水王
――ティッパがいない。ガリオはもう着いてるはずだが。
嫌な予感がするな。と呟いたブットルは道場を見渡す。
朝と呼ぶには少々早い時間帯だが、布団が敷きっぱなしになっているのが気になる。几帳面のティッパは、やらないはず。
何処かに行ったにしてはおかしい。自分に連絡もせずに、二人で師匠の所に行くのも腑に落ちない。
考えを巡らせた後、ブットルは思念魔法でティッパとガリオに呼び掛けるが、反応がない。
――ティッパにレジストが効いているのは何故だ? ガリオには通らない。恐らく近くに高位の魔法を使う者がいるな。
ブットルは汗を拭う。寝ずに移動をした疲れからか、はたまた焦燥からでる汗かは本人も分からない。考えた後、情報を集める為に道場を後にする。
――どうする、二人も気になるが師匠の処刑の方が先か。
ブットルが街で情報を集めるなか、処刑前の行事は淡々と始まっていた。しっかりと太陽が昇る中央広場には朝にも関わらず多くの亜人族が集まっていた。
処刑準備をする作業員。
辺りを監視する騎士甲冑の者達。
同じく辺りを警戒する魔導士達。
軍服を着る兵士達。
軽装の鎧を着る者達。
野次馬の人だかり。
露店を広げる商人達。
見物人、通行人。
見渡す限りの亜人。
朝早くから中央広場は雑多な賑わいを見せている。
帝国中央に聳える、大きすぎる城の付近にある広大な中央広場には、石畳みの地面が疎らにしか見えぬ程、中央広場は亜人族で溢れかえっていた。
広場の奥には人山を弾くように設えた処刑台。
木造で作られた処刑台は高さ三メートル。中央広場の入り口にいる者は、辛うじて処刑台が見える程度で、現在何が行われているかも分からない状態になっている。
檀上に立つのは身の丈二メートル程の屈強な戦士が二人。手に持つ得物は今まで数々の首を跳ね飛ばした幅広の戦斧。
戦士二人は目の前の簡易コテージに傅く。
処刑台から少し離れた場所。処刑を間近で見られるように木造の簡易コテージが設けられている。
処刑台、距離を置き簡易コテージ、その後ろに数多くの亜人が処刑の成り行きを見つめている。
一日で仕上げた割には破格の出来となっているコテージ内には、七つの椅子が並び。そのまん中の椅子。
もっとも豪華に作り込まれた椅子に座るのは
亜人族の頂点に立つ十二歳の少年。マルシェ・デミ・カイザー。
その両横には、肥えた豚族の男と、鍛え上げられた肉体をもつ獅子族の老人が座っている。
コテージ内の椅子には他に小人族の老婆、エルフの男、ドワーフの男、蜥蜴と蠍の混じり子が座っていた。
亜人族の王、竜人マルシェは処刑に興味がないのか、足をプラプラさせながら、隣に座る豚族の男に話しかけている。
豚族の男はニコニコと笑いながらマルシェの話に頷いている。
王との会話を終えた豚族のタルウ公爵。次に話しかけたのは小人族の老婆。
「感心しませんなタルウ公爵。皇帝が控える場所に、何処の輩かも分からぬ者を同席させるのは」
コテージ内に座る者達の後ろには誰もいないが、タルウ公爵の後には二人の亜人が立っている。
一人は蝙蝠人の女。目に光は無く、ここでは無いどこかを見ているようだ。もう一人はどこにでもいる獣族の男。彼は無表情のまま黙している。
誰も面識の無い二人は王と同じ場所にいるには、明らかに場違といっていい。タルウ公爵は老婆に向き直り思慮深い顔をする。
「申し訳ありませんホローロ枢機卿。ですがこの二人は今から処刑される者と深く関わりがある者達です。せめて最期の姿を見せたいと思い同席をさせることにしました。マルシェ皇帝にはお許しを得てますので、ここは何とぞ寛大なお心を頂きたい」
「僕は大丈夫だよホローロ。この二人は今から処刑される二人の大事な人なんだって。可哀想だから許してあげたよ」
タルウ公爵の声に反応し皇帝が口を出す。
畏まりました。と恭しく頭を下げるホローロ枢機卿。
タルウ公爵が笑顔を向けるが、ふぃ、と無視をして処刑台を眺める。
やがて処刑の始まりを告げる鐘の音が鳴る。
ざわざわと賑わっていた中央広場に静寂が訪れる。どこからか鳴る鐘の音に皆が耳を澄まし亜人族が信仰する神。
初代亜人族の長、ナーガ・デミ・カイザーに全ての亜人が祈りを捧げた。
手を胸に当て、目を瞑り、空を仰ぐ。簡易コテージに座っていた首脳陣も立ち上がり、同じ所作で祈りを捧げている。祈りが終わると
「大罪人を前に!」
処刑台と簡易コテージの間に立つ進行役が、張りのある若々しい声で処刑を進める。中央広場にいる亜人達は目を開き、処刑台を見つめる。
首脳陣は再び椅子に座る。処刑台に立つ執行人が立ち上がり、戦斧を掲げながら所定の位置に立つ。
しんと静まるなか、処刑台の階段を昇るみしり、みしり、という木板が軋む音が響く。
檀上に現れたのは二人。
粗末なボロ布のような衣服を着る二人は、両腕を体の後ろで縛られている。支えが無ければ立てないらしく、両脇を支える騎士の補助で、辛うじて立っている。
一人は羊人の老人。
彼の顔には生きる意志が感じられない。ボケているのか、今から自分が処刑されると分かっていないようだ。遠くを見つめ、口をだらしなく開けている。
口元から常に涎が落ちている為、木板で作られた壇上の一部が色を変えている。だが涎が流れていることで、この老人が辛うじて生きている事を確認できた。
もう一人は人間族の女。
彼女は老人ほどではないが、こちらも顔には生が無い。粗末な衣服から覗く手足は痛々しいまでの腫れ跡がある、赤黒く、青黒く腫れ上がる肌は、見ているだけで顔を顰めてしまうほどだ。
脱力し項垂れる女だが、はっきりと生きていると分かる。それは口許が僅かだが動き、何かの言葉を繰り返し呟いているからだ。
「この羊人の老人は、十年前に起きた生命の大樹ダアトを燃やした、あの事件の犯人である! 我々は確かな証拠を見つけた。よってこの者を大罪人と見なし、ここに正義の鉄槌を下す事にする!」
進行役の声に亜人達は様々な反応をする。
驚愕、怨嗟、疑問、肯定、否定、称賛、と矢継ぎ早に声がそこかしこに上がる。
静粛に! と進行役の声が上がり。しばらくした後にようやく声は止む。
「次にこちらの人間族の女、この女は人間族が禁忌魔法で呼び寄せた天災である! この者は近いうちに必ず我ら亜人族を滅ぼす一駒に成りえるだろう。故に、我らの種族がこの女に殺される前に、この女を殺す! 皆思い出せ、我ら亜人族が人間族に虐げられてきた歴史を!」
老人の時とは違い、怒号が広場を包む。人間族に虐げられてきた歴史をもつ亜人族。
まだこの世界が人間族と魔人族、二種族のみが戦争を繰り広げていた頃。人間族に奴隷として扱われていた亜人族。
戦争での奴隷の扱いなど、安易に想像ができてしまう。酷く、陰惨な仕打ちに耐え兼ね、一人の奴隷が人間族に逆襲を始めた。
彼は生まれた時から奴隷だった。試練と呼ぶにはあまりにも辛い少年時代を過ごし、青年になると同時に主人である人間を罠に嵌め、殺した。
殺した後に、顔の原型が分からなくなるほど殴り続けた、殴り続けた時間はおおよそ四十時間。
どれだけ青年が辛い人生を歩んできたのかが分かる時間だ。
その者の名はナーガ・デミ・カイザー、亜人族初代皇帝にまでなった男。
ナーガは死を恐れず戦った。同じく虐げられた仲間を助けだした。どんどんと仲間が増え、周りから崇められた。気付けは一国の王になっていた。絶対的な正義の象徴であり。全ての亜人族を救った亜人、彼は神格化された。
そんなナーガ・デミ・カイザーは晩年こんな言葉を残した。
「人間族全てを奴隷にできなかったのが残念だ」
と死の間際ですら、その怨念は消えることは無かった。時は経ち。その出来事は歴史の一部として亜人族の認識に刷り込まれている。故に亜人至上主義の者は、理由無く人間族を嫌う。
結果、この中央広場にいる者が人間族の女をどう捉えるかは、火を見るよりも明らかだ。中央広場全体に、殺せ! の声が巻き起こる。
「これより正義の鉄槌を下す!」
歓声が上がった。
処刑台に立つ二人は両脇を支える騎士によって正座をさせられ、上半身を少しばかり前に倒し首を晒す。
老人も女もなすがままの状態となっている。見ようによっては反省しているようにも見えるが、この場でそんな事を考える者はいない。
処刑執行人が二人に近づき幅広の斧を掲げる。
空気が張り詰めるなか。
「皇帝、合図をお願いします」
進行役が皇帝に願い出る。マルシェは別段興味もなく「やっていいよ~」と告げた。
呆気なく振り下ろされる戦斧。
一切の無駄がない戦斧による処刑。
だが、二人の首が切断される前に執行人の動きが止まった。
正確には止められた。戦斧を振り下ろした状態でまるで時間が止まっているかのように、執行人は動けないでいる。戦斧と首との距離は僅か数センチ。
何事だ! と獅子族の老人バスクード元帥が簡易コテージ内から吠えた。だが誰も何も分からず、顔を左右に振るのみだった。
亜人族の騎士達はバスクード元帥の指示を受け、皇帝を守るように陣形を組む。
首脳陣六名にもお付きの護衛が付き守りを固める、皆が辺りを警戒する。
中央広場は一瞬、場違いな程の静けさに漂った。
亜人帝国の魔導士達は強力な魔力を感知し、総動員で魔法を展開する。
展開するのは光属性の特級防御魔法。
神気防壁陣。
半透明な結界は皇帝を中心に円上の形で現れ簡易コテージを守る。
処刑台の壇上に水溜まりが現れる。
水溜まりからは音もなく蛙族の男が現れる。その姿を見た何者かが声を出す。
「お、おい、あそこ! 処刑台を見ろ! 水王ブットルがいるぞ!」
声に反応し皆が処刑台を見ると。処刑台に立つブットルを皆が確認した。
水王ブットル
約十年前には時期亜人三英雄とまで呼ばれていた男。
水魔法を得意とし、その力は一人で一国と戦える、とまで言われている。
だが亜人帝国に住まう者達のブットルへの認識は極めて悪い。ブットルは己の力に酔い。同胞の亜人を何人も殺した疑いがある。
水魔法の練習と称し子供達を動く的にし結果、殺した疑いがある。
貴族と揉め事をし、その貴族を領土もろとも水に沈めた疑いがある。
他にも数え切れない程の罪状がブットルにはある。
勿論これはタルウ公爵が広めた偽情報だ。故にどれもが証拠不十分となっている為に拘束までは至っていない。
だが一番ブットルが、帝国の民から嫌われている理由は、魔人族に惜しみ無い力を貸していると言われているからだ。
これに関しては当たらずとも遠からずの為、ブットルはやんわりとしか言い返せない。
煮え切らない態度、証拠は無いが数々の罪により、時期亜人三英雄とまで呼ばれた水王ブットルの名は地に落ちた。
そんな嫌われ者のブットルだが、亜人族の大概の者達が、嫌悪よりも恐怖にのまれ、顔を歪ませている。それは一重にブットルの強さを裏付ける理由でもある。
処刑台に立つブットルは儚げな目で師匠であるサクゴウを見つめる、視線を切り広場に集まる亜人族を見渡す。
「やれやれ、目立つのは好きじゃないんだけどな」
そう言いながらも戦闘態勢に入るブットル。彼の戦意に呼応するように纏う透明な膜が揺れた。




