人の言うことを聞かないと自分に返ってくるのが常
「ちょっと待って、一旦身を潜めましょう!」
ティターニの声は冷静ながらも焦りがあった。中央広場を前方に捉えられる位置までたどり着いた一行。
だがティターニの記憶にある広場とは明らかに様子が違っていた。
「あの氷の塊は何かしら?」
その声は当然と言っていいだろう。緑多い中央広場は帝国随一の開放的な空間を誇っている。その広い空間にはところ狭しと、数多くの亜人達がいた。
もし広場に群れる亜人の数を数える者がいたら、余程の酔狂な人物だろう。
だが、その亜人の群れよりも先に目についたのは、一行が身を潜める場所からでも分かる程の巨大な氷柱。
広場奥側を囲むように、円に広がる氷柱の先端は鋭利に尖り、一層の不安を煽る。
まるで周囲の喧騒を拒絶するように高く高く聳える氷河。氷河に弾かれたように佇む亜人達は、殆どが口を開け、氷河による拒絶を理解できないでいるようだ。
群がる亜人達の最後尾、それよりも数メートルほど離れた影場に身を隠した一行。
特に誰かが何かを喋る訳でもなく、皆が氷河を見つめるのは至極当然の事。
「でっけぇ、氷柱だな……」
見たまんまの感想だが、綾人が呟いた。
「そうね……氷柱の中はどうなってるのかしら」
普段ならまんまの綾人の感想に、バカね。との合いの手を入れるティターニだが、想定外の状況にまんまの返答をした。
二人のやり取りをみていたエアリアは、思考を加速させる。協力者の情報は間違ってはいなかった。だが、ことごとく後手に回ってしまったこの状況。それに情報には無いこの氷河、エアリアは非常に焦りを感じている。
このままここに佇んでも問題は解決しない、だが亜人の群衆に無闇に攻め込んでも無謀の極み。氷柱の中には複数の気配があるが、渦中の人物たる凛の気配は感じられない――おそらく凛も奴隷紋を――脳裡に過るその考えもまた、焦りに拍車をかける。
――あの氷柱の中で何かが起きているのは確か。あの場所に転移で飛ぶか……危険はあるが状況は確認できる。だがもし一人で渦中に飛び込む事を告げれば、この人達は否が応でも何かの行動を起こすはず。なら一緒に飛び込むか? ダメだ、あまりにも危険だ。中ではどんな事があるか分からない。――エアリアの脳内が加速の嵐にのまれるなか、いつものように、いつもの男が、策と呼ぶには足りない策を周囲に告げた。
「うっし、じゃあ行くか! あそこにすんなり入れりゃ一番良いけど、そんな技的なやつ俺には無いしな。ここでグダグダ考えても仕方ねぇし、俺が突っ込んであの氷柱ぶっ壊すからよ。皆は何かうまいこと……あれだ、あれ、援護的なこと頼むわ!」
こめかみを押さえるティターニ、苦笑いのルード、呆けるエアリア。皆が綾人に注目する。
そしてこれもまた、いつものようにティターニが綾人を止める。
「ちょっとバカは黙ってて頂戴、何? 死にたいの? バカなの? まぁバカだったわね。今策を考えてるから少し待ちなさいバカ。そうね。どうしたものかしらこの状況は……氷柱の中に渦中の人物がいるのはおそらく確実よね。気配が複数あるから、あそこに辿り着くのは第一条件ね。その前に前方の群をどうにかしなきゃいけないわね。エアリアと私で魔法を使用して道を開ける……ダメね。少々危険が過ぎるわね。それに罪の無い亜人を巻き込むのは私の望む所じゃないし。かと言ってこのまま無策に突っ込んでも、氷柱に辿り着く前に亜人の群に囲まれるだけだし……私が一人で行って、あの氷柱を壊す……ダメね、時間がかかり過ぎてしまう」
「何ごちゃごちゃ言ってんだよ! この瞬間にももうやべぇかもしんねぇんだぞ! 俺もう行くぞ、あの亜人達は話せばきっと道を譲ってくれるって、皆良い奴だって、きっと」
「人間族の姿を見ただけで卒倒する亜人だっているのよ。何がどう大丈夫なわけ? その根拠の無い自信は一体何なのかしら? あや……バカ人は大人しくそこに立ってなさい!」
「なんでわざわざ名前を言い直した! あや、って言った後にバカ人って悪意しか感じねぇぞ!」
「夫婦漫才はそこら辺りで止めろよ、今はあの広場に行くのが先だろうが。ここはルード様が空から氷柱の中を確認してくっからよ、二人は仲良く待って――」
「「誰か夫婦だ黒豆竜!」」
「いや、どう考えてもルード様の意見が正しいだろ、っつか何だ黒豆竜って! 皇帝邪龍って呼べ! てめぇらギタギタに食っちまうぞ!」
一致団結とは程遠いやり取り、しばらく見ていたエアリアは薄く笑い肩の力が抜ける。
綾人もティターニもルードも臆するどころか、救う事しか考えていない。考え方や思考はバラバラだが目的は一致している。団結力の無さは一旦横に置いておくとして。
一行のやりとりは、エアリアには非常に頼もしく感じた。危険なのは火を見るよりも明らか、なのに誰も逃げようとなどと考えもせず、救うことに全力をかけている。頼もしい以外に言葉は無かった。
「お三方、私に考えがあります」
そう告げたエアリアの顔は、綾人達がこれまでみた中で、一番凛々しく勇敢であった。
ーーー
「つまり俺と先生が転移であの氷柱の中に突っ込む。んで暴れて敵とかぶっとばしてる間にティターニとルードが処刑されそうな二人を助ける&奴隷館の、その……何だっけ? 嫌な奴を見つけるって事だな。分かりやすくて良いぜ! どっかの誰かさんはぶつぶつと言ってばっかりで何にも作戦言わなかったしな――」
「あら? 貴方のバカみたいな小さな脳ミソでも理解できるように作戦を組み立てようとした私の優しさが分からないのかしら? 可哀想な綾人、本当にかわいそっ――」
「だぁ~! 仲が良いのは分かったからよ! もういいよそのくだりは! ルード様は小人族の老人を探すのに専念するぞ、ティターニは援護を頼んだぞ」
「……分かったわ、でもルード。一つ訂正させてもらうわ私と綾人は別に仲良くないわよ。むしろこんな下品で、野蛮で、バカな男と話してあげている私の優しさと心の寛大さを称賛して欲しいくらいよ」
「あっ、何? お前そういう事言うの? こんな場面で俺だって揉めたくないけどさぁ――」
「お二方、今は一秒でも時間が惜しい所です。
もうその辺でお止めくださいませ。でないと凛を救う事などできませんよ?」
笑顔ではあるが、明らかに怒っているエアリア、さながら怒らせたら怖い学級委員のようだ。
綾人とエアリアはしぶしぶながらも、は~い、と声を揃え、お互い同時に離れる辺りが端から見れば仲の良さが表れている。
「では、転移魔法を発動します。急ごしらえの転移魔法ですので、発動中は動かないようにして下さいませ。動くと転移場所が揺れ、目的とは異なる場所に降り立つやもしれませんので」
「うっす!」
エアリアの言葉を聞き、気合いを入れ直す綾人。
「綾人、死なないように」
「相棒、ぶちかましてこいよ!」
ティターニとルードはそれぞれの言葉をかける。ニヤリとおどける綾人も「おめぇらもな」と言葉をかけた。
「では、参りましょう」
エアリアの言葉と同時に銀色の魔方陣が綾人、ティターニ、ルードが立つ地面に現れる。
「ティターニ様とルード様も広場付近に飛ばします、後の行動はお任せしますね」
頷くティターニとルード。皆が決死の表情をするなか、あれ? と声を出す綾人。
「ちょっ! あれ? 氷柱がっ――」
「あなた様! 動かないで下さいませ!」
エアリアの叫びも虚しく、半歩足を動かし、広場中央にある氷を指差そうとした瞬間に、綾人の姿か消えた。
あっ? という非常に間抜けた声を出しながら綾人は転移する。それと同時に広場中央の氷柱が砕け散ったのは同じタイミングだった。
何とも言えない表情、表すならば感情がゼロのまま転移するティターニとルード。
影場に残ったエアリアだけがぽつねんと薄い目をし、ため息を吐いた。
ーーー
「ぁあ~! ちょ、あれ~~!? 」
叫ぶ綾人は空を飛んでいた。いや、正確には落ちていた。
周囲は澄み渡った青。不規則にある雲は純白とはいかない白だが、その雄大さは計り知れない。下には何も見えない、ただ青と白のコントラストが広がるのみ。
エアリアの転移魔法の際、動くなとの忠告を無視して動いた結果、目的地がズレてしまい。
遥か上空をパラシュート無しのリアルダイブする綾人。
こんな事日本では体験できない、さすが異世界……いや、異世界でもそうそう体験できるものでは無いが。
そんな体験をする綾人の第一声が先程の言葉だ、そして次には。
「助けて~~~~~!! 助けて先生! エアリア先生! 助けて~~! 嫌だ! 死にたくない! まだ生きたい! 童貞のままなんて嫌だ~~!」
との言葉だった。なんとも情けない叫びだった。落ちる綾人、風圧は無情にも綾人の顔を歪めて、それも加味されて何とも情けない。
「あなた様!」
落ち続ける事約一分、ぐんぐんと下がる高度。ひたすら耳に聞こえていたのは、死神の口笛にも似た風の音のみだったが、ようやく待ちに待ったエアリアの声が耳に届いた。
空を自由に飛びながら助けに来た姿は、綾人にとっては女神様に見えただろう。エアリアは綾人に掌を向ける。
「あなた様、どうやら氷柱の遥か上空に転移したようです。今から当初の場所に一もう度転移で飛ばします! 多少強引に飛ばしますので予定通りに辿り着くとは思えません、対防御魔法を周囲におかけしますので備えて下さいませ!」
よっぽど焦っているのだろう、返事も聞かずに、綾人の周囲に緑色の薄い膜が発生する。
「行きます!」
との言葉の次には極大サイズの銀色の魔方陣が現れる。綾人は何かを喋ろうと口を動かすが、その前に転移が発動し姿を消してしまう。
綾人を転移させた後に一息吐くと、エアリアも渦中の中心に向かって急下降し始めた。
「先生ありがとう! そしてごめんなさい! 反省します!」
地上へと落ちる綾人の背後には銀色の魔方陣が薄くぼやけ、一部の空を灰色にしながら消えていく。
空のただ中を落ちる綾人だが、感謝を口にした後に首を回し、下方を見る。
目にしたのは亜人の群。目を凝らすと、亜人が群をなしていない、ぽっかりと空いた箇所がある。おそらく氷柱の中だったであろう場所。
空からみると掌サイズではあるが、木造で作られた処刑台が確認できた。
勢いに任せてさらに落ちていくと、より細かく見えてくる。処刑台の場所に幅広の戦斧と、分厚い剣を掲げる亜人三人、それらの足元には亜人二人と人間が一人。
綾人は大きく息を吸い、力の限り叫んだ。それは自分に注目を浴びせ、少しでも処刑を遅らせるようにするため。
叫びの中には、この高さから落ちて大丈夫なの俺? という成分が混じっていたのは本人しか知らない事だ。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
派手に木枠が壊される音が辺りに響く。処刑台の端を豪快に壊しながら地面へと叩き付けられる綾人。
エアリアが張った緑の膜は衝撃を相殺する。
綾人が無傷で目的地に辿り着くと同時に、膜は消えていった。
「間に合った~~~!」
自分のミスを誤魔化すように処刑台に上りながら叫ぶ。
「間に合ってません、あなた様! むしろ余計な時間でしたよアレは」
近付きながら嗜めるエアリアの言葉は、綾人には聞こえていないようだ。




