戦う理由
戦争や魔物との戦いで傷ついた者達や、病気を煩う数多くの者は病床建物、と呼ばれる施設で暮らしている。
亜人帝国一広い病床建物。一室に佇む亜人は声を出す。
「師匠」
「……」
「師匠、水魔法の構築と詠唱がまだ甘い所があるので、ご指導お願いします」
「……」
「先日なかなか骨のある人間族に出会いました。おそらく師匠好みの武人です。是非師匠の目で見極めてほしい所です」
「……」
「ティッパやガリオは顔を出してますか? 二人には会ってないものでっ――」
「すいません、そろそろ患者に負担がかかりますので」
「あっ……すいません」
ベッドに寝そべる病人を気にかけ注意を促すのは、白衣に身をくるむ猫族の治癒士。
注意され肩を落とす蛙族の男は、師匠と呼び掛けた人物に頭を下げる。
師匠と呼ばれているのは、羊人の老人。
ベッドに横たわる羊人は皺だらけの顔を横に向け、窓から外の風景を眺めている。目は開いているが焦点が合っていない。老人は誰の声にも反応をしない。
常に半分ほど開いている口からは涎が流れている。涎を布で拭き取る治癒士。
「……師匠」
その光景を眺め思わず全身に力が入る。何もできない自分への怒りからか、師匠と呼んだ人物の変わり果てた姿になのか。気持ちの昂りと同時に彼を包む透明な粘膜が揺れる。
「では師匠。今日はこれで失礼します」
羊人に頭を下げた後、猫族の治癒士にも頭を下げ部屋を出る。
魔導師の格好をしている蛙族の男は病床建物の廊下を足早に歩く
出入口近くの受付で止まり。幅広の袖口から袋に詰め込んだ大量の金貨を渡す。
「三〇四号室の羊人、サクゴウの今月分です。お願いします」
と告げた後、また足早に歩き病床建物を離れる。石畳の地面を歩き出すと名前を呼ばれた。
「ブットル!」
「ティッパ……」
蛙族のブットルが振り返ると、蝙蝠人の女が驚きの表情をブットルに向けていた。
ティッパと呼ばれた女は、頭部左右にある三角形の獣耳をピクピクと動かし、黒い瞳でブットルを見詰めている。瞳と同じ黒い長髪を背中に流し、前髪を眉で揃えている為、どこか幼さを感じる。
女は魔導師の格好をしているが、手首から脇の下にある飛膜を服内に収めている為、袖下は妙に分厚く、やぼったく感じる。
「師匠に会ってきたのか?」
「あぁ」
ティッパが話しブットルが答えるが、顔馴染みにしては余りにも辿々しい会話だ。
「師匠はどうだった? お前の顔を見たら少しはっ――」
「いつも通りだったよ」
「……そ、そうか」
すげない返答に目を伏せるティッパ。その姿にチクリと胸が痛むブットル。「また来る」と言い。ティッパに背を向け歩き出すが。
「待ってくれブットル! 久し振りに会ったんだ話さないか? も、勿論お前に時間の余裕があるならだが……どうだ? それに、ほら。久々に道場に顔を出すのも悪くないだろ? 師匠が元気だったら、育ての道場に挨拶もせず、立ち去るとは何事か! と、烈火の如く怒られるはずだぞ」
ブットルの腕を掴み必死に舌を動かすティッパ。ティッパの姿を見るブットルは、変わらないな。と哀愁の笑顔で答える
「な、何を笑っている! 来るのか? 来ないのか? どっちだ?」
「そうだな……道場に顔を出さないと師匠に怒られちまうな」
ブットルの言葉を聞き安堵の表情を浮かべるティッパ。二人は付かず離れずの距離を保ち移動を始める。
移動中にティッパの視線を感じたがあえて無視をしブットルは歩く。ティッパもまた話し掛けようとするが、ブットルの雰囲気にのまれ何も発言できずに歩く。
無言のまま歩き続ける二人、しばらく歩いたあと、足を止めたのは建物全体が老朽化した木造作りの道場。嵐が来れば飛んでしまいそうなボロ道場は室内も酷い有り様だった。
掃除は行き届いてはいるが、長年染み付いた、くすみや汚れが目立ち、お世辞にも綺麗とは言えない。だがブットルは目を細め物思いに耽る。彼の胸に広がるのは暖かい郷愁。
「茶を出すから少し待っててくれ」
ティッパが道場に設えてある炊事場に向かう。道場と呼ぶには狭い室内でブットルは昔の事を思い出す。
戦争孤児としてさ迷っていた日々。羊人の男に拾われ魔術を教え込まれた日々。同じ境遇である二人の孤児と肩を並べ、互いに切磋琢磨していた日々。時には怒られ、時には笑顔で接してくれた、父親のような師匠との思い出。全ての思い出を懐かしんでいると。
「懐かしいか?」
ティッパが茶を差し出しながらブットルに話し掛ける。
「あぁ、ここには全ての思い出があるからな」
「そうだな」
答えたブットルに優しく微笑むティッパ。二人は道場に座り、また沈黙する。
だが先程よりは幾分柔らかな雰囲気になる。何度かブットルに視線を向けるティッパは、意を決して口を開く。
「ブットル、まだ……魔人族の傭兵をやっているのか?」
「あぁ、金がいいからな」
「そ、そうか」
触れられたくない話題の為か、ブットルの返答は冷たい。ティッパの言いたい事はブットルにも分かっている。長年鍛え続けた力を金の為に、ましてや魔人族の為に使うのは外道の道。
もし師匠であるサクゴウが知ったら、破門以上の沙汰が下るであろう。だがブットルには金がいる。
「なぁ、ブットル提案なんだが、この道場を閉鎖しないか? そうすれば多少だが金が浮く筈だ。そうなればお前も魔人族に雇われずに済む。だから……帰ってこないか?」
ティッパの気持ちはブットルには痛い程分かる。だが分かった所で現実は変わらない。ティッパは緊張した面持ちで続ける。
「師匠の治療費は今の所、目処は立たないが……私も何とか仕事を見付ける、ガリオも目一杯支援してくれている。それにお前ならば亜人帝国でも直ぐに仕事が見つかるだろ? 魔導部隊辺りから引く手あまたの筈だぞ、何と言っても次期亜人三英雄と呼ばれた――」
「ティッパ」
ブットルの短い呼び掛けにティッパは口ごもる。ブットルはため息を吐いたあと、淡々と告げた。
「師匠の治療費は月々金貨三百枚だ。そんな大金は亜人帝国で稼ぐには厳しいだろ。それに師匠が死んでもいないのに弟子の俺達が勝手に道場を閉鎖してどうするんだ。師匠が生き続けている内は道場は残す。三人で話し合った結論だろ?」
「それは、そうだが……」
「道場の維持費は年々高くなってるよ。どっかのお偉いクソ貴族のせいでな。道場の家賃費は今で金貨二百枚だ。師匠の治療費と合わせて金貨五百枚。バカ高い収入を得るのは魔人族の傭兵が一番だ。奴等は金に関しては羽振りが良いからな。冒険者は稼ぎにムラがあるし、亜人帝国で稼ぐのは……たかが知れてだろうし、だろ?」
「……や、やはり私がタルウの妾になればっ―」
「ティッパ。その話はもう終わっただろ。蒸し返しても意味は無い」
「……だが」
ギリギリと音が鳴るほど奥歯を噛み苦渋の表情をするティッパ。
本来、師匠であるサクゴウの治療費と道場の維持費は金貨五百枚では無い。せいぜい金貨三十枚が相場の値段だ。
ではなぜそんなにも高い金額になっているのか。それは上級貴族の一人、豚族のタルウ公爵の差し金によるもの。
別名:豚貴族と呼ばれるタルウ公爵はティッパに見惚れている。彼女を自分の所有物にする為、己の欲をぶつける為、有りと有らゆる事を画策している。
道場の土地利権を絡め手で奪い取り、家賃費と言い含め高額の資金を要求し。師匠であるサクゴウが治療を受けている病床建物にも。
【サクゴウは回復の兆しが無いため、延命措置をとるならばそれなりの金額を払うように】
といったやり口で圧力をかけ、金銭面からどんどんティッパを追い詰めていく。
サクゴウが専門治療の為、病床建物に寝泊まりし始めたと同時に始まったタルウ公爵の悪行。
金が必要になった弟子の三人は働きに出向くが、タルウ公爵の画策は亜人帝国全てに及んでいた。
魔法に秀でているティッパは亜人帝国の術士の門を叩くが、帝国は雇う事を拒んだ。術士を諦め一般兵で志願するが、女は入らないと断られた。
それならば冒険者になろうとギルドを訪れるが、身元保証人ができない為、登録出来ないと言われた。
本来ならこんな事は決して無い。帝国からは術士として重宝される程の腕を持つティッパ。
兵士や冒険者も同様だ。勿論これもタルウの仕業だ。
魔法関係の仕事は諦め、別の仕事を探すが、そこにもタルウの触手は伸びており何処に行っても断りばかりが続く日々。
ティッパは絶望した。このままでは師匠の治療費も払えず、道場も奪われてしまう事に。
毎月増える負債に頭を悩ませていると、タイミングを見計らったかのように現れるタルウ公爵。タルウは興奮した様子でティッパにある提案をする。
「私の妾になれば資金提供をしよう、君も幸せ。私も君を手に入れ幸せになる。どうかな?」
服越しでもハッキリと分かる。弛んだ腹と盛り上がる股間を揺らしてタルウがティッパに笑顔を向ける。
ティッパは悩んだ。もちろん師匠の治療費や道場の家賃が高騰したのはタルウ公爵の仕業だと分かっている。
分かっているがどうしようもない現状に軽い鬱状態になった。今まで魔法の修行しかしていないティッパにとっては金を用意する算段など思い付く筈もない。
タルウ公爵の妾になった方が良いのかとも考えた。だが体が、本能が、細胞一つ一つが豚貴族を拒否している。
奴に抱かれる位なら死んだ方がマシだ。いっそ死んでしまおうかとも考えた。だが私が死んでもこの現状が改善する訳ではない。ティッパ悩み続けた。
勿論悩んだのはティッパだけでは無い。同じく道場で育ったブットルともう一人、獅子人のガリオも頭を悩ませた。
育ての親である師匠と我が家同然の道場は何としても守りたい。血の繋がりこそ無いが共に育ったティッパは家族同然。そんな家族を豚貴族になど当然差し出せる筈は無い。
聞けば豚貴族は多数の妾をはべらせ、己の歪んだ性欲を日々発散しているとの噂がある。
三人は師匠を連れて逃げようと考えた事もあった。病床建物に訪れ師匠の引き渡しを願ったが。全ては遅かった。
患者を勝手に連れ出すのは法に従い無理だと言われた。ならば夜中忍び込んで師匠を拐おうとしたがそれも無理だった。
何故か夜中になると病床建物に軍が派遣され鼠一匹入れない厳重な守りになるからだ。
これもまたタルウ公爵の差し金だ。サクゴウはタルウ公爵に取っては金のなる木。甘い蜜を吸い続けた後にサクゴウを処分しティッパを自分の物にする段取りが完璧に組み立てられていた。
何をどうしても逃げられない事を悟った三人。
三人は悩んだ、悩んだ末に出た結論は、金を稼ぐ。という余りにもシンプルで愚直な結論だった。
だが三人にはその考えしか浮かばなかった。十代後半の三人には他に頼れる人もおらず、自分達で何とかするしか無いと結論付ける。
だがタルウ公爵の魔の手はガリオやブットルにも向いていた。ティッパ同様、ガリオ、ブットルも働き口は見つからなかった。
ガリオは殆どの働き口に断られた、唯一見つけたのは亜人帝国の新人軍人。肉体を使い敵に向かう新人軍人は、魔法を生業にしてきたガリオにとって屈辱だった。
だが背に腹は変えられなかった。一番戦況が荒い前戦組に配置されたのは、悪意に満ちたタルウ公爵の仕業だろう。
何処にも働けないティッパは、師匠の世話と道場の管理をやるようブットルとガリオに言われた。最初は納得しなかったが、時間をかけ説得し渋々納得した。
そしてもう一人の弟子ブットル。彼は幼い頃より魔法の素質があった。ティッパやガリオは常にブットルの背を追い掛けていた。同時にブットルは師匠であるサクゴウの背を追い掛けた。
天才少年ブットルは次期亜人三英雄とまで言われ世間を騒がせた。だがあの事件以来サクゴウがおかしくなり。
立て続けに起きたタルウ公爵の嫌がらせによりブットルの名は地に落ちた。ブットルは亜人帝国を出てひたすらに金を稼いだ。
危険な魔物の討伐。
未開地への探索。
賞金首の討伐
金になることならば何でもやったてのけた。
金を稼いでは師匠の治療費と道場の家賃費に充てた。その活躍を聞き付けた魔人族のレットに見込まれ。その後、何年もレットに雇われる。
そんな日々が十年も続いている。
多くの汚れ仕事をしたブットル、本来なら道場に足を踏み入れて良いはずがないと考えている。
なので師匠に会ったら直ぐに去るつもりだった。だが何年かぶりに会ったティッパの姿に胸がざわついた。懐かしさに負け道場に寄ってしまった。
ブットルは思考を戻す。
「そんなに顔をするなティッパ」とブットルなるべく明るい声を出した。
「俺は外で大金を稼ぐ。ガリオは何かあった時動けるよう帝国に残る。師匠の世話と道場の管理をティッパがやる。何年もやってきた事じゃないか。これからも、だろ?」
「だが、私は、また三人で……」
弱まる語尾のままティッパは目を伏せる。儚げなで悲哀な表情を見詰めるブットルは場違いな考えが頭を過る。
――綺麗になったな。
一瞬よぎった思いは首を左右に降り追い出す。ブットルは立ち上がる。
「また金を送るよ、師匠のこと頼んだぞ」
「ま、待ってくれブットル!まだ話が――」
ティッパの話を遮るようにブットルの足元に水溜まりが現れる。水溜まりにそのまま沈んでいくブットルに手を伸ばすティッパだが、それよりも早くブットルの姿が消え、水溜まりも消えた。
「わ、私は、また、三人で……」
言葉に詰まるティッパの声は誰もいない道場内に虚しく響くのみだった。




