黒い女
石畳を走る音が月夜に吸い込まれる。楽しげに石畳を踏み締める影は目的地にひた走る。前を走る影を追う九つの影。
月夜の明かりを遮っていた雲が半分ほど流れ、九つの影が正体を顕にする。前を走る者を追うのは亜人。
人に近い形状の獣人が五。獣に近い形状の獣族が四。無駄の無い連携で前を走る影を追い詰める。
石作りの建物が律儀に並ぶこの場所は、亜人族が絶対の信頼を置く場所――亜人帝国。
その帝国という名の通りこの場所は嫌に広い。徒歩で一周するには約四十時間を費やす。
大多数の亜人が暮らす亜人帝国だが、もちろん亜人族全ての領土ではない。ほんの人つまみの領土だ。だが主だった首脳陣や武勇に秀でる者、つまりは亜人族のトップは亜人帝国に集う。
表すならば大きすぎる城塞都市。この言葉がピタリと当てはまる。
中央には赴きがある高く大きな城。その城を守るように東西南北には、石作りの建物が所狭しと並ぶ。
亜人帝国の夜は連日の辻斬り騒動の為か、はたまた精霊族との戦争前による緊張感の為か、通りには一人の姿もない。氷の詰まった空間のように、しんとしている。
走る影が足を止る。袋小路である場所にたどり着き、追ってきた亜人達を振り返る。
「もう逃げられんぞ! 三、二、一、帝の陣!」
先頭を走っていた獣人、兎人族である青年が指示お出す。
指示を受け迎撃の配置を展開する亜人族。
「逃げられんとはおかしな事を言うな?」
声の主は展開する亜人族に一歩近づく。月明かりが当たる部分に歩み出ると、ぼんやりとだが全体象が見えてくる。
「追い詰めたつもりか? 違うぞ、私がお前達をわざわざ誘導してやったんだ」
声の主はニタリと笑う。首元、胸部分のみを黒い鎧が守りを固めている。胸から上は強固な鎧に反し、鳩尾から臍までは剥き出しの為、肌色を夜気に晒す。
下半身は黒色のショートパンツを穿き、膝上までの黒いロングブーツを履いている。
もう一歩踏み込むと、明確に顔の形状が判別された。
声の主は女。肩口でざっくばらんに切られた黒い髪。左右の頭部には牛のような角。 はっきりとした目鼻立ち。ニタリと笑う姿は妖しいが魅力はある。
「なっ……」
先頭に立つ兎人族の青年は思わず声を出した。端正な女の顔に目を奪われた訳ではない。
異常な両腕両足に視線が固定されている。
「奇妙な物でも見たか? 気持ちは分かるがな」
女の声に暗殺用のナイフを構える亜人族。
女の肩口から先と、ショートパンツから伸びる太腿は光沢のある黒。人の形をしている腕と足だが明らかに硬質だ。
黒より黒い両腕と両足は、夜にも関わらずエナメルのようにてらてらと光っている。
胴体と顔部分は人間族のような肌色。頭部には魔人族のような角。肩から先と見える太腿は形状こそまともだが異質の黒。その奇妙な姿は亜人達を黙らせるには十分な姿だった。
全体が細身の女は黒い両手の五指を広げると、掌からズルズルと現れたのは槍。
右手には身の丈程の紫色の長槍。
左手には腰丈程の灰色の短槍。
二槍とも非常にシンプルな形状だ。だが纏う空気が怪奇に過ぎる。
女の姿と怪奇な槍に戦く亜人族。皆たまらず一歩後ろに下がる。
「ほうほう。流石は亜人族の精鋭部隊だな。この槍を見て逃げ出さないのは評価に値するぞ」
くつくつと楽しげに女が笑う。
その姿に血気盛んな若い獣族が飛び掛かる。バカにされた事への苛立ちか女への恐怖か。肌色の顔面へとナイフを繰り出すが……
「ん? 遅いな……これが平均だとしたら少々過大評価し過ぎたか?」
瞬き一つしない内に飛び掛かった獣族の体は四つになっていた。体の中心から均等に縦、横に切り裂かれた獣族の若者は、決死の表情のまま絶命する。二槍の穂には這いずるようにべったりと血が付着している。
「くっ、陣形を崩すな! 行くぞ!」
兎人族の言葉で戦闘が開始された。
次々と迫るナイフの嵐を二槍で受け止め、時に受け流し。亜人達の猛攻を笑いながら捌いていく。一通りの連携攻撃を受けた後に女が言う
「次はこちらの番だな」
紫色の長槍を器用に回し獣人の首を刈り取る。別の獣人には灰色の短槍を投げつけ腹部に穴を開ける。返り血を端正な顔に付着させながら戦う女。
容姿も伴いまるで鬼姫のように見える。
ものの数分で都合七つの死体が袋小路に転がった。見事な切断面を見せながら死んでいるのは全て亜人族。血と臓物が飛び散り、糞尿の匂いが辺りに立ち込める。
死体の中心に立つ女は退屈そうに目を沈めた。
残ったのは指示を出していた兎人、もう一人は年端もいかない蜥蜴族の少年。兎人はナイフを構えジリジリと後ろに下がる。蜥蜴族の少年は恐怖の為体を硬直させ、ただただその場に立ち尽くす。
「どうやら過大評価だったようだな……まぁいい。おいそこの兎! お前がこの隊のリーダーだな? 聞きたい事がある。ここに――」
「おいおい、なんだこりゃ?」
女の声を遮ったのは獣人だが、箇所ヶ所に獣部分が混じる男。
獣人と獣族が交わうとできるどっち付かずの亜人。この世界では混じり子と呼ばれている。
狼の箇所が目立つ混じり子は、夜と同等の黒い女を眺める。
「隊長! 何処に行っていたんですか! いやっ、今はそれより――」
「いい女だ」
はっ? と、この場にそぐわない間抜けた声を出す兎人。隊長と呼ばれた狼の混じり子は片目しかない目で黒い女を見る。
「お前はどこの誰だ? 我々亜人族に真っ向から喧嘩を仕掛けるバカは、デンバースには数人位だが……そもそもお前は何族だ?」
隊長! と叫ぶ兎人を無視して混じり子は黒い女に近づく。
「ほう、これは行幸だ。その風貌からしてなかなかの強者のようだ」
背丈が二メートル程の混じり子は大剣を肩に担ぐ。太く引き締まった体を包む鎧は歴戦が窺える。迷いなく歩く足取りは強者のみの特権。
「何族か? そうだな……強いて言うなら鬼族とでも言っておこうか」
「鬼族? 聞いたことがねぇな、まぁいい。それよりもお前が選べる選択は二つだ。一つはここで俺に殺される未来と、もう一つは俺の家畜になって一生奉仕する未来だ。選べ」
黒い女と狼の混じり子が一定の距離を保ち対峙する。女は間をあけ薄く笑う。
「なんだこの体を好きにしたいのか? だったら簡単だぞ。力尽くで私を屈服させればいいだけだ。私は私より強いオスには従順だからな。どんな要望にも答えてやるぞ?」
黒い掌を体に這わせ混じり子の情欲を煽る。
「気に入った!」
言葉を置き去りにし女に迫る。全身をバネにし大剣を振り下ろす。女は瞬時に二槍を掴み真上からの一太刀を二槍で受けると。ずん! という衝撃音が辺りにまで届く。
女が踏み締める石畳がひび割れ、その部分だけが陥没する。
「俺を亜人三英雄の一人と知ってもまだ勝負をするか?」
自らを亜人三英雄と名乗る混じり子の腕が一段と太くなる。筋肉が増量する魔法。増血多筋増を使用し女を押し潰そうとする。
金属と金属が音を立て交差しているなか、徐々に女の腕が下がっていく。圧倒的な力で迫る大剣が女の額を浅く切る。混じり子はいけると踏み、更に大剣に力を込める。
が、どう押してもどう力を込めても額の薄皮を切ったまま先へ進まない。
「なるほど、それが全力か?」
女はふんっ! と力を全身に入れ、二槍を使い力尽くで大剣を押し返す。
「なっ……」
鑪を踏み、よろける混じり子はあり得ない者をみる目で女を睨む。
「俺を、力尽くではね除けるだと……ありえん!」
「私と力比べはしない方がいいぞ? 力で私に勝てるのは……デンバースでも数人位だからな」
混じり子が大剣を構えもう一度斬りかかる。
「嬉しい誤算だな。有名な亜人三英雄がここまで弱いとわ……」
鬼姫は額から流れる血を舐めとりニタリと笑った。
ーーー
十分程続いた戦は、実にあっさりと終わる。
甘い角度と踏み込みで大剣を振るってしまう混じり子。難なく躱され二槍の槍が手首と肘に突き刺さる。呻いた後に身を捻り槍の追撃を逃れる。混じり子は体勢を整え、大きな体躯では考えられない速さで何度目かの一振りを放つ。
が、長槍で捌かれ軌道がずれる。忌まわしげに顔を歪めていると、短槍が足の甲ごと地面に突き刺さる。混じり子の顔が歪む。長槍を両手で持ち大きく振りかぶる女の残像。
「あ、あり、えん……」
鎧ごと胴を真っ二つにされた混じり子が口惜しく呟き死んでいく。
「そんな……隊長! たいっ――」
ポンと、おかしな音をさせながら兎人の首が飛ぶ。驚愕の表情のまま地面に転がる兎人の頭部。
ふぅ。と一息入れ女は辺りを見る。
「亜人三英雄が弱いと言った事は訂正しよう。なかなかに手強かったぞ」
清々しい表情を向けるが。胴から別れた口は何も返すことは無い。
カチャンと石畳に響く金属音。女が視線を向けると、ナイフを落とした蜥蜴族の少年がいた。恐怖で失禁し、小刻みに体を震わせ尻餅をついている。
「うむ。一番知識が低そうなのが残ったな……まぁいい」
「ひっ! た、たすけ……」
恐怖の為声が上がらない。わなわなと震えることしかできない少年に、無遠慮に近付く女。
「貴様は奴隷商人のコウレツを知っているか?」
少年は女の問いに答えず、ひたすら命を懇願した。
「貴様の命乞いなどどうでもいい。コウレツという奴隷商人の居場所は分かるか?」
女の足に縋り、泣き喚く少年。
「おい、貴様も武器を持つ戦士なら潔くかかってこい、そうでないなら……」
悲観的な目で見上げる少年、舌打ちをした女は腕をふるい少年の首を飛ばす。
「そうでないなら、ただの豚と変わらんぞ」
二槍を振り、穂に付着した血を払う。死体を眺める女は顔を上気させる。
都合十体のバラバラ死体が地面に広がる。血の匂いと糞尿の匂い。肉の塊から発せられる独特な生臭さが、女の興奮を高めていく。
飛び散った脳髄や臓物を踏みつけると、クチャリと音がする。ロングブーツの底に敗者の残骸が纏わり付くと、敵意と懇願が手を伸ばしているような感覚に陥り、女の顔にはより鮮烈な艶が表れる。
「体が熱いな……私を受け止める度量がある男が欲しい所だが」
女は自分の言葉に笑う。
「私より強い男はそうそういないか……」
自嘲気味の笑いをし女は月夜の街へと消えていく。
第2章始まりました。
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