
「あっ! お前まだ勘違いしたままなのかよ! あれはエアリアと話してたんですぅ~! 勝手に人の事変人呼ばわりするなですぅ~! ルード君ってば小さいわ~その体同様心も小さいわ~ついでにチ○ポはもっと小さいわ~」
「おいおいおい聞き捨てならねぇな! この皇帝邪龍ルード様のイチモツはどえれぇから、もう前の世界ではブイブイ言わせてたから! 子孫いっぱいいたから! あっ、ごめんごめん綾人くんってば童貞だったね? そういう話はまだ早かったかな~ごめんね~ププッ」
「ばっかちげぇし! 全然童貞じゃねぇし! 俺あれだから千人斬りとかしてっから! やべぇ~から、べぇ~から俺。っつ~か、その前の世界の自慢話、そろそろ止めといた方がいいぞ。正直誰も信じてねぇから。ティターニなんて凄い哀れみの目でお前を見てるの知ってる? 俺まで悲しくなるからもう止めとこ。なっ?」
「いや、最後心配の方向で話終わらすなよ! なんか悲しいだろ! そもそも――ん? ……おい相棒あそこあそこ」
パタパタと浮く黒豆竜は自称千人斬りの肩を揺すり、前方を向かせる。
そこには四つん這いになる蛙、蛙に槍を落とそうとする、黒い女がいた。
良いか悪いかのタイミングで現れる綾人とルード。
サギナとブットルもまた近付く一人と一匹を視認した。四者それぞれ目が合うと、妙な沈黙が生まれる。
サギナは眉を寄せ綾人とルードを見る。
ルードは首を傾げてサギナとブットルを見る。
ブットルは見覚えのある綾人を見る。
綾人はブットルを見た後、何かを思い出すように目を細め、次にサギナを見て固まる。
ついと視界の端で何かを捉え、首を向ける綾人とルード。
そこには地面に倒れ片足に槍が刺さっている標的人物。さらに首を動かすと水塊の中にいるタルウとティッパを発見し、綾人は「ん~?」と首を傾げる
誰が何を言うわけでも無く、沈黙が続く。口火を切ったのはサギナだった。
「戦いの場に安易に踏み込む事が何を意味するか、分かっているのか小僧?」
ブットルに向けていた短槍を綾人に向ける。敵意を向けられた綾人は。
「……おいやべぇよルード、とんでもねぇメンヘラ女がいるぞ! あれは絶対ヤバイタイプだぞ!」
「やめとけ相棒、メンヘラが何かはルード様には分からねぇが、どう考えてもバカにしてる感満載だぞ。聞こえてたらあの黒いメン・ヘラさんに失礼だろ」
「誰だよメン・ヘラさんって? 名字がメンで名前がヘラなの? やべぇじゃん何それ、時代の先を行ってるじゃん。俺にはついていけねぇぞ」
ひそひそ話の割にはしっかりと大声で話すバカとバカ。
「おい小僧! この状況を見て察してもらおうか」
サギナは一度綾人から視線を外しブットルの首を見る。目の前のご褒美にペロリと舌舐めずりをした後に、言葉を続ける。
「今の私は機嫌が良い。死にたくなかったら今すぐにここから立ち、去っ――」
言葉尻と同時に視線を向けるがそこには誰の姿も無い。
ぞわりと背中に悪寒が走り、空気の流れ、熱の変化、何より自身に向けられる圧に気付き、慌てて短槍を身構える。
「メンヘラ女の前髪は大体パッツン!」
迫る拳は颶風を纏い短槍に激しく打ち付けられる。
受け止めたが勢いをは殺せず、宙へと飛ばされるサギナ。空中で器用に回転し地面へと着地する。
「わ、私を跳ね飛ばすだと……」
痺れる手を見詰めながらサギナはそう呟いた。
「俺は小僧じゃねぇぞメン・ヘラ子。下の毛は立派な方だっつうの」
的外れな事を言いながら不適な笑みを作り、サギナからブットルに首を動かす。
「お前ってあの時の蛙だよな? 魔物の大群の時にいた奴、だよな? そのなんとも言えない蛙面に覚えがあるからよ。これで貸し借り無しな?」
ニカッと笑いブットルに手を貸し立ち上がらせる。ブットルは綾人を見ると「あ?」と小さく漏らした。
「ん? 違うのか? 俺を何度か助けてくれたろお前? 違うの? あの時もっさりした服着てる蛙と目が合って。多分こいつが助けてくれたんだろうな~と俺の第六感が教えてくれたんだけど……もしかして違ってたのか? それとも別人かお前? そういや二足歩行の蛙の顔はどう見分けるんだ?」
一人ぶつぶつと悩む綾人。ブットルは絶望的な状況も忘れ苦笑した。
「いや……俺で、合ってるよ。こんな所で会うなんてな……分からんもんだ」
素直な感想が出た。
ブットルは覚えていた。魔物の大群に武器も持たずに、一人で立ち向かう無謀者を。
感情を爆発させながらも、必死に戦う事を止めなかった強者を。
圧倒的な死の窮地に屈せず、立ち向かう勇者を、ブットルは覚えていた。
「合ってた? あぁ~良かった。イキッて助けたは良いけど、人違いだったらどうしよ、とか思っちゃったよ。まぁ人じゃなくて蛙違いか!」
バシバシとブットルの肩を叩く綾人。ブットルは己を支えられずによろめく。
亜人族と精霊族の戦争の歯車がどう回るか。
本人の自覚は無くとも、今からの綾人の立ち回り次第で如何様にも変化していくだろう。




